喫茶店アルファヴィルの入口ドアを開けると、カウンターの隅の席にNPO法人なごやかの理事長が座っていた。
そのすぐ脇にオーナーが立っている。
彼は私の顔を見ると照れくさそうに言った。
「オーナーから美味しいアップルパイが焼けたのでと連絡をもらって来たら、サプライズでお赤飯をごちそうになっちゃって。」
理事長がK市福祉施設等運営法人組合の組合長に就任したことは地元紙でも大きく報じられ、私たち職員もみな誇らしく感じていた。
そのお祝いだった。
「まんまとおびき出されたなあ。
白花豆、青エンドウ、金時豆、小豆などさまざま入ってまず見た目がきれいだし、ふわふわの食感に、甘味と塩味が丁度良く、本当に美味しいよ。
もちろん、一番美味なのはそのお心遣いだけど。」
香蘭社の美しい湯呑に緑茶をゆっくり注ぎ足しながら、オーナーが笑顔で言った。
「母が炊くお赤飯が甘いお赤飯で、理事長さんのお好みもそうかと思い、今朝二人で作ってみたんです。」
理事長は何度もうなずいたが、もう言葉が出ないようだった。
彼はいつも私たちに教えていた、相手を本当に喜ばせたいのであれば、相手の予想を超えて行け、と。
きっとこれは理事長の予想を軽々と超える、もてなしと心づくしだったに違いない。
「ぼくらの方の、ざしき童子のはなしです。
(中略)
また、北上川の朗明寺の淵の渡し守が、ある日わたしに云いました。
『旧暦八月十七日の晩に、おらは酒のんで早く寝た。おおい、おおいと向うで呼んだ。起きて小屋から出てみたら、お月さまはちょうどおそらのてっぺんだ。おらは急いで舟だして、向うの岸に行ってみたらば、紋付を着て刀をさし、袴をはいたきれいな子供だ。たった一人で、白緒のぞうりもはいていた。渡るかと云ったら、たのむと云った。子どもは乗った。舟がまん中ごろに来たとき、おらは見ないふりしてよく子供を見た。きちんと膝に手を置いて、そらを見ながら座っていた。
お前さん今からどこへ行く、どこから来たってきいたらば、子供はかあいい声で答えた。そこの笹田のうちに、ずいぶんながく居たけれど、もうあきたから外へ行くよ。なぜあきたねってきいたらば、子供はだまってわらっていた。どこへ行くねってまたきいたらば更木の斎藤へ行くよと云った。岸に着いたら子供はもう居ず、おらは小屋の入口にこしかけていた。夢だかなんだかわからない。けれどもきっと本統だ。それから笹田がおちぶれて、更木の斎藤では病気もすっかり直ったし、むすこも大学を終わったし、めきめき立派になったから』
こんなのがざしき童子です。」(宮沢賢治作)
フランスの孤児院で見かけた明るくけなげな女の子ジュリー・アンドレ(レスリー・キャロン)を気まぐれ半分でアメリカの名門大学へ入学させた足ながおじさんこと富豪のジャービス・ペンドルトン三世(フレッド・アステア)。
大学のダンスパーティで意気投合した二人はニューヨークで再会する。
ウォルドルフ・アストリア・ホテル最上階のスイートルームでディナーをとったあとの会話。
「ねえジャービス、あなたの過去がわかってきたわ。」
「それは驚きだね、どんな風に?」
「昔、背の高いスレンダーなブロンド女がいて、あなたはその美女を愛したけれど、彼女は別の男と結婚した。あなたを振るなんて、バカな女。」
「ありがとう(笑)」
「それで女性不信になった、そうでしょ?」
「いや、背の高いブロンド女ではなかったな、小柄な赤毛の女の子や、大柄なブルネット、それからスイスで会った女性、その次は―」
「あらあら、そのひとたちみなを愛したの?」
「夢中だったよ」
「でも結婚はしなかった」
「夢中が長続きしなくて」
「ふふ、じゃあ、一生しないの?」
「結婚かい?うーん、分からないな。恋愛は思案の外だから。たとえば―」
「サムシングス・ガッタ・ギヴ」を歌い出すアステア。
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彼らはそのまま夜のニューヨークへ繰り出し、エル・モロッコやラテン・クオーターといった有名クラブをはしごして踊り明かし、恋に落ちる。
ホテルに戻った二人。
「朝刊が届いてる」
「昨日はどんなことが起こったかしら?」
紙面を広げるジャービス。
「男が強盗に遭った」
「ひどいわね」
「女の子が結婚した」
「素敵ね、誰と?」
「どこかの男と。長く恋仲だったそうだよ」
「ほかに何か起こったかしら?」
「ああ、でもそれは新聞には書かれていないよ。おやすみ、ジュリー。」
「おやすみなさい、ジャービス。」
閉じたドアの前できれいに一礼するジャービス。
ひょっとするとこのシーンが、これまで観た映画の中で一番好きなのかもしれない。
そのくらい、繰り返し書いている。
「この度、福法組組合長を拝命しましたNPO法人なごやかの井浦です。
役員の皆様から今期の組合長就任のご要請をいただいたときは、突然の事でただただ寝耳に水の心境でした。
異業種から参入している私にとっては分不相応で、受諾することができない旨を申し上げ、丁重に固辞いたしましたが、再度のご要請をいただき、こんな私にも関わらずお話をいただけるということは、そのご要請に対して感謝こそすれお断りすることはできないという思いに至り、受諾させていただくこととなりました。
幸いにも当組合には星田前組合長様をはじめ素晴らしい組合員の皆様がいらっしゃいます。
皆様方の英知をお借りしながら、任期を全ういたします。
私は当組合の役員を4期8年務めさせていただきましたが、私なりに当組合を大切にしてまいりました。
心掛けたのは2つです。
まず、県・市と当組合との良好な関係作り。
これはおもになごやかのM事務長がその役割を担ってくれて、現在、その関係はこれまでで最も緊密であると思っています。
もう一つはわれわれ介護サービス事業者の一層の地位の向上です。
当組合が市・県の福祉行政において重要な役割を果たすことで、改めて、われわれがなくてはならない存在であるとの認識を相手方に持っていただくこと。
不平不満や要求ばかりで汗をかかない、あるいは旧態然たる考え方の事業者は、このスピーディーな時代に、もはやオミットされ、役割を終えて行くでしょう。
われわれ事業者はこの福法組というチャンネルをもってして、復興の途上にある郷土に対し貢献して行かねばならないと、私はこれまでも、そしてこれからも、考えています。
それでは、星田前組合長様をはじめ、組合員の皆様方におかれましては、今後とも引き続きご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。」
○星田組合長(社会福祉法人かなえが浦会)「役員任期も残すところ半年となった。当組合(K市福祉施設等運営法人組合)の運営に関しては皆様のご協力のもと、今年もスムーズに進めて来ることができた。先日も第10回のサイクリング大会が盛大に開催され、60余名の若い方々が多く集まり、盛会のうちに終了している。
(社会福祉法人インペリアルシティの)林前組合長より組合長職を引き継いで丸3年になるが、私も来年還暦となり1年弱で定年を迎える。途中退任するのは無責任と思えるので、現任期で組合長職を退かせて頂きたい。後任の選任について皆様にお諮りいただきたい。総会の場で人事をお諮りしてもなかなか難しいこともあるのかと思い、素案でも次の人事を皆様から意見を出して頂きたい。特に両副組合長のご意見を聞かせて欲しい。」
○橋立副組合長(社会福祉法人市民協力会)「私も定年延長で同じ立場である。」
○鹿谷副組合長(社会福祉法人インペリアルシティ)「役員会の内容から予想はしていた。世代交代ではないが、かなえが浦会さんから始まって、当法人の林組合長と続き、10年と長く続けてしまった。林さんより先に私が事務局を離れたが、林組合長の退任から私が副組合長となった経緯がある。その中で沢山事業所が増えてきて、かといって役員を全て変えるのも大変なことだと思う。
話を進める上であえて名前を上げさせてもらうと、NPO法人なごやかの井浦さんに引き受けて頂き、ご苦労をお掛けすると思うが、新体制を作って欲しい。」
○星田組合長「鹿谷副組合長のお話のとおり、若い方々にお譲りするのがよいのかと思う。井浦さん、椎の実会の山田さん、本組合の歴史についても詳しい町田さん(株式会社町田サービス)になって頂けたらありがたい。施設系から離れるのもいいのかもしれない。
この3年間、井浦さんの理解を頂いて、なごやかさんからのバックアップで事務局をやってきたが、大変助かった。今の事務局体制は継続して頂きたい。組合員の中には組合長職の事業所が事務局を引き受けるべきだと考えるところもあるが、考え方ひとつではないか。同事業所でなくても意思疎通を図りながら問題なく運営することができたと思う。組合長職を是非、井浦さんにお願いしたい。」
○井浦部会長(NPO法人なごやか)「私は任にあらず、異業種からの参入であるため、ことさら、李下に冠を正さずの気持ちで誠実に事業を運営してきたが、他のオーナーの方々の納得を得られないと考える。また、東日本大震災で事業所を流失し、利用者様を亡くしていることから生涯、謹慎処分と思っている。このような大きな職を頂くのは難しいこと。山田施設長さんにお願いしたい。」
○山田部会長(医療法人椎の実会)「お声掛けは非常に嬉しいが、まだ身の丈が足りず、もうしばらく先輩方のご意見、ご指導をいただきたい。また、即答できる立場でもなく、非常に恐縮だが、再度ご協議頂きたい。井浦さん、ぜひお願いします。」
○井浦部会長「、、、わかりました。お引き受けはいたしますが、なるべく早いうちに本来受けるべき方にお返ししたいと思う。」
○星田組合長「加入事業所も増えており、異業種から参入する方々も多い状況。だからこそ井浦さんに(広い視野で)お引き受け頂けるのも一つではないか。」
○井浦部会長「身に余るお言葉、ありがとうございます。粉骨砕身、頑張りますのでよろしくお願いします。」
(満場一致の拍手)
○星田組合長「今後副組合長、部会長、監事等の人事についても、みなさんで詰めて行く必要があるが、今ここで決めるのは難しい。今日は組合長職という大きなポストの素案が決まったことで終え、今後、素案を作って総会に諮るという方向性で進めて行ければと思う。」
帰路、ちょっと停めてくれないか、と後部座席の理事長から声が掛かった。
こういう時、理事長がどうするか、私はわかっている。
法人の隆盛に大きな功労のあったグループホーム虔十のY管理者へ、きまって短いお礼の電話を掛けては、またですか、と相手にきまり悪がられる、というお約束の形があることを。