「社会福祉法人千優会の井浦でございます。
はじめに、今年度は別法人ではありますが、昨年6月のけせもい地域包括支援センター公募に続き、再度このような機会を賜りましたことに、心より感謝申し上げます。
今回の応募の動機につきましては、当法人が医療法人北海道会様から今年度末にかめしまハートフルケアセンターを事業譲渡されることによるものです。
この案件につきましては、市内事業者がためらって長引く間に、亀島地域の主たる介護サービスがほぼ失われかねないことからお引き受けいたしましたが、その継続と、30名以上の介護職員の雇用の維持という重い役割を担うことにもなりました。
その中で、当地域包括支援センターにつきましても、現在業務に当たっている有資格職員たちから引き続き同職にとどまり、地元に貢献したいのでぜひ応募・受託して欲しいと強く懇願されています。
当法人、当職としましては、職員たちのこの思いに応え、また当法人の持つ事業運営ノウハウも活用して、今あるセンターをさらに長く継続できる体制に強化することで、当該地域住民の不安解消に努める所存です。なにとぞお聞き届けください。
それでは、限られた時間内での説明ですので、駆け足になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。(後略)」 (2023年1月)
大人になった天才子役のディアナ・ダービンが主演した「Because of Him」(1945年)という日本未公開の映画がある。
ブロードウエイの内幕を描いた内容で、何度か書いているがこういった題材は日本人になじみがないせいか劇場未公開になることが多く、本作も出演している俳優たちが地味な上に、後半には新作劇のリハーサルシーンが延々と続くこともあって、そうなったのかもしれない。
ダービンはウエイトレスをしながら舞台での役を得ようと運動する女優の卵。チャールズ・ロートンが本人そのままの名優。フランチョット・トーンが次回作の脚本家。
観ていると、スーザン・ストラスバーグの「女優志願」(1958年)とよく似た構造だな、と思わせる。というか、「女優志願」はキャサリン・ヘップバーンの代表作の一つ「勝利の朝(モーニング・グローリー)」(1933年)のリメイクなので、そちらのストーリーの方が古いのだが。
「女優志願」はストラスバーグが女優の卵、これがスクリーン・デビューだったクリストファー・プラマー(トラップ大佐!)が脚本家、ヘンリー・フォンダが有力プロデューサー、ハーバート・マーシャルが舞台の名優、というキャスティングだった。
「Because of Him」の下のシーンは、いったん故郷へ帰り、2、3年真摯に経験を積んでからまた来なさい、と名優ロートンに諭され、タクシーを待つ間、ダービンが失意の表情で「ダニーボーイ」を口ずさむ。この悲しいアイルランド民謡を聞くうちに変わって行くロートンの感情と、意外な結末に胸打たれる。
イギリス出身の名優チャールズ・ロートンの長いキャリアについて、ここで短く書くのは不可能だ。
だから、一点決めして書いて行く。
イギリス映画でありながら「ヘンリー八世の私生活」(1933年)でアカデミー主演男優賞を獲得した後、ロートンはナチの迫害から逃れて渡英していたプロデューサーのエーリッヒ・ポマーとメイフラワー・ピクチャー・コーポレーションを設立した。
ただ、結果から言うと、この会社は第二次大戦によってイギリス国内での映画製作が困難になったことから3本の作品を残したのみで解散してしまうのだが、その3本がとてもセンスがいいのだ。
第1作はサマーセット・モームの短編「怒りの器」を映画化した「Vessel of Wrath」(1937年、日本未公開)。自堕落な南海のあぶれ者ロートンが聖職者(ロートン夫人のエルサ・ランチェスター)の尽力により改心するという、同じモームの「雨」をひっくり返したような、とても楽しいドタバタストーリーだった。
第2作は「セント・マーティンの小径」(1938年)。知る人ぞ知る、ビビアン・リーのイギリス最後の作品だ。こちらも日本未公開だが廉価のDVDが出ている。
食いつめてすりまではたらく小娘(リー)を拾った大道芸人の中年男(ロートン)。なんだかだと世話を焼くが女は若くハンサムな作曲家(レックス・ハリスン)についてとっとと出て行き、女優にまで登りつめる。一方、捨てられた大道芸人ロートンの零落っぶりが見事で、(彼の映画はみなそうなのだが、)これも忘れられないキャラクターだ。チャップリンの「ライムライト」の元ネタとも言われている。個人的にはローレンス・オリヴィエの「黄昏」に近いように思えるが。このあとリーは先に渡米していた恋人オリビエの後を追い、ハリウッドでセルズニックにスカウトされて「風と共に去りぬ」に主演する。この映画のストーリーそのままだ。また、レックス・ハリスンが出演していることから、「マイ・フェア・レディ」と重ねることもできる。
そして第3作は、ヒチコックのイギリス最後の作品となった「岩窟の野獣」(1939年)だ。原作はダフネ・デュ・モーリア。このあとヒチコックがセルズニックに招かれてハリウッドで撮った第1作「レベッカ」は、同じデュ・モーリアの小説が原作だ。
プロデューサーも兼ねていたロートンは主演女優に無名の新人モーリン・オハラを抜擢した。ヒチコックは映画の出来には満足しなかったようだが、映画は大ヒットし、オハラの知名度も一躍上がった。
前述のようにメイフラワー社が解散するとオハラは活躍の場をアメリカに求めて渡米し、RKO社へ入社する。そこで撮ったのが「ノートルダムの傴僂男」(1939年)で、大柄な彼女がヒロイン、エスメラルダを堂々と演じていてほれぼれする。彼女の快進撃はこのあとも続き、その燃えるような赤毛から「テクニカラーの女王」と呼ばれ、またジョン・フォード一座に加わって一連の作品で最高のヒロイン役を演じて行く。
この「ノートルダムの傴僂男」でカジモドを演じているのがロートン。才能のある男性は女性たちが巣立って行っても落ちぶれたりはしないのだな。
当時18歳のモーリン・オハラと。
「怒りの器(未)」より。白いスカートの聖職者がエルサ・ランチェスター。
「セント・マーティンの小径」より。
同上。
「岩窟の野獣」より。扮装が怪し過ぎ。
同上。
「ノートルダムの傴僂男」より。エスメラルダを演じるオハラ。
カジモドのメイクが怖すぎるので、顔の見えない写真を載せた。
フォードの名作「我が谷は緑なりき」(1941年)のオハラ。
「1960年代、オーソン・ウェルズは好きな監督は誰かと聞かれ、『昔の巨匠たちだ』と答えた。
『つまり、ジョン・フォードや、ジョン・フォードや、ジョン・フォードだ。』」
唯一の監督作となった「狩人の夜」の原作本を、主演のロバート・ミッチャムと。
ミッチャムに演技をつけるロートン(中)。
バイデン大統領はアイビー・リーグ出身ではないが、いいネクタイを締めていることが多い。
このひとも、いつも面白いネクタイを締めている。
個人的な感覚で言うと、日本国内でのレジメンタルストライプのネクタイの割合は、左下がり(ヨーロッパ風)が9割以上、右下がり(アメリカ風)が1割以下だ。
街を歩いていて、右下がりのひとに会うことはめったにない。
なのに、政界は後者の人口密度がやけに多いのはなぜか。
隠れ権力願望、隠れプチブル志向か。
例えば、ちょっと前に話題になったこの方。C大で真摯に学んだ日々のことを忘れたか。
意外なのはこの方。そもそも、赤いアイビーって聞いたことがないんですけど?