オーダーしたシャツが手元に届き、ちょっと気分が高揚している。
シャツを作るのは久しぶりだったので、少し遊んで、二枚ともラウンド・クレリック・カラーにした。
一枚はワインレッド、もう一枚はネイビーブルーのハウンドトゥース(千鳥格子)柄。
どちらも左肩にバーガンディ色の糸でネームを入れて。
とっても素敵です。
「華麗なるギャツビー」2013年版のニック・キャラウエイ(トビー・マクガイア)。こちらは水色のグラフチェック(方眼)柄だ。
「華麗なるギャツビー」1974年版のトム・ブキャナン(ブルース・ダーン)。ピンクのストライプ柄。
あるいは「ウォール街」のゴードン・ゲッコー(マイケル・ダグラス)。
そのひとはヨーコさんといった。
4人組女性バンドのギターを担当していたのが、メジャーデビュー直後に脱退して、僕が知り合った頃はフリーで時々演奏活動を行なっていた。
ヨーコさんは痩せて手足がひょろひょろと長く、常にサングラスで服は黒づくめだった。
そんな彼女を僕は「邪悪なオリーヴ・オイル」と呼び、出来の悪い弟のように、その後ろにくっついて歩いていた。
三軒茶屋のレコード店主催のフリーマーケットでの彼女のブースで店番をさせられたり、新宿御苑の芝生に転がって作詞の相手をさせられたり。
「井浦くんは(ニール・ヤングの)『アバウト・トゥ・レイン』の歌詞知ってる?」
知ってます。『渚にて』に収録されてますよね。
「歌詞の内容は?」
いえ、韻を良く踏んでいるのは気づいていましたが、内容までは考えたことがありません。
あー、と彼女は言うと、その場でゆっくり訳してくれた。
「こんな歌詞が書きたいな。」
その後、ヨーコさんはトリオ編成のバンドを組むことになったのだが、バンド名がなかなか決まらずにいた。
ヨーコズ・クランはどうでしょう?
シナトラ一家(シナトラ・クラン)にちなんで。
「あら、いいわね。」即決だった。
自主制作のシングルが一枚作られ、2、3回ライブが行なわれた。
終演後、今夜は早く帰る、とヨーコさんが言うので、僕は新宿西口でタクシーを拾って乗せた。
それじゃあ、また。そう言い合って別れ、それきりだった。
携帯電話がないあの時代にはよくある話だ。
時々思い出してネット検索すると、ヨーコさんの思い出を書いているひと、ヨーコさんを探しているひとがいる。
邪悪なオリ―ヴ・オイル、きっと幸せにしているといいな。
2000年のシドニー・パラリンピック開会式で「ワルチング・マチルダ」を歌うカイリー・ミノーグは素晴らしかった。
ちなみに、シドニー・オリンピック閉会式も、彼女がアバの「ダンシング・クイーン」をカバーしていた。
「ワルチング・マチルダ」がオーストラリアの国民的愛唱歌なら、カイリー・ミノーグが国民的歌手であることが改めて証明されたイベントだった。
「ワルチング・マチルダ」というと、映画「渚にて」(1959年)だ。
第3次世界大戦の核攻撃で北半球が死滅したあとのオーストラリアを舞台にした近未来SF。迫りくる放射能汚染の恐怖と祖国や家族を失った絶望の中でひとはどのように残りの時間を過ごすのかを問うた静かな人間ドラマだった。
この映画の中で、同曲が繰り返し使われている。
初めて観たのは(生まれる前の映画なので)CMで小間切れになったテレビの日本語吹替版。白黒で何が映っているのかよくわからないほど当時の画像は悪かったが、それでも十分胸打たれた覚えがある。
主演はグレゴリー・ペックとエヴァ・ガードナー、いわゆる「キリマンジャロの雪」(1952年)の二人だが、時がたってどちらもややくたびれている。
とはいえ、下に置いた二人の出会いのシーンはなかなかいい。
ツイードのスーツをりゅうと着こなし、ボウタイを締めたアメリカ海軍の原子力潜水艦長ペックが駅のホームに降り立つと、友人に頼まれて迎えに来たエヴァに声を掛けられる。
今の僕ならわかる、ああ、艦長、メーデー、メーデー(緊急事態発生)、彼女の瞳を覗いちゃ、視線をまともに受けちゃだめだ、そのファム・ファタール(宿命の女)に魅入られ虜にされてしまうよ!と。
今年もまた、「社会人として出発する諸君におくる先輩のことば」という、卒業シーズンに合わせた企画広告を、地元紙から依頼された。
僕の他には、市内の名士や有力経営者の方々が20名ほど名を連ねていて、なぜオファーが回って来るのかよくわからない。
その方々の昨年のはなむけの言葉に目を通すと、「前途洋々」、「万事如意」、「一生勉強」、あるいは「和を以て貴しとなす」などとあり、若干苦笑させられた。
僕は意外なくらい迷った末に昨年同様、いつも相手を励ます時に使うフレーズに決めた、「自信と誇りを持って」と。
ローラ:わたし、きれいって、どこが?
ジム(紳士の訪問客):どこでも―眼もと、髪の毛。きみの手―きれいだなあ! 僕が、お世辞を言ってると思ってますね、きみは―ご馳走になったんだから、お礼のつもりだろうってんですね、そりゃあ、僕だって、お世辞も、言いますよ! 心にないことを並べ立てもします。しかし、今夜は、ちがいますよ―心から、言ってるんです。きみには、例のインフェリオリティ・コンプレックス(劣等感)ってやつが、ある―さっき、気がついて、言ってあげましたね―そいつがあるから、人と気がるに附き合えないんですよ。だれか、きみに、自信をつけたげなくちゃあ―うんと、自分を、高く買うように―うんと、高く!
《ローラの体を差しあげて、小卓の上に立たせる。》
そんなに、恥ずかしがったり、目をそらしたり―あかくなったりしないように、誇りを持たせてあげる人間が―だれか―いなくちゃあ。
テネシー・ウイリアムズ作「ガラスの動物園」(田島博訳、新潮文庫刊)
「ガラスの動物園」(1950年)、カーク・ダグラスが紳士の訪問客(ジェントルマン・コーラー)を演じている。
「捜索者」より
「映画の巨人 ジョン・フォード」(2006年)は故ピーター・ボグダノビッチが1971年に撮影したドキュメンタリー映画を、テレビ用に新たな証言等も加えて再編集したものだ。
著名人が大挙登場してフォードに関するとっておきのエピソードを披露するのだが、とりわけ面白かったのが、15歳の映画小僧時代にフォードのオフィスを訪ねたというスティーブン・スピルバーグ監督の回想談だ。
※
オフィスで待っていると、フォードが騒々しく現れる。
映画監督志望だと話したスピルバーグへ、フォードは言った。
「壁に絵が掛かってるだろ。」
西部の絵だった。
「あの絵に何が見えるか言ってみろ」
「馬に乗った先住民がいます 」
「そうじゃない、地平線(ホライズン)はどこだ? 地平線が見えんか? 」
地平線を指さすと、
「さすな。どこにある? 絵全体を見て地平線は?」
「絵の一番下です」
「よし、次の絵だ」
次の絵の前に立つと
「地平線はどこだ?」
「絵の一番上にあります」
こっちへ来いと言われ、彼の机のそばに行った。
彼は言った。
「つまり地平線の位置を画面の一番下にするか、一番上にする方が真ん中に置くよりずっといい。そうすればいつか良い監督になれるかもしれん 。以上、終わり!」
フォードの作品と地平線については、このドキュメンタリーが製作される以前から批評家たちがさかんに論じていたし、僕を含むフォード映画の愛好家たちも気づいてはいたが、こうしてはっきり証言されたのは初めてだった。
それだけに、(気難しいフォードがこんな大事なことを初対面の子供に話すか?と)かえって眉唾なのだが、フォードの口真似を交えて語るスピルバーグが心底楽しそうで、信じることにしよう。
20分15秒から。
「怒りの葡萄」
「荒野の決闘 いとしのクレメンタイン」
ボグダノビッチの「ペーパー・ムーン」