レイ・リオッタ(男優)の訃報に接して、「グッドフェローズ」の名シーンなどを思い返しているうちに、彼が出演したテレビドラマシリーズの一篇「家庭のジレンマ」に行き着いた。
NHKBSで吹替版が放送され、ビデオも発売されていたこの「女と男」シリーズ2(1991年)は、ヘミングウエイやアーウィン・ショー、ヘンリー・ミラー、メアリー・マッカーシーといったアメリカの著名な作家の作品中から珠玉の短編を選んで映像化した好企画だった。
「家庭のジレンマ」は大好きな女流作家カーソン・マッカラーズが原作だ。
マッカラーズの作品の多くは神秘的でいて直情的、悲哀の中に滑稽さがあり、読むとそのあと、熱に浮かされたように、そのことばかり考えている自分に気づく。
中学生で彼女のデビュー長編「心は孤独な狩人」(新潮社)が原作の「愛すれど心さびしく」を初めて観て以来、長い人生の中でそんなことが何度もあった。
驚いたことに、「家庭のジレンマ」と同じ短編集に収録された佳品中の佳品「木、岩、雲」が2017年に映画化されている。
マッカラーズの故郷、コロンバス州立大学内に設立されたカーソン・マッカラーズ・センターが製作総指揮を務め、女優カレン・アレンの監督デビュー作となった。
アレンと言えば「レイダース失われたアーク」のヒロイン役の印象が強いが、ミニテレビシリーズ「エデンの東」(ジョン・スタインベック原作)のアブラ役やポール・ニューマンが再映画化した「ガラスの動物園」(テネシー・ウイリアムズ原作)のローラ役を演じており、資格?は十二分だ。
この白黒の短編映画は、予告編を見た限りでは原作のエッセンスをよく湛えており、視聴するたび、また僕はマッカラーズのことばかり考えてしまうのだ。
「こういうことだ」と男は話を続けた。「オレはさまざまなことを感じる人間なんだ。これまでの人生で起こったことはみな深く印象に残っている。月の光。美しい女の脚。つぎからつぎに。ただ問題は、オレが何を楽しんでいても、そこに奇妙な感覚が生じることだった。あたかもそれがオレから離れて行き、まわりを漂っているような。なにひとつ完成せず、ほかのものとぴったり合う感覚もない。女はって? 多少はあった。でも、同じだった。終わってしまえば、オレから離れて漂うだけ。オレは愛することができない人間だったんだ」
「そんなとき、オレはあの女と出会った。オレは51歳で、あいつはいつも30歳だと言っていた。ガソリンスタンドで出会って、それから三日後に結婚した。どんな感じだったかわかるか? 口では言えないな。いままでオレが感じてきたことすべてが、その女のまわりに集まってきた。もう何もオレから離れて漂ったりせず、女のおかげですべてが完成したのだ」
「つまり、これら美しい感覚と、バラバラのささやかな喜びといったものが自分の中にはあった。そして女は、言わばオレの魂の組み立てラインのようなものだった。オレの小さな部品をベルトコンベアに載せ、彼女を通すと、オレという人間が完成する。わかるか?」
中段、ボー・ブリッジス主演の「ブルックス・ブラザーズのシャツを着た男」(マッカーシー原作)。
B.B.のHPにも記述がある。
地元紙が企画した介護サービス法人特集の初夏の広告へ、当法人はまた本市出身で在京のプロの漫画家さんに依頼したイラストを掲載しました。
今回は入学・就職の時期に、同じ法人で働く若い職員たちがお花見をかねて集まり、記念撮影した写真が出来上がってきた、というイメージで描いていただきました。
よく見ると、これまで登場したキャラクターが全員集合しています。
ぜひ、前の広告と照らし合わせてみてください。
最終的にはこんなカンジにしたいかな(冗談です)。
「さらば青春の光」(1979年)より
二年程前にパーカーのジョッター・ラインからボデイに桜の模様を刻んだ日本限定のジャパン・ビューティ・シリーズが発売された。青海波と桜が描かれたギフトパッケージもとても素敵だった。
名前に桜の字が入っている娘に贈ろうかと考えたが、今の学生さんはそれぞれお気に入りのシャープペンシルとリングノートで快適に勉強している。そこに無理強いしてはと思い返して断念した。
僕自身は年季の入ったパーカー使いだが、大男で手も大きく、ジョッターはやや細く小さすぎるのだ。
最近ではジョッターXLという、レギュラーより7%長いものも発売されていて、こちらにはボデイが全身ピンクや金という攻めたモデルまであるのだが、従来安価なジョッターにしてはいいお値段に設定されている。
パーカーについては、値段の割にノック音やノックした時の感触が安っぽい、という購入者のレビューが散見される。
たぶん、そこにこだわっているのは(いい意味で)日本人だけだと思う、世界中で。
似たような例なのだが、英国車のジャガーのウインカー音は性急で重厚さに欠ける。これは僕以外のオーナーさんが話していた。
また、米国車のリンカーンやキャデラックのクラクション音は相当間が抜けている。パオ―ーンと鳴らすと、インド象か、とのツッコミが来そうなほどだった。(来日中のバイデン大統領が、エアフォース・ワンに積んできたプレジデンシャル・キャデラックに乗っていた。)
思うに外国製品は、それをすべて受け入れる心構えがないと、使用しても、所有しても気持ちよくならない。それができないのなら、つまみ食いしないで最初から国産オンリーにしておくのが精神衛生上よろしいだろう。
話題がそれた。
僕はパーカーの中でも廉価なラインのIMシリーズが一番手になじむ。
現在はボディがブラック、ベージュ、金と銀のツートンの計3本のIMを日替わりで胸ポケットにさしていることが多い。
コロナ前まではレジカウンターや窓口で相手の差し出したペンを断るのはやや申し訳ない気持ちが先に立ったけれど、今はその理由もできた。ただ、誤解のないように書いておくと、相手のペンが嫌で触りたくないのではなく、相手のペンに自分の指紋をつけてしまうのが嫌だっただけだ。
とある法人の施設長さんがいらして、経営改善のためにお知恵を拝借したい、と言う。
いやー、知恵をお借りしたいのはこちらの方です、と答えてはみたものの、お役に立てばと考え直し、当職でよければ何でも尋ねてくださいと話したところ、本当にさまざま、こまごま尋ねられた。
けれども、それに即答しているうちに面白くなってきて、僕の方からも相手の施設について質問したりと、だんだん剣術の試合のようになって行った。
活動車の台数、福祉車両としての減免申請は行なっているか、購入かリースか。
敷地内外の看板の数、
コピー機とノートを含むPCの台数、
事務機のメンテナンス業者、
各種マニュアルはデータ化されているか、
デイサービスの昼食代、
シーツやタオルなどリネン類の納入業者、
給付管理ソフト、
介護記録アプリ、
食材の購入先、
収支は減価償却後に黒字か(!)
補助金申請は貴職がおもに行なっているのか、
職員の新規採用は?
機械浴装置は新湯式か循環式か?
照明のLED化は?
今年度のケアマネジャー資格試験を受験する職員はいるか。
車両任意保険はフリート契約か?
—などなど、1時間を超えたころには、二人とも揃って肩で荒く息をついていた。
それにしても、相手がとてもいい表情をしている。
玄関で見送りながら僕は思った、経営者は孤独なものだけれど、きっとこの施設長さんも、一人で考えなければならないことが多過ぎるのだろう。
いつでもまたどうぞ。彼の背中へ、僕は本心からそう声を掛けた。
また源義経公の話題から始まる。
藤原秀衡公の遺言に背き、四代泰衡は義経公を亡き者としたが、それを口実にした源頼朝の奥州征伐に遭い、栄華を極めた奥州藤原一族はあっけなく滅んだ。その、驚くべき弱さ、負けっぷりは昨今のロシア軍に通じるものがあり、また同じ東北人としてお恥ずかしい限りである。
織田信長の甲州征伐に際しての武田家もよく似た負けっぷり、張り子の虎ぶりだ。
長篠の合戦で敗れながらも、父信玄公の時代より領地を拡大させていた三男勝頼だったが、強い方へとなびいて自領を守る家臣たちの寝返りに次々と遭って、総大将の長男織田信忠の侵攻はさながら電車道だった。武田勢のあまりの敗退のスピードに、隣国の上杉や北条は真偽のほどを掴みかねていたほどだった。
勢いづいた(調子に乗った)信忠は諏訪大社に火をかける。
同年、信長と信忠親子が本能寺で横死すると、ひとは諏訪大社の神罰だと噂したという。
有事におろおろしないよう、平時に兵の練度の向上に努め、装備の最新鋭化を図り、領地経営を確実に行なうとともに外交にも力を注ぐ。これは現代の会社経営と全く変わらない。そのことを、この残念なドラ息子たちは身を持って我々に教えてくれているのだ。
高橋英樹の秀衡公は容姿が東北人にしては垢抜けしすぎているが、とにかく立派で泣かせるキャラクターだった。男子たるもの、こうありたい。