5月末に東京での姪の結婚式・披露宴に参列した。
結婚式は新型コロナ感染症が蔓延する前から出席がなかったので、5年以上ぶりだ。
巨大な老舗ホテルでモーニングをりゅうと着こなす機会をくれて、本当に孝行娘である。
面白かったのは、新婦(姪)は進学のため上京してそのまま東京に残った父母を持つ「東京第二世代」で、新郎は進学のため上京しそのまま就職した「東京第一世代」だったこと。
これは意外と大事で、実際、親族の円卓を囲んだ僕たち4兄妹(かつての「東京第一世代」)は慣れて落ち着いていたのだが、相手方の父母はアウェイで居心地が悪そうにしていた。
また、式も披露宴も、隅ずみまで姪の強い意志が行き渡っているのが見て取れて、驚くとともに新郎さんはいろいろ大変だったろうな、と勝手に想像した。
ともあれ、合計7人いる従妹たちでこの姪が嬉しい先陣を切ってくれたわけだが、次はだれが続くのか。ウチの子たちか。こればかりはわからない。
スケジュールがぽっかり空いた今日、思い立って七夕飾り用の笹竹を採りに出かけた。
いつもの採取場所は手前のきれいな若竹をほぼ採り尽くして、次からは少し奥まで分け入らなければならないが、クマに襲われるのが怖いので来年は場所を変えようかと思う。
切り出した笹竹は各事業所内の配置場所を思い出しながら長さを整え、ある程度枝を落としてから軽トラックに積み込む。現地での作業は最小限にしたい。
ではまず一番近い階上・面瀬地域包括支援センターからと走り始めたら、8000番の車の隊列とすれ違って驚いた。
グループホームポラーノのドライブらしい。
きみたちのホーム、次なんだけどな。
案の定、カギがかかっていた。
市内すべての事業所を訪問するので、このほかにもさまざまなことがある。
グループホームぽらん気仙沼では避難訓練中で消防車が園庭いっぱいに駐車していて入れない。
最後に寄ったぽらん気仙沼デイサービスはお昼寝の時間になっていたので笹竹は外に置かせてもらう。
それでもなお、今日は一年で一番面白い日だ。
異動させた職員、産休明けの職員、新採用の職員、新しい利用者様などと言葉を交わし、このひとたちの生活を守る責任を、改めて実感した。
旧暦で祝う他施設もあると聞くが、個人的にはやはり7月7日に祝いたいものだ。
当て職の肩書の関係で、弘前市で開催される学会へ出席することになった。
半年ほど前にあちらにいる法人職員OGから近況報告のメールをいただいていたのを思い出し、弘前名物と言われるレトロなカフェのどれかへ案内してくれないかと依頼したところ、少し間があってあまり気乗りしないような雰囲気の、それでも承知したとの返信があった。
どうもしくじったかな、と思っていたのだが、その理由は当日明らかになった。
指定されたお店の入り口までたどり着いたその時、見覚えのある軽自動車が駐車スペースに停まり、当のOGが下りてきた。
それが、右足を引きずっており、マスクを着けた小さな顔の左側がはれ上がっている。
お久しぶりです、こんなありさまですみません、と頭を下げた彼女は大儀そうに店内に入り、席に着いた。
驚きを隠せないでいた僕は思わず尋ねてしまった。
ねえ、きみ、それまさかDVじゃないよね?
メニュー表から顔を上げた彼女はやっと笑顔を見せた。
「相手もいないのに?」
弘前に戻って間もなく感じ始めていた体の違和感が日に日に大きくなり、受診したところ、リューマチの症状によく似た血液の病気と判明したという。
あごは顎関節症が進んでひびが入ったそう。
そういうわけで、こちらで見つけた仕事も辞めざるをえず、両親と子供たちと、ひっそり暮らしています。情けなくて、と彼女は大粒の涙をこぼした。
照る日もあれば曇る日もある、土砂降りの日だって。でも、全体的に晴れの日が多ければオーケーなので、そうなるよう心がけて行こうよ。大丈夫だから。
「理事長の大丈夫だから、を久しぶりにいただきました。何の根拠もないのに、相変わらずほっとします。」
マスクの上のまなざしがいくぶん和らいだ。
ちょっと顔を直してきます。
ゆっくり慎重に立ちあがると彼女は化粧室へ消えて行った。
僕は財布に入っていた札を全部取り出し、二つ折りにして手早くイスの上の彼女のバッグへ深く押し込んだ。化粧ポーチを戻しても気づかれないように。
カウンターの中の店員と目が合ってしまったので、照れ隠しに言った。
「こちらの支払いはカード使えますよね?」
「もちろんです。」
店のドアを開け、車のドアを開けてOGを帰路につかせた僕は大きく背伸びした。
旅費も尽きたし、さあ、けせもい市に帰るか、学会なんぞサボって。
「ブルースはロックの親父やけん、リズム&ブルースは叔父さんや。6月9日はロックの日やろ? 6月10日はブルースの日ったい。」
昔、マコちゃん(鮎川誠)が下北沢音楽祭のステージ上で言い放った。
以来、僕はこの日が来るたび、ぼんやりとだが、今日はブルースの日やね、と思う。
初めてブルースの生ライブに行ったのは高円寺のライブハウスJIROKICHIで、1981年の冬だった。
まだ二十歳そこそこだった僕は、入場した途端、あー、やめればよかったと後悔した。
スカスカの客はみな長髪の年長の男性たちで、むさくるしいことこの上ない。
さらに、テーブルに着くと、常連らしい隣の客からさっそく話しかけられた。
おにいさん見かけない顔だけど、初めて?
はい、こちらに来るのは初めてです。
どんなレコード聴いてるの?
(来たよ、ここで間違えたらさらに地獄の時間になる。)
「スリム・ハーポとか、ジョン・リー・フッカーとか、ブギーが好きです。「ラスト・ワルツ」を観てポール・バターフィールドがカッコいいなと思っています。」
この返答が意外にも気に入られたらしく、若いのにセンスいいねと褒められた。
嬉しかった。
さらに嬉しかったのは、ステージに登場したホトケ(永井隆)の1曲目が、リトル・リチャードの「シェイク・ア・ハンド」だったこと。
当時スぺシャリティ・レコードから復刻発売されたばかりの初期オリジナルアルバム3枚の、3枚目に収録されているロッカ・バラードだった(のちにポール・マッカートニーもカバーしている)。
マディ・ウォーターズやウイルソン・ピケット、ルーファス・トーマスのカバーで大いに盛り上がったこの夜を境に、僕はさらにブルースのレコードを買い漁って行くことになる―。
再結成されたウエスト・ロード・ブルース・バンドの、たぶん1984、5年の映像。ホトケのスーツに見覚えがある。マディ・ウォーターズの「Ⅰjust want to make love to you」。
マーティン・スコセッシ監督「ラスト・ワルツ」(1978年)より、ザ・バンド+ポール・バターフィールド(ボーカル&ハープ)の「ミステリー・トレイン」。