私は飲み物が薄くなるのが嫌なので絶対に氷は頼まない、と豪語している職員がいた。
たぶん、ファミレスやファストフードでのことを言っていたのだろう。普通の喫茶店などでは、そうはいかないから。
でも、飲み物がぬるくなる方がずっと嫌だな、と内心思ったけれど、言わないでおいた。
一時期、清涼飲料水などの常温販売が推奨されたものの全く根付かなかったのは、単に誰もおいしいと感じないからだ。
僕は潔癖症という言葉からは程遠い瘋癲老人だが、ペットボトルへじかに口をつけて飲むことは原則として、ない。氷を入れたコップに飲みたい分量だけ注いで、素早く飲み干す。
思いめぐらすと、これは母親の習慣で、いつもそうして提供された。上品ぶっていたのではないと思う。たくさんの子供に行き渡るようにする苦肉の策か、あるいは氷がもてなしだったのか。
例外は、運転中の自動車や新幹線の車内では仕方なくじかに飲むが、飲みかけになったものは持ち帰って捨てる。(審議会などでテーブル上に置かれたものは飲まないし持ち帰らない。)
だから、テレビドラマのシチュエーションに時々ある、それパパの飲みかけだよ、えー、キモい、そんなもの冷蔵庫に入れとかないでよ、なんて扱いはなかった。幸いなことに、ウチの娘はそんなバカ女ではなかったが。
もう一つ例外があった。瓶のコークやハイネケン・ビールはラッパ飲みするのがカッコいいという時代に育った。ただ、映画「さらば青春の光」の中でモッズの男女はペプシの瓶にストローを挿して飲んでいる。こう書くと軟弱に思えるだろうが、たぶん、ピンボールの球から目を離さなくてもいいようにと、そうしたのかもしれない。
十代のころから母親によく言われたのは、大男のアンタは寝込むと周囲に大迷惑をかけるので、くれぐれも健康には留意しろ、だった。
仙台空襲の中、病気で足が萎えてしまった大男の祖父を、小学生だった母は祖母とともに両脇を抱え防空壕まで引きずって退避したそうで、その苦しい経験に基づいて話していた。
昨年春からウォーキングを始めて1年以上になる。
ウォーキングと言っても、昼食後に自宅の周囲を15分ほど歩いている程度だが。
本当はもう少し長いコースにしたいものの、特に夏などはそのあと汗がなかなか引かず、午後の仕事に差し支えるのでその程度に収まった。
自分が健康にいいウォーキングに取り組むなんて、ロックじゃないな、と思いながら毎日継続するのは正直なところ骨が折れた。
会社に対して連帯保証人になっていたりする経営者の健康は、何よりも大切なのはよくわかっているが。
それであれこれ考え、思い至ったのが、およそウォーキングらしからぬ服装、いつもの自分らしい服装で歩きましょう、と。
汗だくになってもいいように、着古したジャケットや捨てられずにいた高価なコート、色あせたポロシャツなどをクローゼットからどんどん引っ張り出して、とっかえひっかえ着た。
加えて、日焼け防止にと夏はパナマ帽に綿か麻のストール、冬はウールのソフト帽にシルクのマフラーを必須にしてみた。
この日々の着回しが奏功して、結果、今も続いている。
自分のツボはそこだったのか。
今夜は時間があったので、冬中履いたバックスキンの靴すべてにブラシをかけて仕舞い、かわりにローファーやデッキシューズを出した。
先日、相手から口頭でいただいたアポの日時を聞き間違え、あわや大惨事になりそうだったことをきっかけに、とうとう耳穴式集音器を購入した。
あまりに難聴が進み、補聴器を入れたら、と家族から言われ続けていたのを、カッコ悪い(※機器の形が)から、と何年も抵抗してきたのだが、集音器とはいえ、ついにルビコン川を渡ってしまった。
届いたものを早速充電してまずは右耳片方に装着してみると、、これが非常によく聞こえる。
音質はチープで、まるで千円以下のイヤホンと同じだし、よく言われるように生活音までもれなく拾い、これだともしドアがバタンと背後で閉まったら、飛び上がるだろう。
でも、これまで逡巡したのが何だったのかと思うほど、よく聞き取れている。
ただ、外した後は耳鳴りが一層強く、ザ・フーの「マイ・ジェネレイション」をヘッドホンでプレイ・イット・ラウドに聴いた時のようで、さらに難聴が加速するかもしれないな、とも感じている。
ピート・タウンゼントも長生きしてしまっているけれど、ホント、「老いぼれる前に死んじまいたいぜ!」(「マイ・ジェネレイション」)だ。
以前書いたことがあるが、僕の特技はざるそばをきれいに食べることで、かなり大げさに言うとそれは一生の目標でもある。
仕事柄、県都センダード市へ出張で行くことが多く、そんな時はトレーニングにと、一日一回は立ち食いそばだ。二回の日もある。もちろん、家族との食事となれば(贖罪の気持ちからも)しゃれたホテルレストランやビストロを予約してサービスに努めているが。
なぜ立ち食いかというと、座って食べるよりすする力が込めやすいから。
それに、そばは食事ではなくおやつなので、特に老舗でも高級?でなくてもいい。
そんな僕の誰に頼まれたわけでもない修行の日々の中で出会った迷店のひとつが、駅前の「そば処やぶ金」だ。
ここには「ロッキー盛り」といういわゆるデカ盛りの名物メニューがある。
ただしあまりの大盛りにみな恐れをなしているのか、食べている人をいまだ見たことがない。
僕は大男だが食が細く、いつも並みですませていた。
それが何回目かの昼、僕の斜め向かいに座った、どうみても10歳近く年上のご老体が、常連らしく、席に着くなり「大盛り」と店員に声を掛けた。
その大盛りのざるがやってきて、僕は度肝を抜かれてしまった。
これのどこがロッキー盛りと違うの?と。
そしてさらに驚いたのが、ご老体の食べ方の美しさ。
ずっず~っとすする快音がリズミカルに繰り返され、みるみるそばが減って行く。
これは負けてはいられない、と僕も箸で約八本ずつそばをつかみ、つゆに三分づけしてずっず~っと音を立てて食べる。
ご老体がちらりとこちらを見た。
僕はぺこりと頭を下げた。
どこにでもその道の達人はいるものだな、慢心してはいけない、とその日は改めて思った。
きれいなそばの食べ方(※諸説あります)