一週間ぶりに喫茶店アルファヴィルのオーナーが帰ってきた。
入院した隣県にいる友人を心配して、看病に出かけていたのだ。
お店は休業するとオーナーは言ったけれど、常連さんたちのことを考えて、私と女スパイルックのIさん、それにアルバイトのコでなんとか留守を守り切った。
NPO法人なごやか理事長も気が気でないのか、何度も顔を出している。
コックスーツに着替えたオーナーは手早くアップルパイを作りながら、私たちにお土産話をたくさん聞かせてくれた。
「あちらへ行って五日目の朝に、なんだか夢見が悪くてね、理事長さんに電話したの。こちらはもうだいぶ涼しくなりましたよ、と何でもないことをいつもの口調で話されるうちに気持ちがみるみる落ち着いてきた。ありがたかったな。そしたら急に、『オーナー、痩せたり太ったりしていませんか』と尋ねられて。それがおかしくって笑ったら、電話の向こうでも笑い声がして、ああ、早く帰りたいな、と思った。」
とりとめがないようでいて胸を暖くするエピソードに、私たちも顔を見合わせて吹き出してしまった。
今度夢見が悪かったら、私も理事長へ電話しようかな。
時節柄、介護サービス事業所の敬老会はピークを迎えています。
招かれて参加する会はどこも事業所なりの工夫が凝らされていて、規模が大きくても、小さくても、職員たちの温かい気持ちがよく伝わってきます。
〇小規模多機能ホーム気仙沼
午後のおやつの時間に、職員による合奏や南中ソーラン節などの余興も交えてにぎやかに開催されました。
折り紙が鶴、最中が亀、と縁起ものです。
〇グループホームぽらん気仙沼
こちらはお昼に利用者様と行事食を静かにいただきました。
大変豪華なお弁当でした。
〇グループホームポラーノの杜
こちらの入居者様は100歳を迎えられたということで、国・県からの金杯ほか表彰状が伝達されました。おめでとうございます。
どうぞますますお元気で。
〇グループホームぽらん
申し訳ありません、起案書をしっかり確認せず、期日を一日間違え、すっぽかしてしまいました。
こんな失態は初めてです。
ゴメン、この埋め合わせはきっとします。
今日は私が管理者を務めるやまねこデイサービスの敬老会だ。
小雨降るあいにくの天候にもかかわらず、定員40名の全員がいらしてくださり、大ホールは身動きもままならない状態になっていた。
出入り業者のMモータースの社長さんが特技のフォークギターで利用者様の歌や職員の合唱に伴奏をつけ、座を盛り上げている。
隣に座ったNPO法人なごやか理事長はというと、その合い間に「スカボロー・フェア」や「ミセス・ロビンソン」、「500マイルズ」などを個人的にリクエストしては、譜面がないとちょっと、とM社長さんを困惑させていた。
もちろん、そんないたずらめいたことばかりしているわけではなく、お茶とジュースのペットボトルを両手に持って利用者様お一人お一人にお酌しながらお礼を述べて回っているところは、やはり経営者だな、と私はひそかに感心していた。
仕事柄、紅白の大福餅やまんじゅう、最中が出る席に座ることが多いのだが、そんな時、隣の職員に時々尋ねてみる。
「きみは紅白、どちらから食べる?」
たいていの場合、きょとんとした顔で「考えたことがありません」あるいは「考えたことも、ありません」という答えが返って来る。
そうか。
僕は必ず白から食べる、いや、白だけ食べて赤は持ち帰る。
置き忘れることの方が多いのだが、それが僕の貧乏くさい、長い習慣である。
母親や、今は娘に見せたくてのことだ。
それに、赤から食べると、元々紅白のセットであったかどうか、わからなくなるではないか。
金星音楽祭のすべての演目が終わり、私は上司であるNPO法人なごやかの理事長のあとをついてロビーに出た。
そこで呼び止められた。
理事長とは旧知の間柄の、他法人事業所の管理者だった。
「お時間があれば、少し聞いていただきたいことがあるのですが。」
二人はロビーのソファに向き合って座った。
理事長は私にも同席するよう、目配せした。
今、あるプロジェクトを上司から任されて進めているのだけれど、どうもイメージ通りに運ばず、自分の仕事のできなさ加減を痛感している、そんな内容だった。
うなずいたり首を横に振ったりしながら聞いていた理事長は、相手が話し終えても少しの間沈黙を続けた。
それは、どこから話そうか、ひと筆目の置き所に迷っているように見えた。
やがて口を開いたのだが、案にたがわず、そのひと言目は意外なものだった。
「はっきり言って、長いこと僕はきみの上司たちをひどく妬ましく思っている。
でも、みな何もわかっていない。
きみの使い方をまったくわかっていない。
きみは特別なひとで、ただいるだけでいいのだ。
そこにいるだけで、周りを暖かい気持ちにさせ、特別に選ばれたような気持ちにさせる。
ホラ、昔のひとはよく言ったじゃない、『床の間に飾っておきます、床の間に座っていてくれるだけでいいんです』って。
高価な美術品や、美しいブロンズ像を働かせようとしたり、元をとろうとするひとはいない。それらが置かれた時に一層映える環境を真剣に考え、整備することはあっても。
きみが仕事ができそうだから(いや、実際できるのだけれど、)相手は頼むのだろうし、きみもまた使命感から率先して仕事を引き受けてしまうのだろう。
でも―普通のひとには分からないだろうな。
きみには取扱説明書がない。
なにせ、そこに存在するだけでいいのだから。
だから、逆なのだよ。きみの上司が汗をかいてプロジェクトをまとめ、終わった後にきみを置く。これが正しい形だ。―僕ならきっとそうするね。」
まったく予想外の話を身じろぎもせず聞いていた彼女の大きく見開かれた目はだんだんと細まり、やがてぷっと吹き出した。
そして竹のドアチャイムが風にそよいだ時のように小気味よくカラカラと笑った。
最上級の賛辞を受け取って、胸のすく思いがしたのだろう。
私までうきうきとした気分になった。
「あとできみの事業所に宅急便で台座を送るから、その上に立っていなさい。迷ったら連絡するのですよ、この老いぼれ宮廷詩人がまた楽しい曲を奏でて差し上げるので。」
理事長は立ち上がると手を差し出し、二人は握手した。
私にはその時間が少しだけ長いように思えた。