今日は年度末であり、決算日だ。
驚いたことに、昨年度の決算日とはまるで気分が違っている。
新型コロナ感染症に始まりコロナ禍のまま終わろうとしている今年度だが、一方で、さまざまな救済・支援メニューが創設された。
それらに対してアンテナを高く張って、果敢に取り組んだ者だけが笑顔で居れた、特異な一年だったように感じている。
同じ風景の中で漫然とあぐらをかいていた者は厳しく退場を命じられた。
それはこれからも続いて行く。
昨年度末、胸に去来したのは、紙一重でよく乗り越えたものだという寒気まじりの感慨だったが、今年度はとにかく仕事をした、という大きな手ごたえだ。
働いて、働いて、夏に体調を崩し、そのまま戻らなくなった。
でも、どこかでそれも勲章だ、と考えている万年ワーカホリックな自分がいる。
コロナ禍のステイホーム(東京都のビッグシスターはいつも上からの命令形だ)、リモートワークで、周囲にほとんど気づかれなかったのも面白かった。
ひととひととのつながりってその程度のものなのだな、とそこにも驚いている。
管理者を務めているやまねこデイサービスが休業の日曜日、私は喫茶店アルファヴィㇽへ手伝いに来ていた。
アルバイトのIさんが弘前の実家へ戻って以来、お店はオーナーとバイトの女学生、それに私の3人で営業を続けていた。
さっきからカウンターに座っている若い女性がなにか言いたげに頭を動かしている。
その隣では、小さな男の子が熱心にクレヨンでノートに絵を描いていた。
あの、とその女性はやっとオーナーへ声を掛けた。
貼り紙にパート募集とあるのですが、私が応募してもいいでしょうか?
ええ、構いませんよ。
オーナーの声は優しかった。
私、隣町から越してきて、ついさっきアパートを契約したばかりなのですが、職が決まっていないとこの子の保育所を申し込めないんです。
オーナーがうなずく。
お子さんは何歳?
三歳です。
お名前は?
リヒトといいます。
あら、いいお名前ね。
じゃあ、保育所の申込用紙にはこのお店をお書きなさい。
これから頑張ってね。
ハイ、と答えると女性は大粒の涙をこぼした。
その時、ドアが開いてNPO法人なごやか理事長が入ってきた。
カウンターの中の私を見るなり、「きみはウチの管理者じゃなかったっけ?」とお約束のジョークを飛ばした。
その彼はおや、という風に男の子を見やると、ボクお名前は?と尋ねた。
リヒトくんです。
オーナーが代わりに答えた。
おお、いいお名前だね。
そういいながら、彼は隣の母親をプロの目で眺めた。
理事長、またオーナーに先を越されたようですね。
現在、県・市の補助金メニューで、非常用自家発電装置設置工事と簡易陰圧装置設置工事を計8本、同時に進めている。
年度内の工事完了・実績報告が必須なので、かなり馬力を上げてあたっている。
これらの工事は、当法人ホームの電気工事のほぼすべてを手掛けた電気工事会社さんが落札してくれた。
そちらの会社の若社長さんは、東日本大震災で鹿折地区にあった社屋と自宅をすべて流され、大変な思いをされた方だ。
その後市内外の復興関連の工事を手掛けて業績を伸ばされ、多忙な日々を送っており、二人して向かい合って打ち合わせるのは本当に久しぶりだった。
契約日から完成予定日まで期間がとにかく短いことから、先方が綿密な工程表を作成し持参してくれた。
これなら余裕で間に合いますね、さすが社長さんです。
僕は安どのため息をついた。
いえいえ、かえって、全額前払いしていただいて、例年のように年度末の運転資金の手当てに困らなくて本当に助かりました。相手が頭を下げた。
お互い安心したせいか、しばし時間を忘れて世間話に花が咲いた。
「コロナ禍で生活にメリハリがないじゃないですか、それに私はこんな風に休みなしなので、今日が何曜日なのか、分からなくなるんですよね。私は夜飲み歩くこともなければ、ゴルフをするわけでもない、唯一、少年バレーボールのコーチを務めていたのですが、今はそれも自粛で。おしゃれに興味があるわけでもない。井浦理事長さんにいただいたシャツをいまだ着ていますよ。妻にはそろそろ処分したら、と言われているのですが(笑)」
不意打ちだった。ああ、憶えていてくれたのか。
震災の翌日、家を失い、着の身着のままの彼とその一家にばったり会った。下請けの防災設備会社の事務所に間借りするという。奥様はショックを隠せない様子だった。
僕はいてもたってもいられなくなって家に戻り、スポーツバッグを取り出すと、クローゼットにあった未開封・未使用のシャツやTシャツ、靴下、タオルなどをありったけ詰め込んで取って返し、彼に渡した。「センム(当時の彼の肩書)、お互いきっとはね返しましょうよ。」
僕が言葉に詰まっていると、彼は笑って言った、「バッグも使っています。」
「年度末は出会いと別れの季節でもある。当法人は今年度末から来年度初めにかけて、10名が退職し、15名が入職する。なんだか計算が合わないね。今年度は大詰めに来てバタバタと採れた。別れる方々に対しては、新天地でお元気でと、出会う方々には、期待に沿うような法人運営を心がけます、と声を掛けよう。
先日、最初のホームを開設した際にとてもお世話になった方が亡くなった。その方には、『井浦くん、(認知症高齢者)グループホームが始まったら、365日24時間営業だよ』と言われたが、まさにそのとおりだったし、今もそうだ。社会福祉法人を創設する際に理事職をお願いしにお宅を訪ねたところ、少し前から入院中でちょうど今日、退院してくるとご家族様に言われ、依頼を断念した。あの頃からすでに体調を崩されていたのかもしれない。思いがけず僕が訪ねてきたことに喜んでいた、と後から人づてに聞いた。
昨日は意外な方から定年退職に際しての挨拶の電話をもらった。ミス・エイスワンダーの元上司、つまり僕の一人前の上司だ。それがどうにも気に入らなくて、ことあるごとにもめていたのだけれど、大震災の3日後だったか、廃墟の中でお互いリュックを背負ったよれよれの格好でばったり会って、それを機に許せた。今の心境?最終決戦に勝利したというよりは、張り合う『元カレ』がいなくなってちょっとだけ寂しいかな。
僕より背が高い、メイン行の担当者も転勤だと報告にいらした。次は岩泉支店だとのことで、あちらは大きな災害に見舞われたので復興特需に沸いているかもしれませんね、ぜひそこにビジネスチャンスを見出し、このけせもい市で培ったノウハウを活かしてください、とはなむけの言葉を贈った。」
YouTubeを知って以来、いつかどこかの誰かが違法アップロードしないかな、と時々こっそり検索していた動画が、とうとう出てきた。しかも予想外の高画質で。
1980年秋に伊東ゆかりがMCを務めるTBSの音楽番組にシーナ&ロケットがゲスト出演した回。伊東とともに「ユー・リアリー・ガット・ミー」(キンクス)、「カム・オン」(チャック・ベリー)、「アイ・ガット・ユー、アイ・フィール・グッド」(ジェームズ・ブラウン)、それに「ジョニー・B・グッド」(C・ベリー)をメドレーで歌う、楽しい企画だった。切られているがこの他に当時の最新シングル曲「ベイビー・メイビー」の演奏と、伊東によるインタビューもあった。
「鮎川さんは(アマチュア時代)どんな曲を演奏していたのですか」という問いにマコちゃんが「ロコモーション」!と勢いよく答えると、ああ、私もよく歌いました、と伊東が穏やかな笑顔で返し、なかなかいい雰囲気だった。
まだ十代だった僕はVHSで録画し、さらにメドレー部分をカセットテープにライン録音してウォークマンに詰め、いつも聴いていた。
ビデオテープもカセットもとうにどこかへ行ってしまったが、こうしてまた聴くことができたのは本当に感慨深い。オーバーダビングされたホーンや拍手もチャーミングだ。
「カム・オン」はローリング・ストーンズの記念すべきデビュー・シングル曲でもあった。ちなみにB面は、マディ・ウォーターズの持ち歌(ウイリー・ディクソン作)「アイ・ウォント・トゥ・ビー・ラヴド」のカバーだ。
およそ1分31秒から。こん頃のシナロケ、最高やね。