もうずいぶん前の話だ、赤日新聞の第一面に、二基の深海探査船ジュールス号とジム号を搭載したフランスの海洋調査船が来日した、というニュースが掲載された。それを見て、たぶん10万人くらいの日本人がツッコミを入れただろう、それは英語読みせず、ジュールとジムー「突然炎のごとく」の原題で、そのネーミングこそフランスのエスプリを感じさせるものではないか、と。文化部もあるのに、大新聞社も縦割りか。
テレビ放映された「突然炎のごとく」の日本語吹替版がある。ジュールは富山敬、ジムが堀勝之祐。堀は同じトリュフォーの「隣の女」で主人公ベルナール(ジェラール・ドパルデユー)の声を当てている。隣家に越してきた昔の彼女マチルドへ次第に妄執し狂って行く凄みをよく表していた。マチルドは田島玲子だった。(以前も書いたが、この録画テープだけは捨てられないでいる。)
堀は僕らの世代だと電線マンの声。「隣の女」の吹替版を観るまでこのひとにあまりいい印象を持っていなかったのは、たぶん、スコット・ウイルソンの声を担当していたからだ。旧版「華麗なるギャツビー」の修理工、「傷だらけの挽歌」の強盗団員、「冷血」の殺人犯。
そういえば、「さらば友よ」では堀がアラン・ドロンを当てているバージョンがある。野沢那智版の方が先で有名だし、ブロンソンは大塚周夫と最強なのだが、堀のドロンに、ブロンソンが森川公也なのもなかなかいい。森川は「ゴッドファーザー」正続編でトム・ヘイゲンことロバート・デュバルを担当した渋い声の持ち主だ。
かつて香港の観光名所で、コロナ禍により閉店した水上レストラン「珍寶王国(ジャンボ・キングダム)」が、第二の人生を送る港へのえい航途中に南シナ海で沈没したという。
※
映画「慕情」(1955年)は香港を舞台に、アメリカ人記者マーク(ウイリアム・ホールデン)と、中国とイギリスの混血の女医スーイン(ジェニファー・ジョーンズ)の悲恋を描いたハリウッド製大メロドラマだ。
この「慕情」のホールデンの着こなし術と、映画の前半で彼が連発する、日本人ではとても口にできないし、思いもつかないキザなセリフは、大きな声では言えないが、僕のルーツなのだ。(名セリフの数々は、字幕スーパーだと規定の字数内に収まりきらないため要約され、月並みな言葉に置き換えられてしまっているので、TVの吹替版で観た方がずっと楽しめる。)大人になったらこの映画のホールデンのように颯爽と、かつジェントルに生きたい、と願ったものである。
そこで今回は実際にホールデンの着こなしをチェックしてみましょうか。
マークとスーインは病院の理事夫人が主催するカクテル・パーティで出会う。この時の彼の服装はというと、サイドベンツが入った茶のツイード・ジャケット、明るい茶のネクタイ、それからダーク・グレーのフランネル・パンツ(①)。最初から果敢にアプローチした彼がもう一度電話でダメ押しして、デートが決まる。
当日。病院の通用門までオープンカーで迎えに来たマークは洋装で現れたスーインに向かって(前回同様)チャイナドレスに着替えてきませんか?と半ば真顔で声をかける。
「あのドレス、とてもよかった」
「今度プレゼントしますわ」
車のドアを開け、ドアを閉める。
乗り込み方も、足を差し入れるように、ダイナミックで。
水上タクシーに乗り(②③)、レストラン珍寶で食事(④)。この時はグレーのスーツに薄いブルー・グレーのタイだ。別れ際にはお礼の握手(⑤)。
日を置かずマークは病院に押しかけ泳ぎに行こう、と誘う。迷った末OKするスーイン。クリーム・イエローのジャケット、白のパンツに白い靴、淡いクリーム色の開襟シャツ、とぐっとラフだ(⑥)。この海岸、レパルス・ベイは映画公開後、観光名所となっている。
そして有名な病院裏の丘の上での待ち合わせシーン(⑦)。スーインを遠くから見つけて手の振るあのなにげない仕草も、とにかくスマート。思わず真似たくなる。
相手役のジェニファー・ジョーンズはこの映画のために14着のドレスを香港に持ち込み、計22回着替えたと伝えられている(アカデミーカラー衣裳デザイン賞受賞)が、ホールデンの方は用意してきたワードローブが尽きたのか、これ以降は着まわしだ(⑧)。そして物語も次第に重苦しくなって行く。
①
②
③
④このシーンのセリフは最高だ
⑤
⑥
⑦
⑧
仕事場からデートの誘いの電話をかけ―
デートから帰宅したら不意打ちのおやすみコールをかける。学ばせていただきました。
大学4年の春から、新宿西口の映画館運営会社で半年ほど平日事務のアルバイトに就いた。
新宿と渋谷、それに蒲田で計三館を運営していた小さな会社で、アルバイトがもう一人、少し前に入職したサカグチくんという年下の男の子がいた。
彼は中学からグレ始め、相当悪かったらしいのだが、本人曰く、グレ過ぎて、一周回ってフツーになったのだそう。その割に、尻ポケットにいつもジャックナイフを忍ばせていた。
ある日向かいの席の彼に尋ねられた。
「井浦さん、石井隆って知ってますか?」
知ってるよ。仙台出身だよね?「天使のはらわた 赤い教室」(1977年)を高校の時に映画館で観たよ。蟹江敬三がよかったね。
「観たんスか?!」口調が急に手下風になっている。
うん。そのあと本も何冊か買って、隠し持ってるよ。村木と名美の物語の。
「へええ!オレ、大ファンなんスよ!こんなところで同好の士に会うなんて!」
いや、そんな同好の士ってほどじゃないけど。そういえばサカグチくん、こないだ茶沢通り(三軒茶屋)の古本屋で、石井隆のサイン本が大量に並んでるのを見かけたよ。誰が売ったのだろうね。10冊近くあったな。よかったら代わりに買ってこようか。ダブったら、きみのを僕に譲ってくれるといい。
そのあと実際に買ってきて、二人で分けた。
僕らはそれをきっかけに仲良くなり、僕が就職準備のため退職し、彼もそこを辞めて江古田のレンタルビデオ店の店長になってからも交流は続いた。
週末に彼のアパートへ遊びに行き、こたつに入って「タクシードライバー」や「ローリング・サンダー」、「ビデオドローム」、「ブレードランナー」や「サイレント・ランニング」などを観ながら明け方まで安いバーボンを飲んだ。
ちょうどそのころ、石井隆脚本の「ラブホテル」(1985年)と「沙耶のいる透視図」(1986年)が相次いで公開され、サカグチくんの石井隆熱は沸点に達していた。
前者はいい映画だったし、後者(高樹沙耶のデビュー作)のラストは石井が好きな「雨のエトランゼ」へのオマージュだった。
そうこうしているうちに僕は家庭の事情で都落ちし、彼は彼でまもなく店を辞め、固定電話が不通になり、アパートも引き払って行方知れずになった。東京ではよくあることだ。
先週、石井隆の訃報に接してからずっと思っている。
サカグチくんは僕を思い出してくれているだろうか。ゴメン、ポール・シュレーダー論はまだ書いてないや。
「天使のはらわた 赤い教室」の村木(蟹江敬三)と名美(水原ゆう紀)
「ラブホテル」の村木(寺田農)と名美(速水典子)
6月第二土曜日の早朝、新型コロナウイルス感染症の流行により二年連続で中止になっていた岩手の初夏の風物詩チャグチャグ馬コが三年ぶりに開催された。
参加した馬の数は58頭とのことでずいぶん減ったが、とにかく、無事に開催されたことがまず嬉しい。
何度も書いているとおり、ニュース映像などのチャグは、田園風景の中を幼子の乗った馬の列が鈴を鳴らしてゆっくり歩く、のどかな田舎の祭りの一つにしか見えないが、スタート地点の鬼越蒼前神社での印象は全くの別物だ。
馬は参道や境内の観衆に興奮して荒ぶりいななき、道中の無事を祈願しに訪れた社殿の賽銭箱の手前まで足を掛けるものもいる。また馬子たちもそれを大声で𠮟りなだめる。さらに、馬の行く手を身勝手にふさぐ爺さんカメラマンたちは容赦なく怒鳴りつけられる。少なくとも神社内では、観光行事などではなく、荒ぶる神事なのだ。