ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

悪女の如き君なりき

2021年02月26日 | ハリウッド

 いつか観られなくなる日が来る、と早くから意識して買いあさり録りためた映画のビデオテープを処分しつつある。

捨てて捨てて泣く泣く捨てて、「見知らぬ人でなく」(1955年)の市販ソフト(DVD化されていない)と、テレビから録画した日本語吹替版の「隣の女」の二本だけが残る、というのがひそかに抱いている終わりのイメージだ。

 「見知らぬ人でなく」は20歳そこそこの頃、深夜放送で観た。

その時思った、この主人公のキャラクターは僕だ、と。

そんなことは後にも先にもこの一度きりだ。

苦学して医師となり、へき地医療に身を投じた主人公(ロバート・ミッチャム)を魅了する美貌の未亡人がグロリア・グレアム。適役というか、タイプキャストというか。

主人公とは対照的に、都会での金儲けを選択する親友役にフランク・シナトラ。

主人公の先輩医師(チャールズ・ビックフォード):「きみはキャデラックに乗っていると聞いたが?」

シナトラ:「いいえ、キャデラックが僕に乗っているんです。」

このジョークは5年間使わせてもらった。

 話が大きくそれた。

グロリア・グレアムの出演作で最も有名なのは、「地上最大のショウ」(1952年)か「素晴らしき哉!人生」(1946年)のどちらかだろう。

嫉妬に狂ったパートナーの象使いに殺されかけるシーンは子供心にもハラハラさせられた。この事件が後半、大惨事を誘発する。

後者では、主人公ジョージ・ベイリー(ジェームズ・スチュアート)をドナ・リードと取り合うおませな女の子。初期の作品だけに笑顔が若々しい。

 ここには書かないが、私生活でのスキャンダルでハリウッドを追われた彼女の最晩年を描いた「リヴァプール、最後の恋」(2017年)が作られたのには少し驚いた。

「ガラスの動物園」の開演直前に倒れた彼女の楽屋には(「孤独な場所で」で共演した)ボギーから贈られたコンパクトや「十字砲火」(1947年)の宣材写真がさりげなくちりばめられていて、主演のアネット・ベニングはちょっとな、と思いながらも面白く観ることができた。

 

「地上最大のショウ」

 

「素晴らしき哉!人生」のエンディング。(58秒から登場)

 

「見知らぬ人でなく」の公開当時の予告編。

「なんて汚い真似を、お前はあのオールドミスのスウェーデン人看護師(オリビア・デ・ハビランド)をだまして結婚して、学費を出させる気だな?!」(1分27秒から)

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電撃戦

2021年02月22日 | なごやか

 今日は今年になって初めてのマスク配布日だ。

NPO法人なごやか理事長が組合長を務める市福祉施設等運営法人組合に対し、けせもい市から寄付を受けたマスクや使い捨て手袋の配布依頼が昨年来、たびたびある。

法人内から選抜された私たち二人一組5チームの計10名は保管場所へ朝集まると、あらかじめ理事長からメールで配信された事業者リストとその職員数に基づいて公平に按分した数値表に従って配布物をおのおの黙々と仕分け、終わったチームからそれを持って出発して行く。

そこには全く無駄な動きがない。

チームリーダーの私は組合員・非組合員約50法人の中でも大きいところを受け持ち、最短のルートで回った。

配り終えたチームは朝の集合場所へは戻らず、それぞれが自分の事業所へ帰ってミッション完了の報告メールを理事長へ送り、それは私にもCCで届けられる。

最後のメールが届いたのは昼前で、私はその速さに十分満足していた。

今ごろ市の担当課では、マスク等に添えたなごやか理事長の文書に促されて事業者たちがかけたお礼と報告の電話がひっきりなしに鳴っているだろう。

「それをイメージすると、やりがいが感じられると思うよ。」

これが理事長の好む電撃戦というものか。

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キャンドル

2021年02月19日 | 日記

 今回の地震はなかなか揺れが収まらなかった。

アパートが木造二階建てということもあったのだろう。

幸い、すぐに兄が駆けつけてくれた。

なにせ三軒先に住んでいるので。

大きかったね。

うん、また津波が来るかもしれない、家に電話しようよ。

その時、テレビの画面に津波の心配はないとの速報が流れた。

「ああ、よかった。」

お互い声に出して喜んだ。

10年前の東日本大震災の時は二人とも小学生だった。

今は同じ大学生。

次に大地震が来た時、兄とは一緒にいるだろうか。

もしも離れていたら、このおっちょこちょいの、たった一人の兄を私はどれだけ心配するだろう。

なんだか逆だな、と思って私はくすくす笑った。

「ねえ、お兄ちゃん、憶えてる?キャンドルのこと。」

震災後、何日かたってやっと帰宅した父が私たちを楽しませようと、停電している暗い居間で花柄のお皿にバースデイケーキ用のキャンドルを輪に並べ、それで明かりを取った。

ダイちゃん、吹き消してもいいぞ、という父の冗談を真に受けて、兄は本当に息を吹きつけてしまった。それも嬉しそうに、勢いよく。

消えたキャンドルの芯から立ち上る煙を見つめながら、あの時私は何を考えていたのか、思い出せないが、今夜は電気が点いていて、その兄もいる。

全然、安心だ。

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フーチークーチーマン

2021年02月15日 | ブルース

 映画「キャデラック・レコード」(2008年)を観た時は驚いた。それまではレコードのライナーノートや伝記本を読んで想像していただけの古いブルースマンたちが(もちろんキャラクターとしてだが)生き生きと動いているのだから。

ビヨンセがエタ・ジェイムズを演じたことで当時話題になったが、僕が一番面白かったのは、マディ・ウォーターズがウィリー・ディクソンから「フーチーク―チーマン」を口伝(口授)されるシーン。このエピソードは本当だったんだ、と。

タイトルは黒人スラングで、白人には意味が分からなかったため放送禁止にならず、ブルース・ナンバーとしては異例の大ヒットを記録した。

僕もタイトルは訳さないでおく。

 

 

HOOCHIE COOCHIE MAN

フーチーク―チーマン

 

Gypsy woman told my mother

'fore I was born

You got a boy-child coming

gonna be a son of a gun

Gonna make pretty womens jump and shout

And then the world wanna know

what this all about

 

ジプシー女がオレのお袋に言った

オレが産まれてくる前に

「きっと男の子だよ

暴れん坊だ

可愛いコたちを

飛び跳ね叫ばせる

そして世間のみなが

その様子を知りたがるだろうよ」

 

But you know I'm here

Everybody knows I'm here

Well, I'm your hoochie coochie man

Everybody knows I'm here

 

さあどうだ

そのオレがここにいる

誰もが知っているオレがいる

そうさオレはフーチークーチーマン

誰もが知っているオレがここにいる

 

I got the black cat bone and I got a mojo tooth

I got the John the Conquerer Root

gonna mess with you

I'm gonna make you girls lead me by my hand

And then the world will know

the hoochie coochie man

 

オレは黒猫の骨も モジョの歯も

征服者ジョンの根っこも持っている

あんたたちにも大事なことだぜ

オレは女のコたちを意のままにする

それでみな知ることだろう

オレがフーチークーチーマンだと

 

On the seventh hour, on the seventh day

On the seventh month, seven doctors say

"He was born for good luck, that you'll see."

I got seven hundred dollars

don't you mess with me!

 

七つ目の時 七つ目の日

七つ目の月 七人の医者が言う

「コイツは幸運に生まれついた

いつか分かるだろうよ」

オレは700ドル持っている

オレと仲良くしようじゃないか!

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宮城県沖地震

2021年02月14日 | 珠玉

 高校生だった1978年6月、宮城県沖地震が起こった。

平日の放課後で、田舎町に一軒しかない若者向けの洋服店で僕は夏物のコットンパンツを選んでいた。

前触れもなく激しい横揺れが来て、狭い店内に天井までびっしりとディスプレイされていた服やポスターのパネルなどがどんどん頭の上に降ってきた。

横滑りした大型のガラスのショーケースが壁にぶつかり大きな音を立ててこなごなに割れた。

ショーケースがなくなっていやに開けた視界の向こう側に、思いがけず知った顔があった。

小中と同級だった女の子が女子高の制服のまま恐怖の表情を浮かべて立ち尽くしていた。

ヤエちゃん、こっちだ!

僕は入り口ドアの方を指し示し、手招いた。

古い建物が傾いて開かなくなった木製ドアを蹴破って、僕ら二人は外に出た。

あとで弁償させられるかもしれないな。そんなことを、その時は考えていた。

僕らは小走りで商店街を通り抜けた。

陶器店の表に展示してあった大きな壺はすべて割れて歩道の上に無残に転がっていた。酒屋では酒瓶がショーウインドウを突き破っていた。

停電で信号が消え、車はそろそろと動いている。

不安げな顔で住民がそれぞれの家の前に出ていた。

ヤエちゃん、あの交差点までチリ地震(1960年)の津波が来たそうだから、あそこを越えれば安心だ。僕の家もすぐだから。

母も手に小型ラジオを持って家の前に出ていた。

あら、ヤエちゃんだね、こんにちは。

息子より先に声を掛けるか。

停電で電話も当然不通になっていた。

彼女の家は我が家のもっと先だったが、両親ともに海岸近くの会社に勤務しており、不安に震えながら涙を浮かべていた。

きっと高台の小学校へ避難してるから心配ないよ、と励ましながら、待つこと二時間、到達した津波が30センチほどだったとラジオで聞き、僕は彼女を家まで送って行った。

別れ際に母が言った。

アンタたちはこういう大災害でも無事だったのだから、これから先も大丈夫。私は仙台空襲に遭ったけど逃げ延びた。だからね、あの時のことを思えばどんなことだってできるし、絶対死なないと思っているの。

彼女の家はまだ無人だったが、懐中電灯を手渡して、僕は帰路についた。

制服姿の女子高生と並んで歩くのが、途中からひどく恥ずかしくなっていたのだ。

 台風が去り、雨風ともに止んだ翌日の昼、デイサービスのホールに一晩避難していたグループホームの利用者様を送り出した僕は、今回もなにごともなかったことに胸をなでおろしていた。

ニュースを観ようとテレビを点けると、ヘリコプターからの土砂崩れ現場の映像が映し出された。

役所らしき大きな建物が土砂に埋まっている。

町中がこのような状況です、とリポーターはヘリの騒音に打ち消されまいと大声で言った。

大変なことになってるけど、一体どこだろう、と画面下のテロップに目を凝らした僕は、喉元までおかしなモノがせり上がってくるのと、強烈なめまいとを同時に感じた。

三年前に同級生が移住した町だった。

ヤエ、どうしてそんなところへ行くんだ。

廃業して荒れ果てた広い観光農園を無償で譲り受け、梨やイチゴを育ててジャム工房を作りたい、と彼女は言った。

ああ、それはいいね、と言いそうになったのを慌ててこらえた僕は、つとめて厳しい表情を作りながら、今度災害が起きた時、僕は近くにいないぜ、と言った。

そうね、でもアンタ家庭持ちじゃない。

それはそうだけどさ。

 携帯へ二度掛けたがつながらなかった。

彼女のことだからきっと無事だ。でも、自分より他者のことを優先するからな。そんなときになにかあったら。

夕方、ショートメールが届いた。

「私は大丈夫だよ。おばさんにもよろしく伝えてね。」

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