フードマイレージという概念を知ったのは、1990年代半ばだったと思う。イギリスで、食品の重量に輸送距離をかけた数値(トン×キロメートル)『フードマイルズ』に基づき、居住地になるべく近い生産地の食品を消費することによって環境負荷を減らそうという市民運動が起こっており、スーパーの生鮮食品などのラベルにその数値が表示されている、というニュースを見たのがきっかけだった。
そもそもネーミングが素敵だし、行き着く先は日本で言う地産地消、身土不二(しんどふじ)とほぼ同一だから、感覚的に受け入れやすかった。以来、自分が食べるものについては、価格と同じかそれ以上に注意深く産地を確認している。
食料の輸送に伴い排出される二酸化炭素は、環境に与える大きな負荷となっている。食品の生産地と消費地が近ければフードマイルズは小さくなり、遠くから食品を運んでくると大きくなる。
ただし、収穫期でなかったり、消費地近傍に栽培適地がない農作物のフードマイルズを短縮するためにハウス栽培を行ったりすれば、適地で露地栽培したものの輸送よりも必要エネルギー量が大きくなってしまうことから、適地適作の範囲の地産地消が妥当で、フードマイルズは単に食糧問題の一側面を計るものにすぎないという批判も少なくない。
島国日本のフードマイレージは世界一位で、イギリスの2.2倍、フランスの4倍に達している。自国で生産するより輸入した方がすべて安価であったことがその理由だったろうが、ロシアによるウクライナ侵略戦争と政府・日銀の失政によりそれが急激に逆回転し出し、生産者・消費者双方を苦しめている。
この苦境を、フードマイレージの概念を切り口にして解決できないかな、と僕は最近よく考えている。
NHKのHPより。ここでの穀物はおもに飼料用だそう。
宮城県名取市の工場で作られたおにぎり。山形県のコメ、有明の海苔。フードマイルズはいくら?
『リチャード・キンブル、職業医師。正しかるべき正義も時として盲しいることがある..。』
矢島正明の陰鬱なナレーションで始まる往年の名作ドラマシリーズ「逃亡者」は、1963年の放映開始から絶大な人気に支えられ、四年の長きに渡って続いたが、時代が変わり、かつての熱狂が失せてしまったのを反映してか、シリーズ終盤の各回は心なしかややうらぶれた寂しいムードが漂っている。
この「逃亡者」はその後93年にハリソン・フォード主演で映画化され、さらに2000年には再びシリーズドラマ化されている。
後者はたいした話題にもならずに1シーズンで打ち切られ、ストーリーの結末さえ作られなかった。深夜に放映されているのを時々観たが、キンブル医師を擁護するネット上の支援グループが存在したり、ジェラード警部が黒人だったり、毎回キンブルが亡くなった愛妻の幻影に切々と語りかけたりと、盛り込まれた現代的な新趣向はなかなか面白いものだったものの、それはかえって「逃亡者」本来の魅力をそぐように思えた。
大ヒットした映画化作品も、アクションにつぐアクションでハラハラさせられながらどこか他人事なのは、逃亡生活の短さと、その間のエピソードの少なさからくるものだ。
デビッド・ジャンセンの「逃亡者」は、有能で誠実な医師が妻殺しの汚名を着せられ、執拗に追跡され、明日への希望も持てず、絶望的孤独にさいなまれながら、トラックの運転手やスタンド店員、農夫など主に厳しい肉体労働の職を転々とする。
そんな彼が窮地に陥ると、きまって救いの手を差し伸べてくれるのは女性―それも市井にひっそりと暮らす地味な女性たちである。別れの挨拶や感謝の念を伝えることもろくにできないままキンブルは立ち去って行くが、彼女たちの方も、彼に出会ったことで確実に何かが変わっている。
当時のファン=視聴者たちは、男は不運でもあり、ある意味毎回幸運でもあるキンブルに、そして女性は心優しく、やや向こう見ずな各回のヒロインたちに、それぞれ自分を重ねたのであろうし、このエピソードの積み重ねが、シリーズへの思い入れを強くして行ったのだ。
先に書いた、最終シリーズの終回に登場するヒロインもよかった。「片腕の男」がロスでつかまったとの情報を得たジェラードは現地に赴き、キンブルを待ち受ける。それを知ったロス市警勤務の女性速記者はあわててキンブルの義妹夫婦へ連絡、さらにジェラードの予想通り姿を現したキンブルを非常線から救い出す。
彼女はキンブルと同郷だった。父親は彼と同じゴルフクラブ会員の税理士だったが、顧客である町の人々の金を横領して逮捕され、獄死した。残された母娘を町中が村八分にしたが、唯一それに加わらなかったのがキンブル夫妻だったというエピソードが彼女の口から語られる。あなたを救うのは、そのときの恩返しでもあるの。そう言いながらキンブルを見つめる彼女の瞳は、熱く燃えているのだった。 (この項つづく)
キンブル医師(左)。隣はゲストのクロード・エイキンス。子供の誘拐犯。サイテーだ。
ジェラード警部(右)。隣はゲストのロバート・デュバル。嫉妬からタレこむ縫製工。
「最後の航海」(1960年)という、日本ではビデオもDVDも発売されていないものの、知る人ぞ知る映画がある。
「SOSタイタニック」のヒットを受けて、柳の下の二匹目のドジョウを狙って作られた海難映画で、「ポセイドン・アドベンチャー」(1972年)が大ヒットするまではよくテレビで放映されていた。
退役して日本の解体業者へ売り渡されたフランスの豪華客船をちゃっかり借り受け、淡路島沖でセット代わりにして爆破し、果ては実際に沈めながら撮ったというだけあってやたら迫力がある。俳優たちの表情もどこかひきつっており、撮影時の過酷さや緊迫ぶりが容易に想像される。
災害に巻き込まれるのが、ドロシー・マローンとロバート・スタック。先日書いた「風と共に散る」、「翼に賭ける命」の二人が、ここでは幼い娘を連れて東京へ赴任のための船旅を楽しむ幸せな夫婦を演じている。
機関室の大爆発により沈没が時間の問題となり、さらに愛妻マローンが鉄骨に挟まれて身動きが取れなくなってしまった最悪の状況下で、必死に行動する夫と乗組員。
「ポセイドン・アドベンチャー」以降、雨後の筍のように製作されたパニック映画が面白くもない人間模様をあれもこれもと盛り込んで散漫な出来になったのとは対照的に、この映画は家族を守ること、妻を助けることだけをテーマにしてエンディングまでまっしぐらに進んで行く。ロバート・スタックと、それを手伝う黒人水夫のウッディ・ストロード(ジョン・フォード一座所属)が最高にカッコいい。
劇場公開当時の予告編
別編集の映像。デッキでマローンが転んでいる(58秒)。演技なのかどうか判別できないほどの慌てぶりだ。
水位が上昇して
私たちデイサービスの職員は、利用者様の朝夕の送迎の際に家族様と接することも多い。
その短いひとときの間に挨拶を交わし、連絡ノートでは伝えきれない申し送りや、時には家族様から相談事を受けることもある。
今朝は家族様の体の悩みごとというか愚痴だった。
加齢のせいか乾燥した肌がどうにもむずがゆく、無意識のうちに強く掻いてあちこち掻きこわしてしまった。
しかたなく皮膚科を受診すると、ステロイド系の軟膏を出されたのだが、医師のアドバイスはたったひと言、「綿のものを着なさい」だったのよ、そう言われてもねえ、と彼女は笑った。
このエピソードを、打ち合わせのついでにNPO法人なごやか理事長に話したところ、予想以上に面白がられた。
「確かに、女性は入り口からまずストッキングの問題があるから、綿100%のものをと言われても難しいかもしれないね。
かく言う僕は、子供のころから病気とまではいかないものの肌がとても弱くて、自分で洋服を買うようになった十代半ばからは、化学繊維のものをほとんど身に着けていないんだ。
セーターやカーディガンは一枚も持っていない。化繊が入っていなくても、首や手首がチクチクして。
今も、下着は上下コットンで、シャツもそう。スーツはウール100%に裏地はキュプラだ。キュプラは綿素材だから安心。ちなみにレーヨンはパルプが原料だよ。
マフラーはシックな柄が入ったシルク。信じられないだろうけど、意外と安価だし、薄い割に暖かいんだ。
唯一の例外は、靴下だ。こればかりは、綿だけ、ウールだけだと(改良が進んではいるものの)強度不足から靴の中で動いたりして具合が悪い。それでやむを得ず、化繊入りのものを履いている。
ともあれ、こんな風に男性なら、ずぼらな僕ですらも、綿、毛、絹、麻、革など混ざりものなしだけを着るのことができるのだがね。しかも、大した出費なしで。
それにしても、そのドクターのアドバイスは僕のこれまでの歩みを肯定されたようで、すごく嬉しいな。教えてくれてありがとう!」
シャツ
スーツ。「ベンベルグ」は旭化成の登録商標。
ステンカラーコート
チェスターコート
ニットシャツ
地元紙が企画した介護サービス法人特集の「介護の日(11月11日)」の広告へ、当法人はまた本市出身で在京のプロの漫画家さんに依頼したイラストを掲載しました。
今回は、旬を迎えているリンゴ狩りがテーマです。
新型コロナ感染拡大前は当法人も毎年事業所ごとに出かけていましたが、残念ながらここ3年は大事をとって自粛中です。
山の澄んだ空気と暖かな日差しの中で、初冬のひとときを仲良く、楽しく、過ごす好イベントを、再度行える日が来てほしいと強く願っています。