三年前、売れない演歌歌手だった私は、地方を慌ただしく回り、ショッピングセンターや日帰り温泉の特設ステージで歌っては自分のCDを手売りする毎日でした。
それがある時あまりに売り上げが伸びないため、専属のマネージャーさんがいなくなり、ベテランの方が私を掛け持ちで担当することになりました。
そのNさんが初めて会うなり私に言ったのは、「質感にこだわりましょうね」でした。
まず彼は会社と粘り強く交渉して私のお給料を上げてくれました。
私は時々入るテレビの歌謡ショーの仕事で売れっ子の方々と同じステージに立つたび一種引け目を感じていたのですが、Nさんはそれに気がついていたのか、同じステージには立っているけれど、同じ土俵で勝負しちゃいけませんよ、今はまだけたぐりで倒すくらいしかできないのだから、と繰り返し言いました。
衣裳は少ない予算で印象深いものになるよう、クラシカルであざやかな模様のアンティーク着物を仕入れたり、和装雑誌のモデルの仕事を積極的にこなして、その際に安く分けていただいたり、と工夫しました。
地方巡業では、Nさんは安宿に泊まって自分の費用を削り、その分私のホテルのグレードを上げてくれました。
相変わらず私の歌の売り上げはさっぱりでしたが、Nさんの指導と助言のとおり質感にこだわり、それを大切にしたせいか、一流企業のパンフレットのモデルや大きなイベントの司会の仕事が人づてに舞い込み始め、会社からもそれなりに認められるようになって行きました。
今、私は結婚して歌手を辞め、嫁ぎ先が営む老舗旅館の若女将を務めています。
結婚の報告をすると、Nさんは言いました。
きみの歌はそこそこだったけど、それ以外は本当にいいものを持っていた。
これからは夫君になる方が別の角度からスポットライトを当ててくれるだろうから、引き続き努力し、輝いて行くといい。
慌ただしい毎日の中で私は時々懐かしく思い出す、ちょっとだけ上がったお給料でマナー講座や着付け教室に通ったり、休日にのみの市を巡って風合いの良い古着を探したりした、私のいわば修行の日々を。
リサイクルショップで新古品のおひつを見つけて2個購入した。
ただし、プラスチック製の小ぶりの、安物だが。
グループホームぽらんを始めたばかりの頃、同じ店でやはり同じようなものを何個か買い求めた。
なぜかおひつで食べるとおいしくて、利用者様の食も進むだろうから、時々使ってほしい。
そう言って調理員へ渡したものの、たぶんおっくうだったのだろう、あるいは、イメージできなかったのか、一度も使われないまま、建物もろとも大津波に流されてしまった。
今回、値段の割に長く思案したのは、そんな記憶もあって、使う場面が果たしてあるかどうか迷ったからだが、場面は自分で作ればいいや。最後はそう思えた。
自らの手でおひつから茶碗にご飯をよそい、笑顔になった利用者様を頭に思い浮かべられれば、できないわけないじゃない。これまでもさまざまな場面を演出してきたのだから。
年末、千厩町内の支援者から、自宅で採れた大ぶりの白菜を50個いただきました。
早速、市内の事業所へ5個ずつ分配したのですが、お弁当方式(配食制)のデイサービスと小規模多機能ホームでは、味噌汁のほか、白菜鍋にしています。
料理上手のH主任が中心となって土鍋3つ分を準備したぽらん気仙沼デイサービスでは、テーブルを囲んだ利用者様と職員の話が普段以上に弾み、残さず全部平らげたとのことでした。
みんなで食べるとおいしいね!
思いついた新しい事業の枠組みについて、M事務局長に意気込んで説明したものの、どうも最後まで響く話ができず仕舞いでした。
「それはあそこで一度失敗した形ですよ。」
そのとおりでした。
失敗は見覚えがありますね。
そうすると、失敗がデジャヴ(既視感※①)なら、対語の成功はジャメヴ(未視感※②)でしょうか。
いや、違うな。
成功は、いつも新鮮で未知のものですよね。
※① 実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じること。
※②見慣れたはずのものが未知のものに感じられること。
他の子どもたちと違って体が弱く、マンモスやバッファロー、ヘラジカなどの肉のかわりに母親が炊いた麦の実や海草が主食で、いつも青い顔をしていた。
そんな息子の行く末について、族長は胸を痛めていたし、男たちはひよわなナブクをあからさまにあざけった。
13歳になったナブクはある朝ひとりで森へ行くと、昼前に小走りで帰ってきた。
父親に、ヘラジカを捕まえたので手を貸してくれという。
半信半疑の族長がついて行くと本当に壮年期の大きなヘラジカが、小さな落とし穴に前足を突っ込んで倒れていた。
穴に落ちてもがくヘラジカの頭をこん棒で叩いて絶命させたのだという。
父親は感心してナブクの頭をなで、それから運搬の手伝いにと屈強な男たちをもう4人、呼びに戻った。
ナブクは15歳になると同じ要領でマンモスを獲った。
ヘラジカにしても、マンモスにしても、巨大なうえに獰猛で、狩りをするたびけが人や死者が出ていたものだから、ナブクの安全なやり方にみなは一様に感謝した。
また、ナブクは肉を食べなかったから、獲物を平等に分けた。
それも部族の者たちにとっては初めての経験だった。
ナブクは女たちにマンモスの牙を材料にして、首飾りや髪飾りを作らせた。
そんな彼の部族の評判を聞きつけて、まわりの集落から老若男女がどんどん集まり出した。
けれども、それをねたむ者もいた。
彼を子供のころからなにかと目の敵にしていた男がある晩、石斧で背後から襲いかかり、惨殺してしまった。
不思議なもので、それからというもの、ナブクが指揮していたとおりに狩りを行なっても、マンモスもヘラジカも、一向に獲れなくなった。
また、狩りのあとには決まって取り分をめぐる争いが始まった。
さらには、入り江へ追い込んだクジラに丸太船が5隻すべて海中に引きずり込まれるという惨事も起こった。
こうなると、ひとの気持ちが離れるのは早い。
少し前までは賑やかだった集落を、われ先にと逃げ出した。
ひと気のなくなった集落はある夜、失火から全焼し、すべてが土に還った。