山本富士子の映画は、やはりミス日本だけあって、時代劇や和服姿の純日本調現代劇・文芸作品が多い。
ざっと挙げてみると、林不忘の「丹下左膳」、尾崎紅葉の「金色夜叉」、泉鏡花の「湯島の白梅」(「婦系図」)、「白鷺」、「日本橋」、「歌行燈」、志賀直哉の「暗夜行路」、井上靖の「氷壁」、(彼女が映画界から逐われる原因となった)「憂愁平野」、谷崎潤一郎の「春琴抄」、そして「細雪」。ほかに珍しいところでは、川端康成の「川のある下町の話」、高見順の「如何なる星の下に」。
昭和35年(1960年)制作の「墨東綺譚」も彼女が主演だった。
映画の印象は永井荷風の原作に驚くほど近かったのだが(たぶん大映ではなく東宝作品だからか)、薄幸のヒロインを演じる山本が顔も手も体もまるまるとして貫禄十分で、玉ノ井にこんな健康的な女娼など居そうにないと思えてしまう。
共演が鶴のようにやせて深刻な芥川比呂志だからよけい目立つのかもしれない。
「墨東綺譚」は1992年に新藤兼人監督で再映画化された。主役の津川雅彦が生理的に苦手なため封切時には観なかったが、お雪を演じた墨田ユキはとても雰囲気があった。
その後、NHKで94年正月に放映された「新藤兼人が読む・正岡子規の病牀六尺」というドラマの中で、正岡律(妹)を演じていた。「坂の上の雲」で菅野美穂が演じた役柄だ。
献身的な菅野のキャラクターとは違い、死の床にあって情緒不安定な正岡子規(木場勝巳)を母八重(渡辺美佐子)と二人して励まし、時にからかったりいなしたりする軽妙な役どころがこれまたよかった。夏目漱石は風間杜夫が、高浜虚子は塩野谷正幸が演じていた。
勝手に私のボーイフレンドを気取る大学のクラスメイトの男の子はひどいおっちょこちょいで、私はあまり評価していなかったのだが、先日、デパートの物産展へその土地の名菓を一緒に買いに行ったときのことだ。
週末でひどく混んでいて、どのブースでもレジで待たされた私はやや機嫌を損ねていた。
それが下りのエレベーターに乗り込んで間もなく、途中の階でドアが開いた。
ドアの前には不安そうな表情の老婆が立っていた。
「下へ行きますよ!」
開ボタンを押しながら、彼が間髪を入れず声を掛けた。
優しく、しかも、100万ドルの笑顔で。
老婆の顔はぱっと輝き、何度も頭を下げながら、乗り込んできた。
私はというと、その老婆と同じく、彼の行為にハートを射抜かれたようだった。
ひょっとして、これがいわゆるマジックタイムというものかも。
けれども、この日はそれで終わらなかった。
そのあと私たちはファミレスでそれぞれパスタを食べた。
すると彼は、ここはオレがおごるから、と言い出した。
私は私で、二人とも学生なのだから、割り勘でいいよ、と断った。
きみはガンコだな。あなたこそ見栄っ張りな。
レジの前で押し問答を続けていると、彼はポケットから取り出した財布を勢いあまってファンブル(お手玉)して床に落とし、硬貨やポイントカードが派手に散らばってしまった。
私は涙が出るほど笑いながら、しゃがみこんで硬貨を拾い集めた。もちろん、声を押し殺し、彼に背中を向けて。
この話は父にはしないでおこうと思った。
話したらきっと、その男の子と結婚するのがいい、一生笑って暮らせるよ、と言うだろう。
なにせ、ウチのお兄ちゃんとよく似たタイプだから。
あーあ、なぜ、私の周りにはこういう男の子ばかり集まるのだろう?
今度はおじいちゃんか。
夏休みの終わりに運動部の寮で新型コロナウイルス感染症の大規模クラスターが発生したため二学期の授業がほぼリモートになってしまい、私は大学に戻りそびれていた。
「気仙沼の娘が他の町の男に持ってかれる話など、ちっとも観たくないな。シゲルくん(菅原茂市長)もこんな展開になるとわかっていたら、あんなに一生懸命宣伝しなかったろうよ。少子化対策や過疎対策、若者定住に力を入れているのだから。ねえ、ミーちゃん。」
最後はついでに私への圧だ。
そそくさとその場を立ち去った私は、1階の父親の個人事務所へ寄って今の出来事を話した。
父は快活に笑った。
「そうか。自分の娘が東京で歯科医の卵と恋愛結婚した時は、だいぶ自慢していたように記憶しているけどな。ダブル・スタンダードだね。ねえ、ミーちゃん、パパは生涯一匹オオカミで通してきたけれど、年を取ったせいか、もうひとと別れるのが嫌になった。どうだろう、おかえりミオってことで、きみの魅力に引っかかった男の子でも一緒に連れてきてくれると、パパはすっごく嬉しいんだけどね。」
うわー、朝からダブルで圧がかかっている。一刻も早く大学に戻らなければ!
今年の晩春から初夏にかけては少しこざっぱりとした服装で過ごしたいという気持ちが強くて、実際スーツなど仕立てたものの急に暑くなり、もうそれどころではなくなった。
結局いつもの夏と同じく、プライベートはいつものポロシャツをとっかえひっかえ着る羽目になった。
ブルックス・ブラザーズのゴールデンフリース・ポロやラルフ・ローレンのレギュラーポロとビッグ・ポニー、それにフレッド・ペリー。なにも変わらなかった。
ブルックスのポロは、初め本国アメリカ製だったのがいつの頃からか香港、インドネシア、ジャマイカ、ペルー、スリランカ、中国など毎年のように生産地が変わり、そのたびサイズ感が微妙に変わって困惑させられ続けた。さらにはセカンドラインのレッドフリースやスリムフィット、混紡のものも開発され、いったいどこへ向かっているのかよくわからなかったが、昨年夏の本社倒産という大ニュースに接した際はある意味納得するものがあった。
リモートワークや休日の増加でほぼ毎日ポロシャツを着ているうちにだんだん面白くなってきて、これまでタンスの肥やしにしていたものもすべて一度袖を通し、やはり今も着心地が良くなければその日のうちに果敢に処分した。
そうして残ったものを、たぶん来年も着るのだろう。
裾脇のスリットが綻んできていたものを同級生が営んでいるユニフォームなどの仕立屋に持ち込んで修繕してもらった。
一枚800円。
これであと2シーズンは着れるだろう。
あと2シーズン生き永らえているかどうかはわからないが。
地元紙に年5、6回程度掲載されている介護サービス法人特集の広告へ、当法人は本市出身で在京のプロの漫画家さんに前回8月の暑中見舞い企画でイラストを依頼した。
それがとても素敵な出来栄えだったことから、今回の敬老の日企画も描いていただいた。
いかがでしょう?