フォートナム&メイソンでアップルパイを買いました。
小ぶりながら1100円とリーズナブルで、さらにパッケージが素敵です。
ただ、シナモンがかなりきいた「大人の味」なので、自分で食べる分はいいのですが、お子さんがいる家などへのお土産にするのは難しいかもしれません。
というか、もうアップルパイをありがたがるひとっていないのでしょう、とにかく見かけなくなりましたよね。
売れない画家のNにもやっと陽の目が当たってきたらしい、先日、地方の美術館から比較的大きな作品の購入の申し出があり、もう何点か追加で検討中だとの連絡が画廊を通じて届いていた。
Nは画商から代金の一部を前借りすると、祝杯をあげる代わりにスケッチ箱(木製の画材入れ)を新調した。
包装を解くと、濃い木の香が部屋を満たした。
細かく仕切られた内側の一番良い場所に、彼はいつもメインに使っている絵筆を真っ先に置いた。
ほっそりと長い柄と黒々とした豊かな筆毛のコントラストがいつ見ても美しく、彼にはいささか高価すぎるスケッチ箱も、よく似合っていた。
アルバイトでたまたま訪問した先の老婦人から譲り受けて、ちょうど10年になる。
この筆とともに彼は自身の代表作と内心自負している作品を次々と描いた。
初めの頃は、この絵筆は前の持ち主といったいどんな傑作を描いてきたのだろう、と想像して焦りを覚えることもあったが、今は気にならなくなっていた。
「これからも僕は僕でいい絵を描いて行く、それだけさ。」
Nが独り言を口にすると、スケッチ箱の中でコトリと音がした。
「トゥナイト」同様、イギー・ポップが歌詞を書き、デヴィッド・ボウイが曲をつけた「チャイナ・ガール」は、当時まだ珍しかったストーリー性のあるビデオクリップの効果もあってボウイのバージョンが1983年に大ヒットしている。
シュールな歌詞の中でもとりわけ印象的なフレーズを、僕は今でも時々無意識に口ずさんでいることがある。
My little china girl
You shouldn't mess with me
I'll ruin everything you are
I'll give you television
I'll give you eyes of blue
I'll give you a man who wants to rule the world
きみにテレビをやる
きみに青い瞳をやる
世界征服の野望をいだいた男をやる
うまく言い表せないのだけれど、絞り出すような真情の吐露が、かなり飛躍した歌詞なのに、僕にはダイレクトに伝わってくる気がするのだ。
試しに英詞を3行、声を出して読んでみるといい。
日頃親しくしている小規模多機能ホームカムパネルラのN管理者から、実地指導にかかる各種書類の整理を依頼された私は快く引き受け、ホームへと向かった。
Nさんはなにごとも慎重に進める、穏やかな性格の女性だった。
テーブルをはさんで向き合い、どのように仕分けてほしいのか大まかに聞き取って、すぐに作業にかかった。
少ししてふと顔を上げると、N管理者の手が止まっている。
そればかりか、大きな目は涙で潤んでいた。
どうしたの、と尋ねると、彼女は話し始めた。
古い契約書やケアプランなど、どの書類を見ても、退職された上司の優しい面影が思い出されてとても寂しくなる。
特にこの事務室には自戒のメモ書きがあちこちに残っているし、参考文献を開くとやはりメモや付箋があって、あの方も迷ってこのページを読んだのかな、その時部下だった私は何もお役に立たなかったな、と申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
この管理者の席に座って仕事をしながら思うのは、そのドアから上司が現れて、以前のようにNさん大丈夫?と声を掛けて下さらないかな、ということばかりなの。
私は言った、そういう時は、その方がまだNPO法人なごやかのどこかの事業所にいらっしゃると思いましょうよ。いなくなった、ではなく、どこかにいらして、私たちをこれまでと同様に気にかけて下さっている、と。
「できるかしら?」
Nさんは顔を上げ、涙をぬぐった。