ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

決算日

2020年03月31日 | なごみ

 今日は年度末であり、決算日だ。

東日本大震災から10回目の決算日。

毎回よく乗り越えてきたものだと我ながら感心している。

 時期的なものとして、最近、新聞紙上でたびたび取り上げられているのが、「グループ補助金」を利用して再建を果たした企業の破綻や苦境だ。

例えば、石巻市ではその傾向が顕著で、大震災前に200社あった水産加工会社のうち、この9年間で少なくとも20社前後が倒産もしくは廃業したという。

業種が異なる当法人は当該補助金こそ利用しなかったが、他の補助金の自己負担分と、流失した事業所のローン残額の、いわゆる二重ローンに同じように長く苦しめられてきた。

ただ、融資に関して、据え置き期間を設けなかったことから、早いものだとすでに支払いが終わるものが出始め、今年(来年度)はそのピークにあたっている。

こんな日が本当に来るとは。

 

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808

2020年03月30日 | 末広がり

 早く発つ予定が不意の来客や電話で遅くなり、出張先での打ち合わせまでもう時間もなかったのだが、その日は朝から何も口にしておらず、あまりの空腹に耐えかねて会場近くの定食屋へ駆け込んだ。

手渡されたレシートの金額は808円。おお、末広がりで幸先いいね、思った。

 無事打ち合わせに間に合い、そのあと宿泊予定のホテルにチェックインしたのだが、フロントで差し出されたカードキーを見てぞっとした。

808とルームナンバーが記されていたので。

僕は古典怪奇短編の傑作「猿の手」(W・W・ジェイコブズ作)を思い浮かべていた。

ここまで来たらきっと三度目がある。そのときはー。

 ホテルで落ち着かない一夜を過ごした僕だったが、結局何も起こらなかった。808からの脅迫電話や、808ナンバーの車に轢かれるなどの。

ああ、よかった。

ほっとしながらチェックアウトし、車のスタートボタンを押すと、速度計と回転計(タコメーター)の間のデジタル時計に青白く時刻が浮かび上がった。午前8時08分だった。

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父の背中

2020年03月27日 | なごやか

 父が亡くなったのは私が大学に進学した年でした。

まだ58歳でした。

 最後に会ったのは、その年の秋、ひょっこりキャンパスまで訪ねてきてくれた時です。

少し前から病気がちでずいぶん痩せていましたが、相変わらず仕立ての良いスーツをりゅうと着こなしていました。

ミオが背が高いのは父親似なのね、とクラスメートに冷やかされながら、私は内心得意でした。

いつだって父は私の引き立て役でしたから。

 秋色のキャンパスを見渡し、うらやましいな、とつぶやいたので、何が?と尋ねたけれど、答えはありませんでした。

ホテルまで送るから、との私の申し出を断り、一人で帰って行きました。

 別れ際、手品師のような気取った仕草で財布からお札を全部取り出すと、同じように私のバッグへ滑り込ませました。

「ヤング・レデイはなにかとお金がかかるだろうから、ね。」

 

 遺言により、父の亡骸はA県のH大学病院へ献体されました。

遺骨は構内の共同墓地に埋葬されています。

 

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ムスタング・サリー

2020年03月24日 | favorite songs

 1982、3年頃、吉祥寺や高円寺のライブハウスへブルースマンの永井隆を聴きに行くと、たいがいオープニング・ナンバーはウイルソン・ピケットの「ムスタング・サリー」かリトル・リチャードの「シェイク・ア・ハンド」だった。

当時苦学生だった僕は、いつかムスタングに乗ってみたいものだ、と分不相応な夢を思い描いた。

 関西人の永井のMCは楽しくて、「ムスタング・サリー」を演ると必ず、その前年に来日した際のウイルソン・ピケットの失敗談(ここには到底書けない内容)を披露しては笑いを取っていた。

 

 

Mustang Sally(1966年)

 

じゃじゃ馬サリー 

もう少しおまえのムスタングをスピードダウンした方がいいぜ

ムスタング・サリー 

もう少しおまえのムスタングをスピードダウンした方がいいぜ

街中走り回っているけどさ

おれが車から引きずりおろしてやろうか

 

お前がやりたいことは、乗り回すことだけ

いいさ、サリー、やりなよ

お前がやりたいことは、乗り回すことだけ

いいさ、サリー、やりなよ

お前がやりたいことは、乗り回すことだけ

いいさ、サリー、やりなよ

 

ある朝おまえは涙をためた目を拭ったな

おれが65年式の新型ムスタングを買ってやったのだから

今やおまえはやけに女っぽくなったけどさ

おれを乗せたがらないとはどういうつもりだ

 

じゃじゃ馬サリー 

もう少しおまえのムスタングをスピードダウンした方がいいぜ

街中走り回っているけどさ

おれが車から引きずりおろしてやろうか

 

 

 

 

「デンジャラス・ビューティー」(2001年)より、変身後のサンドラ・ブロックの登場シーン。

この映画のマイケル・ケインは最高だ!

 

 

 

Mustang Sally

 

Mustang Sally, think you better slow your mustang down.

Mustang Sally, think you better slow your mustang down.

You been running all over the town now.

Oh! I guess I'll have to put your flat feet on the ground.

 

All you want to do is ride around Sally, ride, Sally, ride.

All you want to do is ride around Sally, ride, Sally, ride.

All you want to do is ride around Sally, ride, Sally, ride.

 

One of these early mornings, oh,

you gonna be wiping your weeping eyes.

I bought you a brand new mustang 'bout nineteen sixty five

Now you come around signifying a woman,

you don't wanna let me ride.

Mustang Sally, think you better slow your mustang down.

You been running all over the town now.

Oh! I guess I'll have to put your flat feet on the ground.

 

All you want to do is ride around Sally, ride, Sally, ride.

All you want to do is ride around Sally, ride, Sally, ride.

All you want to do is ride around Sally, ride, Sally, ride.

 

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十年後の「駅馬車」

2020年03月23日 | ジョン・フォード

 

 まだVHSもベータもなかった頃、僕は映画「駅馬車」の全セリフを収録した二枚組LPというものを繰り返し聴き過ぎて、そっくりそのまま暗記してしまった。それだけなら別になんてことはないのだが、たまにテレビにかかっている「駅馬車」を観たりするとSE(効果音)を含む登場人物全員のセリフが勝手に口をついて出てくるのだ。イタコ、あるいは人間レコード。これは本当に困る。他人に見られたら即、病院行きだろう。

 さらにもう一枚、珍しいものがある。ラジオ・ドラマ版「駅馬車」のレコードだ。ジャケットに記されたクレジットによれば、映画から十年後の1949年1月9日にオリジナル・キャストのデューク(ジョン)・ウエインとクレア・トレヴァーが"NBCシアター"という番組で演じたもので、二人に加え、前口上をジョン・フォード監督が担当、"フォード一座(フォード・ストック・カンパニー)″の大番頭であるワード・ボンドがブーン医師に扮している(レコード化されたのは76年)。

 まず当時監督協会の会長だったジョージ・マーシャルが登場し、彼がフォードを紹介する。 上機嫌らしい"パピイ"(フォードの愛称)が歯切れ良く口上を述べると、物語はすぐに始まった。場面構成はほぼ映画通り。短時間の番組なのでストーリーがテンポ良く展開して 行く(細かく書きたいところだが、省略) 。

本編が終わると再びマーシャルに紹介されたパピイが主演の3人を伴って現れ、4人でしばし当時の思い出を語る。実に和気あいあいとした雰囲気である(アメリカの芸能人はこのへんがとてもうまい)。

「とにかくほこりがひどくて、髪を洗うのが大変だったわ」とトレヴァー。それではみなさん、おやすみなさい、と彼女がしめて番組は終わった。

 トレヴァーは初め清純派としてデビューしたものの鳴かず飛ばずの状態が長く続き、「駅馬車」のダラス役で鉄火女・悪女型に転身した。それからはA級とB級映画の間を行ったり来たりしながら演技に磨きをかけ、48年(このラジオ・ドラマの直前)にはハンフリー・ボガートとローレン・バコール夫妻主演の「キー・ラーゴ」で演じたヤク中・アル中の元歌手役で、見事アカデミー助演女優賞を獲得している。

 デューク・ウエインも十年の間に押しも押されぬ大スターとなっていた。49年といえば、ホークスの「赤い河」 、フォードの「黄色いリボン」、初めてアカデミー賞にノミネートされた「硫黄島の砂」と続々傑作を生み出し、気力充実していた頃である。ともに帰り新参として謙虚な気持ちで出演した「駅馬車」から十年後―全盛期・円熟期を迎えた2人の声は深く、エモーショナルで、目を閉じて聴くとキャラクターの動きと表情がはっきり見えるようだ。

 もう少し続きがある。この番組はレコードのA面にすっぽりと収録されていて、B面には46年にランドルフ・スコット主演で作られた「駅馬車」(もちろんこれもラジオ番組)が収録されているのだ。ダラス役はやはりクレア・トレヴァー。このLPは、彼女にとってダラスが(自他ともに認める)一世一代の当たり役だったことをはっきりと裏付けている。

 

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