先日、職員の結婚披露宴の最後に、万歳三唱があった。なんだかとても久しぶりのような気がした。
歳をとったせいか、どうせ行なうなら一つ一つの所作をきれいに、という思いが強い。
上手い下手はあるにしても、心掛け一つのものもある。
万歳などは、それが顕著に表れる。
選挙の際にはチャンネルを回しながら、他者のそれを見るのも楽しい。
K山元幹事長の子息だけあってとてもきれい。
腕が短いのもかえって雄々しく見えて、いい。
H野元復興相。こちらも美しい。
ただ、隣の令夫人は頭を下げた方がいい。
それは男尊女卑とは全く関係がなくて、男性が似合わない所作があるように、単に万歳が女性に似合わないポーズというだけのことだ。
こちらは大物揃いなので、やはりうまい。御発声はDAIGOの大叔父か。
I破令夫人も、頭を下げた方がきれいだ。
こちらもきれいに揃っているだけに惜しい。H令夫人は体操のお姉さんに見えてしまう。
A副総理の貫録の万歳。頭を下げている令夫人はS木Z幸元首相のお嬢様。
H市長もこれはやめた方がよかった。「トップセールス」※もお手上げ状態?
「ラジオ体操第一」気味の右後ろに対して、左後ろのM代議士は(多分にカメラを意識しているのだろうけれど)とてもきれいだ。
※H市長がモデルのNHKドラマ
悪い例。これは全員ひどすぎる。
Yさんは私が担任を務めていたクラスの隣りに赴任してきた産休代替教員だった。
私たちは年が近いこともあってすぐに仲良くなった。
休み時間にはお互いの仕事に対する夢を語り合い、休日は二人して出かけて美味しいものを食べ歩いたりした。
そのうちに彼女の任期満了の日が近づいてきた。
私も今年度限りでこの学校を離れ、県南への転出の内示を受けていた。
Yさんはとても清々しい、一服の涼風のようなひとで、別れたあとなどは、それまで本当に一緒にいたのだろうか、気のせいだったのではないかとの錯覚をいだくほどだった。
私は卒業式が終わるとYさんが跡形もなく消えてしまい、自分がひどくがっかりするのが怖くて、ほんの少しずつ彼女との距離を取り始めた。
一種の自己防衛だった。
彼女がそれに気づいていたかどうかはわからない。
そして当日、私たちはありきたりな挨拶を交して別れた。
私は必死に涙をこらえながら、彼女の後ろ姿に向かって心の中で頭を下げた。
翌日、引越しの荷造りを終えた私は、足しげく通いお世話になった喫茶店を離任の挨拶に訪ねた。
すると、なんとしたことだろう、入り口でYさんとばったり顔を合わせた。
彼女もまた同じ思いでここへやってきたのだ。
私は思わずYさんの手を取り、詫びた。
「離れ離れになる私たちの物語はこれで終わるのだとさびしく思っていたのだけれど、こんな風にあと数行、数ページ残っていたなんて。本当にごめんなさい。」
アルファヴィルのオーナーがドアから顔を出した。
「あなたたち、立ち話などしていないで、早く入って。二人の第二章は暖かい当店内でお始めなさい。」
「ジェラス・ガイ」はジョン・レノンのアルバム「イマジン」(1971年)の収録曲。レノン射殺(1980年)の翌年にロキシー・ミュージックが追悼の意を込めてカバーしたシングルが大ヒットしている。
これはバンドリーダーのブライアン・フェリーのソロライブ(2007年)の映像。
ロキシー・ミュージックは紆余曲折があり、ボーカルのフェリーとサックス、ギターの3人だけが正式メンバーで、あとはその都度セッション・ミュージシャンを加えてレコーディングやライブを行なってきた変則バンドである。
その長いキャリアの中で、ロック界一のダンディ(死語?)と称されたフェリーは、どこから見つけてくるのかと感心するほど、美人ミュージシャンたちをその時々のステージに上げてきた。
半面、フェリーはとても義理堅い男らしく、クリス・スぺディングという名セッション・ギタリストを40年以上に渡って使い続けている。
今年行なったライブツアーも、御年73歳になったスぺディングを帯同している。
たぶん彼にとっての守護神、後ろにいると絶対負けない気にさせてくれるメンバーなのだろう。そんな出会いがあったフェリーは本当に幸せだと思う。
上の「ジェラス・ガイ」の映像には3人のギタリストがいるが、スぺディングは中盤で短いギターソロを弾いている太った白髪のオジサン。
僕が彼のソロレコードを買い始めたころは、上下革ジャン姿で痩せて凄味のある美男子だったのだが、、。
ジェラス・ガイ
過ぎてしまったことを夢見ていた そして
おれの心臓は早い動悸を打ちつづけていた
おれは 自分を押え切れなくなっていた
おれは 自分を押え切れなくなっていた
きみを傷つける気なんか なかったんだ
泣かせたりしてすまなかった
きみを傷つける気なんか なかったんだ
おれは ただのやきもちやきなのさ
おれは心配だったんだ
もうきみは おれを愛してくれないかと 思ったんだ
おれは心の中で ぶるぶる震えていたんだ
おれは心の中で ぶるぶる震えていたんだ
おれは きみの眼をとらえようとしたんだ
きみが隠れようとしていると思ったから
おれは 痛みを呑みこんでいたんだよ
おれは 痛みを呑みこんでいたんだよ
(片岡義男訳「ビートルズ革命」より)
I was dreaming of the past
and my heart was beating fast
I began to lose control
I began to lose control
I didn't mean to hurt you
I'm sorry that I made you cry
Oh my I didn't want to hurt you
I'm just a jealous guy
I was feeling insecure
You might not love me anymore
I was shivering inside
I was shivering inside
Oh I didn't mean to hurt you
I'm sorry that I made you cry
Oh my I didn't want to hurt you
I'm just a jealous guy
I was trying to catch your eyes
I thought that you were trying to hide
I was swallowing my pain
I was swallowing my pain
I didn't mean to hurt you
I'm sorry that I made you cry
Oh my I didn't want to hurt you
I'm just a jealous guy
watch out baby I'm just a jealous guy
Look out baby I'm just a jealous guy
歴史や政治が証明しているように、男の嫉妬は女性のそれの数倍、ことによっては数十倍なので、巻き込まれないよう注意を払っている。
太宰治の未亡人の回想録にこんな記述がある。
「当時A氏の『Y』という長篇小説が評判で、私は太宰に会ったとき『Y』のことを話題にした。話題にしただけなのだが、これはよくなかった。そのときは何も言わなかったが、あとあとまで、「お前はAの『Y』をいいなんて言ったね」という言い廻しで、太宰という作家を前において、他の現存作家の名や作品を口にしたことをなじった。」
「回想の太宰治」津島美知子(昭和53年、人文書院刊)
東京女子高等師範学校(のちのお茶の水女子大学)卒の美知子夫人の、婚約中のエピソードだが、今風に言うと、「やらかした」だ。この本を読んだ時、僕は十代の終わりだったけれど、それでも、これはいけませんねえ、と思ったものである。
今夜はNPO法人なごやか理事長のお供で銀行の上得意様会に出掛けてきている。
理事長がそわそわしているのは、旧知の間柄の老健の常務理事が出席されているからのようだ。実際、顔を見つけると早速、円卓の隣の席に座った。
お互い法人の創生期に、いくぶん荒っぽい方法も使いながら業績を伸ばした同士で、地理的に衝突しそうになった際は腹を割っての話し合いで回避したこともあったと聞いている。
理事長が言うには、最大の好敵手にして大恩人なのだそうだ。
福法組(福祉施設等運営法人組合)の前組合長が単に気に入らないからと緊急動議を上程して解任しようと画策したり、共同出資して株式会社を設立、高専賃(現在のサ高住)の市内での一斉開設を計画したり。
二人の、若気の至りに近い破天荒な思い出話に、私は驚きの念を禁じ得なかった。
野山を駆け巡って戦闘に明け暮れながら切磋琢磨した日々が一番充実していましたね、切り取り御免がなにより楽しかったですね、と理事長は笑った。
こんな比較は伊達政宗公に失礼だけれど、乱世が急に終わり、太平の世の中に強制的に組み込まれて荒ぶる魂の持って行きどころを失ってしまった戦国武将たちの寂しさが、今夜は女性の私にも少しわかったような気がしていた。