「おつかれさまです。本日行われました完了検査につきまして、別紙のとおり準備物や指摘事項等をまとめましたのでご確認願います。」
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地域介護・福祉空間整備事業施設完成検査にかかる管理者の準備について
○ 備品準備
・ 手指用アルコール消毒(玄関、キッチン、各洗面所)
・ うがい用イソジン、紙コップ、ハンドソープ、ペーパータオル、ゴミ箱
使い捨てディスポ、マスク、エプロン(各洗面所)
・ 消毒液(次亜塩素酸ナトリウムと汚染時処理用:ハイター)
・ 調理時の留意事項とガスレンジ等の消毒チェック表を貼る(キッチン)
○ 書類準備
・ 契約時の必要書類一式(重要事項説明書、契約書、各同意書)
・ サービス記録用紙
(総合チェック表、生活記録、病院受診記録、総合グラフ、リネン交換表、出納帳、業務日誌、看護師業務日誌)
・ ケアプランの必要書類一式
(入居申し込み書、入居前面接記録、アセスメント用情報収集シート、
課題分析表、ケアプラン、モニタリング、センター方式の書式)
・ 事故報告書に職員回覧の欄を入れておく
○ チェック
・ 避難経路
・ 消火器の位置
・ 災害時の避難場所
・ 各マニュアル(熟読しておく!)
○ 質問事項 ※全て、勉強会等を通し職員への周知・指導を徹底する
・ ホーム内避難経路の確認
⇒非常口の場所、状況に応じた避難経路を詳細に伝える
・ 地震、津波の対応(ガラス飛散防止シートの使用)
⇒避難場所や経路について順を追って丁寧に説明する
・ 事故の対応
⇒具体的に順を追って丁寧に(報告書の内容を)説明する(=フローチャート式)
⇒職員間で事故内容を共有する
・ 衛生管理
⇒消毒:手指用アルコール、次亜塩素酸ナトリウム
⇒排泄物・嘔吐物の処理方法、汚染した衣類の処理方法
以上
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「おつかれさまです。別紙報告書データ確認しました。要するに、日ごろからホームに対して愛情と誇りを持っていれば、いつの間にか自然とホームに関するすべての事柄が頭に入っていて、どんな質問に対しても答えられる、ということでしょうね。今日は感服いたしました。ありがとうございました。」
(平成20年12月7日)
職員から食事代の割り勘についてどう思うか、と尋ねられた。
ずいぶんと藪から棒な話だけれど、それはデート費用ってことなの?
彼女が言うには、最近割り勘が二回続いていて、どうも腑に落ちないのだそう。
僕は女性と割り勘だなんて男がすたる、と考えている最後の古い世代に属しているから、一も二もなく全額負担だったけれど、そうするのは見栄や男尊女卑などとは関係がなくて、ちゃんと理由もあるよ。
でもそれを話す前に言っておかなければならないのは、男は図々しい生き物だから、一度割り勘が通るとずっとそうして来るし、結婚後もきっとそう。
それは生まれや育ち、価値観に起因しているので、言っても直らないどころか、なぜ言われるのかもわからないだろう。
それがおかしいと思うのだったら、嫌だったら、早めに違う相手にするのが賢明だね。
今はもう変わっているのだろうけど、昔はデートっていうと男性も女性もおしゃれをして待ち合わせ場所に現れた。
上品なワンピースだったり、ヘレン・カミンスキーの帽子に白いサブリナパンツだったり、あるいはお祭りの時は浴衣だったり。
食事代を割り勘にする男性は、その場で食べたモノしか考えていないからそうするのさ。
相手はここへ来るまでに、美容院へ行ってきたかもしれないし、新しい口紅を買ったかもしれない、とっておきのネックレスを身に着けて来てくれているのかもしれない、あるいは下駄が歩きにくくてタクシーで来たのかもしれない。
女性はそういうコストと手間がかかるのだってことに、思い及ばないからだ。
お金はね、そうやって来てくれたこの素敵なひとと小一時間、一緒に楽しく美味しいものを食べることができるなんて、という感謝の気持ちから支払うものなのだ。
それに、女性が働いているからといって、お金を持っている(可処分所得がある)と考えるのも間違いだ。
サラリーマン時代の女友達はみなアパート暮らしで、いつもお金に苦労していた。
そういう女性たちは、二人で一万円の食事を割り勘にされるよりは、二人で五千円の食事をおごってもらう方がずっと喜んだし、実際、彼女たちの生活にも優しい気遣いだった。
たぶんこれは今も昔も変わらないと思う。
じゃあ、男性にお金がない給料日前などはどうすればいいか。
―今はゲームソフトって売るといいお金になるんでしょ?
僕の頃はレコードだった。
それもない時は、、きみが缶ジュースを二本買い、公園のベンチでイアホンを片方ずつ分け合って、お互いの好きな曲を聴くだけで十分楽しいじゃない。
ない時はない時なりに、だよ。
一昨年春、20本近い桜の苗木をあちこちの施設に植えた。
今春それらをすべて確認したところ、枯れたものは一本もなく、みな大なり小なり花を咲かせていた。
けれども一本だけ、よりによって記念植樹の機会を設けて植えたものが今年もつぼみをつけることなくいきなり葉桜になっている。
理由はわかっている。
根の下に埋めた惜別は、この木にとって肥料にはならなかったのだ。
株式会社町田サービスの社長さんが、なごやか理事長の元を訪ねてきた。
かつては抜きつ抜かれつの熾烈な競争を展開していた二人だったが、それもひと段落して近年は落ち着いた関係になっているらしい。
町田社長の目下の頭痛の種は、起業するためと昨年末に退職した元管理者の動向だった。物静かな社長にしては珍しく、「後ろ足で砂をかけて行った」という表現を使った。
後任の管理者からも辞表が出ており、どうやら彼のところへ行くらしい、その他の引き抜きの気配はまだないものの、自分よりまわり(職員)が心配しているし、あちらが本当に人手が集まらなくてどうにもならなくなったら仕掛けてくるだろう、と感じている、とのことだった。
これまでの元管理者との関係を振り返り、ずいぶんと勤務形態や勤務時間等に関して便宜を図ったし、彼が熱を入れている職務外の活動についても、会社のためになればと思って目をつぶってきたけれど、途中から違和感が大きくなって、気をつけていたとも語っていた。
理事長は言った、自分はそりが合わなかった初代の管理者と三年でたもとを分かち、ちょうどそのタイミングで幸運にも一騎当千の職員に出会って事業所をあるべき姿に戻しているので、早くてよかったな、とお話をお聞きしながら改めて思いました。
特に男はエゴを大きくし過ぎると厄介ですね。
長く一任していただけに今は大変でしょうが、雨降って地固まるです、僕も乗り越えてきたのですから、大丈夫ですよ。
そう理事長は親身に励ました。
町田社長が帰った後、グラスに残ったジュースを飲み干すと理事長はもう一度ポツリと言った、僕は幸運だったな。
こういう時、理事長がどうするか、最近私はわかってきた。
グループホーム虔十のY管理者へ、きまって短いお礼の電話を掛けては、時でもないのにどうしたのですか、と相手にきまり悪がられる、というお約束の形があることを。
苦学生だった僕は本気でアルバイトをしないと生活が成り立たなかった。
そのせいもあって成績が振るわず、四年生のリクルート活動では早々と一流企業への就職をあきらめた。
志望する企業を迷い、一時は安易に自分の好物のカルピスやシスコも考えたのだが、どちらも営業職しか募集しておらず、さらにシスコは大阪が本社だった。
そうこうしているうちに運良く、大手企業が新部門として設立した会社に滑り込むことができた。
在籍期間こそ短かったものの、新しい会社だけに自由でアバウトな社風が性分に合って快適に仕事ができたし、今でもその経験を思い返しては法人運営に活かしている。
ついでに書くと、後年、自分のラッキーナンバーが88になったのも、実は偶然ではなかったのかもしれない。