決裁印をもらおうとNPO法人なごやか理事長の執務室に入ると、机に座った彼は一枚のハガキを斜めに眺めながらニヤニヤしていた。
どうしたのですか、と尋ねると理事長はそのハガキを私に差し出した。
転勤して行った若い営業マンが新任地への着任の挨拶をくれてね、その内容が嬉しかったものだから。僕は(東日本大震災でとんでもない目に遭っているので)社交辞令はなしですよ、と常々言っていたのだけれど、どうやらこのハガキもそのようだよ。
『何から何までわが子のようにお世話していただきありがとうございました。理事長様の経営力には感心させられることばかりで、お会いできて本当に、本当に良かったです。』
私は思わず吹き出しそうになった。確かに、社交辞令なしだ。
「これには前段があってね、離任の挨拶に来た際に、同行してきた上司へ言ったんだ、この方があまりに若いので、どのように接しようか、考えた末に、いっそのこと娘婿と思って丁寧に扱おうと。
それが上司にウケて、何度もヒジでつんつん突つかれていた。
ところがそのあと、別れの挨拶ももう済ませた転勤の当日、玄関チャイムが鳴るので出てみたら汗だくの彼が立っていてね、転勤前のノルマが達成できなくて、恥を忍んで理事長にお願いに上がりました、と。」
「ああ、いいですよ、と僕は名前を書き、実印を押した。
転勤して行く、いわばもう何もメリットがない私に、申し訳ありません、と頭を下げるので、いえいえ、私の願いは、困った時に真っ先に頭に思い浮かぶひとになりたい、ですから。それに、年を取ったので、見返りなど要らなくなりました。いや、若いころから求めていないかもしれません。」
そう言って、今度は本当に別れた。
「強いて言えば、本気の見返りは、本気が欲しいかな。」
私は内心ため息をついた、それがあなたと付き合うひとたちには一番大変だと思うのですが!
40年たって、頭も記憶も、もうぼんやりしている。
ちょうど40年前の1983年10月23日、神宮外苑の日本青年館でルースターズを観た。最高のライブだった。
そこからの連想で、ではジョニー・サンダースの新宿ロフトでのシークレット・ライブはその翌年だったかな、と思って調べてみたら、初来日は85年2月で、僕が観たのは新宿ツバキハウス(ディスコ)が会場だったが、ロフトでのライブはさらにその翌年86年7月の再来日公演時のことだった。
ステージ上のサンダースは小柄で、おしゃれで、死人のように青白い顔をしていた。当時は不治と言われていた病を患っているという噂があり、終演後、完全防護したロフトのスタッフたちが念入りに場内を消毒する異様な光景は忘れられるものではない。
彼の代表曲と言えば、アルバム「L.A.M.F.」(1977年)の1曲目、「ボーン・トゥ・ルーズ」だ。
Born to lose(Johnny Thunders)
That’s the way it goes
This city is so cold
And I’m, I’m so sold
That’s why I know
なるようにしかならない
この街はすっごく寒い
そして、オレは、オレはすっごく納得した
そのとおりなんだ
I say hit it!
Born to lose
Born to lose
Born to lose
Baby I’m born to lose
やっちまえ!
失うために生まれた
失うために生まれた
失うために生まれた
ベイビー、オレは失うために生まれてきたんだ
Nothing to do
I’ve nothing to say
Only one thing that I want
It’s the only way
やることがないし
言うこともない
オレが欲しいものはただ一つ
これだけだ
I say hit it!
Born to lose
Born to lose
Born to lose
Baby I’m born to lose
Baby I’m born to lose
やっちまえ!
失うために生まれた
失うために生まれた
失うために生まれた
ベイビー、オレは失うために生まれてきたんだ
ベイビー、オレは失うために生まれてきたんだ
Living in a jungle
It ain’t so hard
Living in the city
It will eat out your heart
ジャングルでの暮らしは
そんなに大変じゃない
都会での生活は
あんたがうらやむだろう
I say hit it!
Born to lose
Born to lose
Born to lose
Baby I’m born to lose
Baby I’m born to lose
Baby I’m born to lose
Baby I’m born to lose
やっちまえ!
失うために生まれた
失うために生まれた
失うために生まれた
ベイビー、オレは失うために生まれてきたんだ
ベイビー、オレは失うために生まれてきたんだ
ベイビー、オレは失うために生まれてきたんだ
ベイビー、オレは失うために生まれてきたんだ
大男はジョークのネタになることが多いので、なるだけ危険には近寄らないできた。
危険なものとは、ボウリング場の貸し靴(サイズ切れを言い渡される危険あり)、プラネタリウム(リクライニングすると後席の方に頭がイスから飛び出す危険あり)、座高計(うっかり真面目に座ったら1メートルまでのメモリを振り切る危険あり)、それから、帽子。
体が大きな子供が運動会でかぶる紅白帽のサイズがなくて、後ろに切れ目を入れられたというトラジコメディなエピソードは時々見かける。
それが今年になって、僕はほぼ毎日帽子をかぶり続けている。
いやいや、ハゲ隠しではない。
大災害に再度見舞われた時に備えての体力維持の一環として行なっているウォーキングで身に着けているのだ。
東日本大震災から12年経てば、みなが12年老いたということなのだから。
今年の酷暑には大きめのストローハットをいくつか購入して、とっかえひっかえかぶった。
とりわけ、映画「インディ・ジョーンズ」シリーズの中で主人公がかぶっている帽子、その復刻版をルーカス・フィルムからライセンスを得て製造しているドーフマン・パシフィック社製のものは、アメリカらしい粗削りなデザインが気に入った。
また、フェルト帽はイタリア製のクラッシャブル・ハットを手に入れた。色はオリーブドラブ(旧アメリカ軍色)。
ただ、帽子をかぶっている自分をショーウインドウや鏡で見ると、なさけないほど似合っていない。けれども、毎日かぶってみて分かったこともある。似合う似合わないではなく、帽子姿は見慣れるということが大事なのだと。負け惜しみか。
帽子といえば、ハンフリー・ボガート。
「三つ数えろ」(1946年)でドロシー・マローンと。
さりげなくベルトはウエスタンだ。
NPO法人なごやかには「なごやか職員研修プログラム」という独自のプログラムがある。
元々は小規模多機能ホームカムパネルラの管理者だったミス・エイスワンダーが毎月の内部研修用にと一項目ずつ自作していた資料で、2年が過ぎたころ、それが散逸してしまうのを惜しんだ理事長がデータファイルとして一冊にまとめるよう依頼して出来上がったもの。
実地に使用していたものだけに、平易な言葉で書かれていてとても読みやすいと職員たちからは非常に好評だ。
それでいて、なごやかの創生期に幾度となく十字砲火の下を理事長とともにかいくぐったミス・エイスワンダーならではの、法人と職員への深い愛情がどのページを開いても満ち満ちていて、読み手に敬虔な気持ちすらいだかせる。
現在、各事業所はこのプログラムをフラットファイルで職員の員数分備え付け、内部研修で適宜使用して情報公表の項目のクリアやサービスの質の向上に努めている。
このように、プログラムが作成者の思いのとおり有効に活用されることを、部下の一人だった私は内心誇らしく思っている。
秋晴れの日の正午、GHぽらん気仙沼の芋煮会にお邪魔しました。
ウッドデッキへ出したテーブルに利用者様がすでに着席して、お料理を待っています。
Mリーダーが炭火で焼くお肉のいい香りが園庭中に広がっていました。
先週末は「目黒のさんま」まつりだったそうですが、こちらでも、いただきます!