来週末は本市でみなとまつりが開催されます。
それに合わせてというわけではないのですが、新聞広告のイラストは花火をテーマに依頼しました。
華やかな題材がシックな色遣いで仕上げられていて、素敵ですね。
時々、亡くなった利用者様方の声が生き生きと聞こえることがある。
別段悪いことではない。
昔観たアメリカのテレビドラマシリーズの中で、「良心とは、我々を救おうと語りかけてくる死者の声である」という印象的なセリフがあったのだが、それが聞こえているうちは大丈夫なのかな、と思っている。
ジェーン・バーキンが8年ぶり三度目の来日公演を9月6日、仙台でも行なった。昨年、彼女の「無造作紳士」がテレビドラマの主題歌に使われたことでベストアルバムが三十万枚以上売れ、それが今回の時ならぬ(?)来日につながったようだが、それはそれでいいだろう。
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実に11年前(1989年)の初公演は、五反田ゆうぽうとで観た。
日本ではひと握りの熱烈なファンというか、マニアの間でのみ知られていた彼女のこと、来日はそれこそ奇跡、もう二度とないだろう―そんな興奮と緊張で、当日は朝から心臓が口から飛び出しそうだったのだが、そのうえ、席に着くと斜め後に(ジェーンの大ファンとして知られる女優)小林麻美を見つけ、さらにクラクラめまいがした。
一方、前回1991年の再公演(於昭和女子大学人見記念講堂)は、その前年に急死したジェーンの二番目の夫で、彼女に歌手のキャリアを授けた才人セルジュ・ゲンズブールの追悼コンサートという性格のものだった。厳粛な雰囲気の中でしずしずと進行していくステージは、一種忘れがたい印象を残した。
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ピンスポットライトを浴びて登場したジェーンは、黒いタンクトップにグレーのカーゴバンツ、バスケットシューズと、いつも通りの超シンブルな服装。一曲目はセルジュの「フォード・ムスタング」だった。
バックバンドは四人編成ながら非常に厚く重い音を出す。この意外な選曲には驚かされたが、二曲目以降は「バビロンの妖精」、「シック」、「コワ」、そして「 無造作紳士」と、まさにベスト・オブ・ジェーン・バーキンだ。その合い間に、アラン・スーションと共作したという新曲や、セルジュの「コーヒー・カラー」、さらにはアップテンポのビート・ボップ調にアレンジした「さようならを教えて」(セルジュがフランソワーズ・アルディに書いた大ヒット曲)など、珍しい曲も織りまぜたリラックス・ムードの楽しいステージ構成だった。
アンコールを求める拍手に応じ、ジェーンは一人ア・カペラで「ジャヴァネーズ」を歌った。セルジュがジュリエット・グレコのために書いた初期(1962年)の代表曲。グレコやセルジュ自身のバージョンとは違った、素朴さが胸にしみた 。
僕は立ち上がり強く手を振った。さようならジェーン・B 。コマン・トゥ・ディル・アデュー(「さようならを教えて」の原題―「さようならを言うのは苦痛だ」の意)。
(2000年9月)
ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「欲望」(1966年)登場シーン。
まだ痩せていた主演のデヴィッド・ヘミングスと。
VANが社長の石津謙介センセイによる放漫経営で倒産したのは1978年4月だという。
その時のことはよく覚えている。当時僕らは田舎の男子高生で、学校には制服がなく、私服での通学だった。そしてほとんどの生徒たちのワードローブにVANは浸透していて、そのダメージは大きかった。
しばらくして、クラスメートからVANの処分セールがあるから行かないか、誘われた。小さなデパートの階段の踊り場に置かれたワゴンに、少し前まで定価で買い求めていた商品が無造作に山積みされ、投げ売りされている。うらぶれて物悲しい雰囲気が漂っていた。でもさ、ロゴが入ってなければいいんじゃない?僕らは顔を見合わせてうなづき、シャツやパンツをまとめ買いした。その時はお互いなんだかだと言い訳しながら帰ったが、結局、週6日の通学の着回しにはこれが恵みの雨となった。
(ウィキペディアのVANの項にも、このことは「4月、社員OB等で構成されたPX組合が、破産管財人の許可の下、在庫品の販売を継続する。」と載っていて、そういった経緯だったのか、と感慨深かった。)
時は流れて、現在の僕はというと、ブルックス・ブラザーズやトーマス・ピンクのクレリック・シャツや派手なストライプ・シャツを着たり、時々ラウンド・クレリック・シャツをオーダーしたり、とそれなりに素敵なシャツ生活を送っている。
「シャツとダンス」という、VANの倒産時、部長職だった男性が、その後起業してメーカーズシャツ鎌倉を設立するまでを描いた伝記本がある。
残念ながら僕はそこのシャツを買ったことがない。
理由は、(実際に試してみていただいてもいいのだが)たまにオンライン・ショップを覗いてクレリック・カラーやラウンド・カラー・シャツの、自分のサイズ、43-85もしくは43-87をチェックすると、見事なくらい全て品切れになっているからだ。
いわゆる、商売上で一番あってはならないとされる機会損失を繰り返し起こしているのだ。
売り切りで補充がないのか、欠品に気づいていないのか、そのサイズを重要な購買層とは思っていないのか。
まあ、どれでもいい。幸いにも僕は先に書いたように、このメーカーの先のステージへ、すでに行ってしまっているのだもの。
コロナ禍で中止や延期になっていたイベントが続々再開されている。僕が会長職を仰せつかっている会でも、遅ればせながら名刺交換会を4年ぶりに行なうことになった。現在急ピッチで準備が進めているのだが、以前とは別のホテルを使い、担当の事務局員もみな新しいメンバーなので、進行や内容に関してこまごまと尋ねられる。今日はBGMについてだった。
なにか理事長のご希望はありますか?
そうだねえ、会場のホテルにボサノバのCDがあったらそれでいいな。なければ、思い切って初期のビートルズでもいいかも。
ボサノバの代表曲と言えば、「イパネマの娘」だ。
ボッサの魅力を世界中に伝えた名曲中の名曲。
原詞はポルトガル語だが、英語詞がつけられたことでよりポピュラーになった。
イパネマの娘(英語詞訳)
背が高く、日焼けした若くてラブリーな
イパネマの娘が歩いて行く
彼女が通りすぎるたび、みなため息をつく、ああ
彼女の歩く姿はまるでサンバのよう
スイングはとてもクール、揺れはジェントル
彼女が通りすぎるたび、みなため息をつく、ああ
でも、彼は悲しそうに彼女を見つめるだけ
どうやって彼女に思いを伝えたらいいのか
よろこんで彼はそのハートを差し出すだろうに
でも、彼女は毎日海へ向かって歩いて行く
彼ではなく、まっすぐ海を見つめて
背が高く、日焼けした若くてラブリーな
イパネマの娘が歩いて行く
彼女が通りすぎるとき、彼は微笑むが
彼女は目もくれない