出入りの自動車販売会社の社長さんから電話をもらった。
理事長さんは昨日劇場公開になった、このけせもい市が舞台の映画はご存知でした?
ああ、移住者の物語ですね、キャストをちらっと見たけど、中村雅俊はないな~、と思った。女川出身で、違うでしょう、と。
それならまだ(陸前高田市から電車通学だったという)けせもい高校卒の村上弘明の方がいいかも。
あ、悪い、話の腰を折って。
いえいえ、その撮影の際に、スタッフがウチの会社に来て、ヒロイン役の女優さんが乗る車を探している、というので、期間中、貸し出したのですが、それが今、なごやかさんにあるんです。ほら、ぽらん大島用にと去年買っていただいた軽自動車です。
え?あの車なら、いつものように、末広がりの希望ナンバーに替えて、看板(社名)まで入れちゃったよ。
すみません、映画公開まで口外しないでくれと言われていたので。
まいったな、僕は車でも何でも、そのままノーマル仕様で乗ったり使ったり残したりが好みなんだけどな。昔、「ローマの休日」でアン王女が乗ったスクーターや、「カサブランカ」でサムが弾いてた移動式ピアノの実物を見たことがあって、そのまま残っているのがとにかくすごいと思った。スケールは違うけどね。
でも、私はなごやかさんに買っていただいてよかったと思っているんです、変にプレミアがついたり、それで転売されたりしないので。
それはそうだけど、、おだずな~。
やらかし感がひどくて、本当に久しぶりにけせもい弁が口から出てしまった。
正月、駅に用事があり正面出入口から入って行くと、帰省客に交じって当法人のデイサービスの管理者とそのお嬢さんがベンチに座っていた。
事業所のイベントなどで小さいころから顔見知りのお嬢さんは、昨春から県都の介護施設に勤務しているという。
もう戻るの?と尋ねると、「職員(同僚)と入居者様が気になって」と答える。
僕は感嘆しながら、ああ、お母さん、お嬢さんはわずかの間にいい職員になりましたね、と声を掛けた。
「不思議だね、僕たちもずっとそんな気持ちでやってきてるんだ、認知症高齢者グループホームを開設した初年度などは特に、休日も入居者様と職員が気になって、居てもたってもいられなかったし、デイのパート職員からスタートしたお母さんは、利用者様がデイに来ている日より来ていない日のほうが気になる、といつも口にしていた。
同じ仕事に就いたからといって、同じ気持ちを共有できるとは限らないけれど、きみのお話には感慨深いものがありました。
そうだね、きみのようないい職員さんが不在だと施設は戦力ダウンで、シフトもうまく回らないだろうから、早く帰ったほうがいいね!」
「私が管理者を務めるなめとこデイサービスは日曜日と祝日が定休日です。その日は日曜でしたが、運営指導を来月に控えていることもあり、無人の事業所へ午前中短時間出て、ファイル類の整理を行なっていました。
すこしして、防犯のため鍵をかけていた玄関サッシがガチャガチャ幾度か音を立て、チャイムが鳴りました。恐る恐るモニターを覗くと、顔の半分が映っていたのは、いつもいらしている女性利用者様でした。
徒歩で1時間ほど離れた自宅から、(明日の入浴支度等、別に住まわれている娘さんが準備していた)重たい荷物を3つ抱え、トンネルをくぐって、長い坂道をここまでいらしたのです。
「今日は集りの日ですよね」と素敵な笑顔を私に向ける。
お疲れでしょう?と急ぎ中へお通しして、冷たいお茶を飲んでいただきました。
娘さんに連絡したところ、ご多忙のようでしたので、私がお送りすることにしました。
重い認知症でも、私たちぽらんの場所だけはご記憶の中にあるのでしょうか(普段は事業所の車での送迎です)。
本当に愛おしく、ありがたい思いで胸がつまりました。」
「組合員の皆様におかれましては、ご多用の中ご来臨賜りましたこと、心より感謝申し上げます。
本日は、昨年度に続いての名刺交換会開催ということで、限られた時間ではありますが、皆様がたにとって実り多い交流のひとときになればと考えています。
昨年は新型コロナウイルス感染症が第5類に移行するなど、政府の感染症対策は確実に出口へと向かっていますが、われわれ介護福祉に携わる者にとってはまだまだ気が抜けない毎日が続いています。
一方で、コロナ前とコロナ後では濃淡・強弱こそあれ、すべての場面で社会が変化しており、われわれのサービス提供に関しても、たとえば人員配置や提供体制、あるいは利用状況など、大きく様変わりしています。
思うに、東日本大震災で水面下から顔を出した人口減と働き手不足が、このコロナ禍によってさらに加速され顕著になっている。
この地続きの難問を、これからどのように解決するのか、皆様がたの英知をお借りしながら、少しでも答えに近づけたら、と願っています。今年度も本組合をどうぞよろしくお願いします。」
夏バテだ。
例年通りこの時期はもう、そうめんとざるそば以外食べられなくなっている。
あとはソフトクリーム。
このように猛暑だと溶け出すスピードに負けず急ぎ食べなければならないのがややつらいが。
年代のせいか、ソフトクリームは日世のマスコット人形が立っていると、素通りできない。
驚いたことに、あのマスコットは昭和30年代から存在していたのに、ニックンとセイチャン、5歳でともにアメリカ人、という(公募で)名前とキャラづけされたのは21世紀になってからだそう。なんて悠長な会社だ。
その割に、「ソフトクリーム」というネーミングは創業者が考え、日本中に爆発的に広がり、定着している。
僕はけせもい市亀島にあるウエルカムターミナルで土日のどちらかに食べることにしている。
ただ食いしん坊だからというわけではなく、亀島への観光客の入り込みを、ニックンとセイチャンの隣に置かれたテーブル席からにさりげなく観察するためだ。
なにせ、昨年度事業譲受した亀島ぽらんは、島内最大の事業所なのだそうで、僕はその雇用を守ったということになる。
こう書くと、表彰までは要らないけれど、あえて火中の栗を拾って偉かったね、とソフトクリーム1年分くらいの副賞があってもいいんじゃないかな、と思えてくる。
まあ、それはともかく、島の人口動静や人流に注意を払うことは経営者として必要な姿勢だ。