○防衛大臣
今年も本市選出のO防衛大臣から祝辞をいただきました。
就任早々、北朝鮮のミサイル問題への対応など、国家国民のため、昼夜の区別なく激務に当たられている中、ご配慮いただ
き本当にありがとうございます。
○千厩ぽらん
千厩ぽらんの敬老会はいつも通り、2ユニット合同で賑やかに執り行われています。
利用者様への記念品は塗り箸でした。
後半はカラオケ大会で、利用者様が「瀬戸の花嫁」をリクエストして歌われたのですが、あの曲はある時期から苦手になって
います、、。
○千珠会ケアハウスぽらん
社会福祉法人千珠会さんが運営するケアハウスぽらんさんの敬老会に招かれました。記念式典の会場となった談話室の壁の装飾
が見事でした。
○小規模多機能ホームぽらん気仙沼
出し物は職員による二人羽織で、二組並んでの実演でしたが、一方のフロントマンが女性事務職員だったのには驚きました。
女性が顔にさまざま塗りたくられる二人羽織は初めて観ました。
そのチャレンジ精神に、脱帽です。
○室根ぽらん
毎年恒例の成美会さんによる民謡を堪能しながら、地元の立派なお膳に舌鼓みを打っています。
Kは二代続く開業医の長男に生まれた。
幼少時から成績優秀で、TH大医学部へ入学、大学院まで進んだ。
周囲はてっきりこのまま大学に残るか、あるいは医師会長を務めていた父親の跡を三代目として継ぐものだと思っていたのだが、彼はそのどちらをも選ばず、地元K市へ戻ると開設されたばかりの小さな市営病院の勤務医になった。
K医院の患者たちには、憤慨して父親へ文句や意見を述べる輩も多かった。
しかし、彼らの考えが本当に浅はかで大きなお世話だったのはすぐに証明されることになる。
頭脳明晰なうえに最新の医学知識を持ったKは院長にいたく気に入られ、またK医院の大きな看板をバックに持っていることから、組織の中で通常の1.5倍のスピードで異例の出世を果たし、若くして外科部長の要職に就いた。
病院と医師会の各種パイプ役を担うようになった彼は、市外・県外に出ている開業医の子弟たちを呼び集め、勤務医にした。
彼らはKの親衛隊と揶揄されることもあったが、一定の期間勤務したのちみなきちんと家業を継いだことから、父親の医師たちはKに感謝したし、そのことがK市の地域医療の維持に重要な役割を果たした。また、KはKで医師会に大きな影響力を持つようになった。
とうとうKは、彼のやや強引な手法に反対する勢力を押しのけて院長に就任、毎年のように拡大を続けてきた病院の新築という大事業に着手した。
同時に、絶大な権力を掌握した彼は人事権を行使して敵対勢力を院内から一掃した。
けれども、聡明な彼がいつの間にか忘れてしまっていたことが一つあった。
市営病院長の人事権は市長が持っているということを。
今関白とまで称された彼は、市長に解任された。
自分でも意外なことに、Kはなんだかさっぱりとした気分だった。
月の満ち欠け以外に自分の思い通りにならないものはないと思い込んでいたし、ドアの前に立った時にそれが開いていないとイライラした。
だがこうして長年大事だと思っていたものを取り上げられたり放り出したりしたあとの自分を改めて顧みると、自慢の秀でた頭と腕は今も変わらず残っていた。
「何も失くしていないじゃないか。」声に出して言ってみた。
一周回っていろいろあったこの人生に、次は何が起こるかもう少し見たいから、さらに一周回ってみようか。
元来、明朗快活だった彼の表情はこれまでになく清々しいものになった。
ラブ、ラブは不思議なもの
多くのひとは、それをゲームだと思ってる
一度はそれにうんざりして ひどく苦しんで
でも、飽き飽きしたと思っても 諦めることができないんだ
多くのひとは、わかってない
彼らは愛することを、持ってるお金の額だと思ってる
きみのやさしい愛情は、キスより素敵だ
でもきみが去った時、そのキスがなくて僕はさびしく思うだろうな
きみがいなくなった時、さびしく思い出すだろうな
ララララララ ラブは不思議なもの
ララララララ ラブは不思議なもの
ビートルズ解散(1970年)後、ポール・マッカートニーは2枚のソロアルバムを発表し、翌年暮れにはウイングスを結成する。
ほぼ無名のメンバーに加えて音楽は素人の妻リンダという構成だった。
同時に発表された「ワイルドライフ」はソロアルバムよりさらに荒削りな内容だったことからファンを失望させ、チャートアクションも芳しいものではなかった。
けれども、今聴いてみると、妙に味のあるアルバムで、うっかり何度も繰り返し聴いてしまう。
この「ラブ・イズ・ストレンジ」は古いカリプソ調の男女デュエットソングなのだが、「ワイルドライフ」ではレゲエ風にアレンジされ、前奏が淡々と、かつ延々と続いたと思うとラスト近くでいきなり盛り上がる不思議なカバー曲だ。
僕はこのあと原曲や他アーティストのカバーを聞き進んで行ったのだが、驚いたことに、ポールのバージョンはオリジナル歌詞の半分も歌われていないのだった。
こんなに演奏時間が長いのに。
いまだに理由は謎である。
エブリシング・バット・ザ・ガールによるアコースティック・カバー(1992年)
Love - love is strange
Many people - take it for a game
Once you've had it - you're in an awful fix
'Cause after you've had it - you never wanna quit
A lot of people - they don't understand
They think loving - is money in their hand
Your sweet loving - is better than a kiss
When you leave me - those kisses I will miss
When you leave me those kisses I will miss
9月21日、午後から仕事をサボって三年ぶりに賢治祭へ行った。
来訪者の献花が終わると開会宣言、花巻市長の歓迎のあいさつに続いて、小学生による「ポラーノの広場の歌」の合唱だった。
それこそよく知っている歌詞を一つ一つかみしめながら聴いているうち、急にううっと嗚咽をもらしそうになってしまった。
オレはいつもきれいに生きたいと願っているのに、お金やらくだらないことにあくせく追い回されている。
本当につまらない人生だ。
でも、そんな自分を必要としてくれる方々も、数は少ないけれど、いる。
ならば死ぬまで生きよう、と。
ポラーノの広場のうた
つめくさ灯ともす 夜のひろば
むかしのラルゴを うたいかわし
雲をもどよもし 夜風にわすれて
とりいれまぢかに 年ようれぬ
まさしきねがいに いさかうとも
銀河のかなたに ともにわらい
なべてのなやみを たきぎともしつつ、
はえある世界を ともにつくらん
好きな花を尋ねられるたび、百合と答える。
好きな小説の中で繰り返し印象的に使われていたからかもしれない。
大切なお客様が来訪される時など、大ぶりのものをやはり大きめの花瓶にたくさん挿してサイドテーブルなどに置いたら、とてもいいもてなしになるだろうなと思っている。
※
代助は雨を衝いてまた坂を上った。花屋へ入って、大きな白百合の花を沢山買って、それを提げて、宅へ帰った。花は濡れたまま、二つの花瓶に分けて挿した。まだ余っているのを、この間の鉢に水を張って置いて、茎を短かく切って、すぱすぱ放り込んだ。それから、机に向って、三千代へ手紙を書いた。文句は極めて短かいものであった。ただ至急お目にかかって、お話ししたい事があるから来てくれろと云うだけであった。
代助は手を打って、門野を呼んだ。門野は鼻を鳴らして現れた。手紙を受取りながら、
「大変好い香ですな」と云った。代助は、
「車を持って行って、乗せて来るんだよ」と念を押した。門野は雨の中を乗りつけの帳場まで出て行った。
夏目漱石「それから」より
※
長男にダイスケと名付けた。
二日ほどたってから、文字こそ違うものの、その小説の主人公と同じ名前だったことに気づいた。父は相当なうっかり者である。