YouTubeを流し見していたら、日本の若いバンドがボ・ディドリーの「キャデラック」をカバーしていた。
それで思い出したことがある。
まだ大学生のころ、バイト先を退勤すると外で若い男が待っていた。
ライブ友達の彼氏で、明大の軽音部でバンドをやっているとのことだった。
今度、「キャデラック」を演奏したいのだけれど、歌詞がなくて。
彼女に相談したら、井浦くんなら持ってると思うよ、と言われてきたという。
ああ、あるよ。(カバーを収録した)ザ・キンクスのファ―スト・アルバムが日本で復刻されていて、それに歌詞カードがついてたっけ。
ネットも携帯電話もない時代のことである。歌詞なんて調べようがない。また、人間関係も、こんな会い方が普通だったし、じゃあね、と別れてそのまま音信不通のひともいた。
翌日、同じところで待ち合わせてレコードを渡すと、ライブのチケットを二枚押し付けられた。そのあがりに、レコードは借りパクされて手元にない。
とはいえ、どっちみち、お金に困って売ってしまったろうし、今ではこうやって気軽に聞くことができる。
その学生は無名のまま終わったが、彼のバンドのドラマーは有名バンドにオーディションを経て加入し、名前を残した。採用の条件は、モヒカン刈りにすることだったと本人がこぼしていた。
買ったはいいが、ポンコツ過ぎてこんなキャデラック、早く売り払ってしまいたい、という内容の歌詞。まさか自分が将来そんな思いをするとは、このエピソード当時は想像だにしていなかった、、。
1960年発表
僕にはセバスチャン・ジャプリゾのマイ・ブームが二度あった。
最初は映画化作品「さらば友よ」や「雨の訪問者」をテレビで観た後、邦訳本を探して読み漁った中学時代。
次はイザベル・アジャーニ主演で映画化された「殺意の夏」(1983年)が日本でも公開され、大きな話題を呼んでいた20代前半。
今思い返すと笑ってしまうのだけれど、そのどちらも、いっときの間、寝ても覚めてもジャプリゾのことを考えていた。
「殺意の夏」公開時はお金がなくて、五反田の二番館で観た記憶がある。
パンフレット、というよりは大判二つ折りのリーフレットは200円だった。たぶん家のどこかにまだある。原作本もある。ビデオテープは捨てた。
アジャーニはセザール賞主演女優賞に輝き、本作が代表作と言われているが、当時も今もちょっと首をかしげる。
僕は原作小説の方を先に読み、魅了されていた。
それだけに、カーリーヘアに褐色の肌の19歳のヒロインを、なにもアジャーニが演じなくても、と思った。
その前年の、「死の逃避行」での彼女がとてもよかったから、なおさらだった。
目が完全にイっている殺人鬼(アジャーニ)を追いかけながらその後始末を買って出る中年探偵(ミシェル・セロー)の奇妙なロードムービー。
のちにアシュレイ・ジャドとユアン・マクレガー主演で「氷の接吻」(1999年)として再映画化されている。さほど評価は高くないが、個人的にはこちらも繰り返し観たくなる作品だ。
公開当時のリーフレット
エヴァ・グリーンはデビュー作の「ドリーマーズ」(2003年)の印象が鮮烈だったことからプロフィールを調べたところ、母親がマルレーヌ・ジョベールだと知り心底驚いた。
日本では「雨の訪問者」(1969年)のヒロインとして知られている。
「雨の訪問者」とその前年の「さらば友よ」は、僕にとっては好き過ぎていくら語っても語り尽くせない作品だ。
どちらも脚本セバスチャン・ジャプリゾ、主演ブロンソン。
「雨の訪問者」はそれに加えて監督ルネ・クレマン、音楽フランシス・レイで、しかもジョベールの義妹にあたるマリカ・グリーン(ロベール・ブレッソン監督の「スリ」のヒロイン)がカメオ出演していた。
こういったところは、プロデューサー(セルジュ・シルベルマン)のいい仕事だ。
ご存知のとおり、エヴァ・グリーンはそのあと「007カジノ・ロワイヤル」(2006年)に出演している。
アルマーニやグッチのパンツスーツを知的に美しく着こなし、粗野なボンドを一流の男に引き上げる、歴代最高のボンド・ガールだ。
でも、どう考えてもエヴァ・グリーンとショートカットのそばかす美人ジョベールの雰囲気と容姿が重ならないのだけれど、マリカ・グリーンの姪と言われれば、なんとなく納得する。
ブロンソンの役名が「ドブス」なのが笑える
アルマーニの衣裳で同じポーズ
「スリ」(1959年)のマリカ・グリーン
久しぶりにシェイクスピア劇を観た夜遅く、庭に降りると夜空いっぱいの星が次々と流れ落ちていた。中には明るい炎の尾を引いているものもある。
「願い事した?」
頭の中で声がしたので振り返ると、地面から2メートルほどの宙にざしき童子が浮いていた。
このごろなんだかヘンな登場の仕方をされますね。
「マイブームかな。」
相変わらずきれいな笑みだった。
願い事は特にないけれど、きみに留守にされると、いつ当家がまた傾くかもしれなくて、ひやひやものです。
あははは、とざしき童子は笑った。
本当に気分がいい時の彼女の笑い声は、まるでバンブーのドアチャイムがぶつかり合ったようにカラカラとよく響く。
「あなたは大丈夫じゃないけど大丈夫。」
なんですか、それは(苦笑)、「マクベス」の魔女みたいな。もうシェイクスピア千本ノックはゴメンですよ。
「あなたが何も信じない皮肉屋なのはよくわかっているけれど、せっかくのしし座流星群の夜なのだから、次に流れる星に願いをかけてね。今手掛けている私の人助けはもう少しかかりそうなの。」
わかりました。では、きみの留守の時間が短くなるようしっかり願います。
満足げな表情を浮かべ、ざしき童子はゆらゆらと消えた。
『きれいは汚い、汚いはきれい。さあ、飛んで行こう、霧のなか、汚れた空をかいくぐり。』か。
いい年をしてこんなことを書くのはやや気が引けるが、白い紙を見るといまだわくわくするし、ノートや鉛筆が大好きだ。といっても、二本前に書いたとおり、もう20年近く手書きするのはモレスキンへ年一冊で、あとはすべてノートPCでのデータ入力としているため、文房具店へ行っても眺めるだけになっているのだが。
諸般の事情により20代で家業を嫌々継いだころ、右も左もわからなかったことから、毎日びっしり業務日誌をつけた。好んで使ったのは、ナカバヤシのB5、糸綴じ、30枚。安価なのに紙質が良かった。同製品の糸綴じは1万回の開閉にも耐えうるのだそうだ。30枚は割とすぐ終わってしまうのだけれど、飽きなくていい。ノートの意外な大敵は「飽き」だ。使い切らないノートが何冊もたまって行くのは罪悪感をかき立てられるし、自分が無能に思えてくる。だから当時は薄いノートが向いていた。
結局、今の会社を起業するまでの約17年間でおよそ150冊のノートを書き、遅まきながらノートを使い切る習慣と自信を身に着けた。そしてそれは今も続いている。
そんな僕が、久しぶりにノートを購入した。
たまたま観たテレビ番組がきっかけだった。
越前和紙の老舗に育った小学生の男の子が、食べ物をまぜ込んだ紙を作る自由研究を5年間続け、その成果にインスパイアされた工芸士の母が捨てられるニンジンやミカンの皮を漉き込んだ和紙を作った。それが「フードペーパー」と命名され、ノートやカードが市販されているという。
さっそくノートを取り寄せてみた。ブドウは品切れのようでミカンを。
1冊550円。送料350円。表紙は楮(こうぞ)と麻にミカンの皮を混ぜた和紙=フードペーパーで、思った以上に凹凸があるが、決して嫌な触感ではない。慣れそうにないカンジが逆に面白い。ただ、鼻を近づけてみたものの、ミカンの香りはしなかった。かえって本文(中身)の再生タブロ紙独特のにおいの方が強い。
やや残念だったのは、SDGsサイクルのくくりで紹介されていたこのノートが無線綴じ(紙の背を接着剤で綴じる製本法)だったこと。
僕自身は単に、大事なことを書きつけた大切なノートが酷使や経年劣化でもバラバラになりにくい糸綴じが好みなだけだが、少し考えてみれば、エコなフードペーパーに化学接着剤を使うのはナンセンスだ。(たぶん企画・デザインは別なのだろう。)
それでもなお僕の胸を打ってやまないのは、家業に取り組む男の子のまっすぐなまなざしだ。
彼とその家業の前途が明るいものであることを心から願いながら、このノートを使って行こう。さあ何を書く?