ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

夢十夜(二)

2019年03月29日 | 珠玉

 ウルトラセブンからカプセル怪獣ウインダムをもらった。

30代の普通のOLの私へなぜそんなものをくれたのか、よくわからないが、調べてみたところ、カプセル怪獣三体―ウインダム、ミクラス、アギラはいずれもウルトラセブンが事情があって変身できない際におもに時間稼ぎの手段として投入され、ほぼ毎回、相手の怪獣や星人たちにボコボコにされてしまう、へなちょこ揃いだそうなので、たぶんリストラ、お払い箱の意味合いが強かったのだと思う。

その日から、私の狭い部屋にカプセル怪獣が棲みついた。

ふだんはちゃぶ台の前にちょこんと座って、起きているのか、それとも仮死状態なのか、微動だにしない。

それが深夜まで私が資格試験の勉強などして机に向かっていると、気を利かせたつもりなのだろう、コーヒーを煎れてくれたりするのだが、慣れないことはさせるものではない、手を滑らせてテキストや私のお気に入りのパジャマへカップごと撒き散らかしたり、慌てて洗濯機を回して隣りの住人に怒られたりしている。

また、時々背中のチャックが半分開いていたりもする。

潔癖症の私の堪忍袋は早くも限界に近づいていた。

 そんなある日のこと、私は仕事上で大きなミスをして、会社の上得意様に損害を与えてしまった。

直接訪問してお詫びしなければ、と、身支度を整えていると、当の顧客から電話が入った。

その声は、不思議と上機嫌だった。

「あなた、いい怪獣を持ってるわね。さっき汗だくでウチに来て、『彼女の失敗は私の失敗です』って、私に千回、頭を下げて行ったわよ。

あなたが羨ましくなっちゃった。

ねえ、いくらでも出すから、私にあのカプセル怪獣を譲ってくれない?」

 それからまもなくして、昨今の宇宙規模の人手不足からか、セブンにウインダムの返却を求められた私は、断固拒否した。

ミクラスは爆死したそうだけど、もう一体、アギラがいるでしょ?

セブンは困惑顔で言った。

「あれも日本の十代の女の子に譲ってしまって、絶対返さないって言われてるんです。」

そうか、ふふふ。へなちょこでも何でも、カプセル怪獣に守られているのは地球上でたった二人だけらしい。私はちょっと誇らしかった。

 

 

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納豆

2019年03月26日 | 日記

 北大路魯山人は納豆を400回以上かきまぜて食べたという都市伝説がある。

またそれをもとに「魯山人納豆鉢」なる納豆撹拌機(手動)まで発売されている。

実際は、魯山人の星岡茶寮の料理長だった松浦沖太の調理法を紹介した朝のテレビ番組が元ネタだ。

別に、自分が美味しいと思う回数と手順でいいじゃん、と考えるのは、僕がひどい偏食でグルメとは無縁だからかもしれない。

僕自身はパックから器に移して割りばしで60回練り、そのあと付属のタレを入れ40回まぜるのが一番美味しいし見た目もいい、と思っているが、一人心の中で思っているだけだ。

 昨年、納豆ラベルコレクターの方の楽しいブログを見かけてから、以前よりも納豆を食べる回数が増えた。

さらには、(ラベルを集めるまでは行かないけれど、)出張などで訪れた街の地元産の納豆を買ったりするようになっている。

その流れで調べてみて驚いたのは、このK市にはもう納豆を製造している会社がないのだそうだ。

価格競争に疲れたのか、後継者問題からか。

いずれにせよ、少し寂しく感じている。



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「オーソン・ウエルズのフォルスタッフ」

2019年03月25日 | シェイクスピア

 オーソン・ウエルズが1966年に監督・主演し、日本では20年後の1986年に公開された「オーソン・ウエルズのフォルスタッフ」(原題は「真夜中の鐘」)を、僕は20代の半ばに六本木シネ・ヴィヴァンで観て、心底驚愕した。すでに10代でいっぱしのウエルズマニアを自負していた自分は、この作品を観ないでそんな大それたことを思っていたのか、と。ウエルズの作品中でも、シェイクスピア戯曲の映画化作品の中でも、稀有の大傑作である。さらに、天衣無縫という形容も付け加えたい。

 ウエルズは1939年に「FIVE KINGS」というタイトルでシェイクスピアの「リチャード二世」、「ヘンリー四世 第一部・第二部」、「ヘンリー五世」、「ヘンリー六世 第一部・第二部・第三部」、「リチャード三世」を一本の演劇に織り上げて上演したと伝記等に記されている(この企画はまさに、イギリスで2012年から2016年にかけて制作されたテレビ映画「ホロウ・クラウン」だ)が、この「フォルスタッフ」は、「ヘンリー四世」、「ヘンリー五世」、「ウィンザーの陽気な女房たち」に登場する名脇役キャラクター、大酒呑みで女たらし、さらにはホラ吹きで巨漢の老騎士フォルスタッフのエピソードを織り上げ、主役に据えた野心作である。

 国王ヘンリー四世の放蕩息子ハル王子と田舎のあやしげな宿でふざけ暮らすフォルスタッフ。ハル王子は不仲の父王に呼び戻され、王位継承を巡っての戦いに出陣する。そこで敵の猛将ヘンリー・パーシーを見事倒した王子はまもなくヘンリー5世として即位する。その新王は、出世を期待して戴冠式に乱入したかつての悪友フォルスタッフを冷たく拒絶し、追放処分とする―。いつにも増して斬新かつダイナミックなカメラワーク、かつてないほどリアルな戦闘シーン、セリフの大胆な取捨選択、そして胸にしみる結末の余韻。見どころは枚挙にいとまがない。

  

フォルスタッフ:万歳、ハル陛下、我が国王ハル!

          万歳、俺のかわいい坊や!

                   俺の王様! 俺の宝石!

                 俺はあんたに話しているんだ!

王: 私はおまえなど知らない、老人よ。

    毎日を祈りに捧げなさい。

    その白髪は阿呆や道化には似合わない。

    私は長いあいだこういう男の夢を見ていた、

    こういうふうにぶくぶく太り、年老いて、下品だった。

    だが目覚めてみると、思い出すのもいやな夢だ。

    これからは目方を減らし、善行を積め。

    暴飲暴食はやめろ、分かるな、並の人間用の三倍はある

    墓穴があんぐり口を開けておまえを待っている──

    馬鹿丸出しの冗談で口答えしようとするな、

    今の私をこれまでの私と思ってはならない、

    神はご存じだし、世間にも知らせるつもりだが、

    私はかつての自分を捨てたのだ、

    付き合っていた仲間も捨てる、

    私が昔の私に戻ったと聞いたなら、

    そのときやって来い、おまえを昔ながらのお前として、

    私の放蕩無頼の育ての親、師匠として迎えよう。

    それまでお前を追放に処す。かつての悪友たちには

    すでに申し渡したが、我が身辺十マイル以内に

    近づけば即刻死刑だ。

              (「ヘンリー四世 第二部」第五幕 第五場より)

 

Falstaff Saue thy Grace, King Hall, my Royall Hall

            'Saue thee my sweet Boy

            My King, my joue; I speake to thee, my heart

King I know thee not, old man: Fall to thy Prayers:

  How ill white haires become a Foole, and Iester?

  I haue long dream'd of such a kinde of man,

  So surfeit-swell'd, so old, and so prophane:

  But being awake, I do despise my dreame.

  Make lesse thy body (hence) and more thy Grace,

  Leaue gourmandizing; Know the Graue doth gape

  For thee, thrice wider then for other men.

  Reply not to me, with a Foole-borne Iest,

  Presume not, that I am the thing I was,

  For heauen doth know (so shall the world perceiue)

  That I haue turn'd away my former Selfe,

  So will I those that kept me Companie.

  When thou dost heare I am, as I haue bin,

  Approach me, and thou shalt be as thou was't

  The Tutor and the Feeder of my Riots:

  Till then, I banish thee, on paine of death,

  As I haue done the rest of my Misleaders,

  Not to come neere our Person, by ten mile.

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「ヘンリー五世」

2019年03月22日 | シェイクスピア

 上の映像は5歳の男の子が暗唱する「聖クリスピアンの祭日の演説」。

とてもほほえましく、一方で終始ハラハラさせられながらも、やがて胸打たれる。

この小さな王になら、三倍のフランス軍と対峙しても、16メートルの津波が来襲しても、喜んでついて行くだろう。

 先日観た松坂桃李の舞台「ヘンリー五世」は文系の生真面目な悩み多い王で、非常に好感が持てた。

演出は吉田鋼太郎。劇の冒頭に老騎士フォルスタッフ役で登場・退場したあとは、コーラス(説明役)を演じていた。

 この舞台では、「聖クリスピアンの祭日の演説」がほぼ丸ごとカットされていた。

それは演出家が決めることだし、満員の客席の9割が女性だったことから分りやすさの追求という点でいたしかたないのかもしれないが、カットできるんだ、とそこに驚いた。

ちなみに、フォルスタッフの登場シーン(即位した新王にかつての悪友の彼が捨てられる)は松坂と吉田が5年前に演じた「ヘンリー四世」の見せ場の一つなので、カットは上演時間の関係ではない。

 繊細な松坂とは対照的に、脇を固める実力派の男優たちは喉が心配になるほど大声でセリフを叫び、アジンコートの戦闘場面では舞台を飛び出し客席通路を駆け巡っての大熱演で、全体としてはかなり男臭い活劇だった。

 

オリヴィエ版(1945年)のコーラス

 

 

「もう一人のシェイクスピア」(2011年)のコーラス

  

コーラス登場:

おお 輝かしい創造の天空に炎を燃え上がらせる

詩神ミューズよ なにとぞ与えたまえ

この舞台には王国を 役者には貴族たちを

そして壮大なシーンの観客には帝王たちを!

さすれば勇猛果敢なハリーが 王にふさわしく

軍神マルスの姿をとって現れ その足元には

皮ひもでつながれた犬のように 飢餓と剣と炎が

控えることでしょう だが皆様 どうかお許しを

平凡な大根役者たちが このちっぽけな舞台で

壮大なドラマを演じようとすることを

この闘鶏場のような狭い空間に フランスの広大な国土を

再現できるでしょうか あるいはまた

木でできたこの円形の空間に アジンコートの大気を振るわせた

あの兜の数々を納め切れるでしょうか

おお なにとぞご寛大に

この円のゼロも 取り散らかせば百万ともなりましょう、

さすれば、この偉大な総計に対してゼロであるわたしどもは、

皆様の想像力におすがりするばかり

いま二大王国が閉じ込められました、

高く、聳え立つ、隣接する二つの前線、

この上なく危険な海峡が引き分けております。

わたしどもの足りないところは 皆様の想像力で補ってください

一人の男を見たら そこには千人の兵士がいるものと思ってください

馬と言えば、ご覧いただきたい

威風堂々のひづめの跡を大地にしるしている乗馬を。

王侯の衣装も皆様方のご想像で、

役者がそこかしこ移動するのを 時を跳び越えるのを

長年の出来事を変えるのも

砂時計のわずかな時間。すべて皆様のご想像を、

わたくしコーラスめが 物語のご案内役を務めます

皆様にはどうか 辛抱強い気持ちで

わたしどもの芝居をご覧になるよう お願い申し上げます

   

 O For a Muse of Fire, that would ascend

 The brightest Heaven of Invention:

 A Kingdom for a Stage, Princes to Act,

 And Monarchs to behold the swelling Scene.

 Then should the Warlike Harry, like himself,

 Assume the Port of Mars, and at his heeles

  ( Leasht in, like Hounds) should Famine, Sword, and Fire

 Crouch for employment. But pardon, Gentles all:

 The flat unraysed Spirits, that hath dar'd,

 On this unworthy Scaffold, to bring forth

 So great an Obiect. Can this Cock-Pit hold

 The vastie fields of France? Or may we cramme

 Within this Woodden O. the very Caskes

 That did affright the Ayre at Agincourt?

 O pardon: since a crooked Figure may

 Attest in little place a Million,

 And let us, Cyphers to this great Accompt,

 On your imaginarie Forces worke.

 Suppose within the Girdle of these Walls

 Are now confin'd two mightie Monarchies,

 Whose high, up-reared, and abutting Fronts,

 The perillous narrow Ocean parts asunder.

 Peece out our imperfections with your thoughts:

 Into a thousand parts divide one Man,

 And make imaginarie Puissance.

 Think when we talke of Horses, that you see them

 Printing their prowd Hoofes i'th' receiuing Earth:

 For 'tis your thoughts that now must deck our Kings,

 Carry them here and there: umping o're Times;

 Turning th'accomplishment of many yeeres

 Into an Howre-glasse: for the which supplie,

 Admit me Chorus to this Historie;

 Who Prologue-like, your humble patience pray,

 Gently to hear, kindly to judge our Play.

 

 

 

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こころ(再掲)

2019年03月19日 | 日記

 夏目漱石の小説「こころ」が朝日新聞に連載されて100年になるのを記念して、第一回が掲載された4月20日から、再び連載が始まっている。

当時と同じ全110回の形で読むのは新鮮だ、と同紙は謳い、紙上およびHP(デジタル版)で作者と作品に関する様々な解説や企画を添えて、盛り上げを図っている。

 現時点で第15回。実を言うと、少し前から朝に「こころ」を読むのがつらくなってきて、ついにはそこだけ残して夜、仕事が一段落してから、目を通すようになった。

たぶん、どの1回分を読んでも、残りの109回分―これから明らかになる先生、奥さん(お嬢さん)、そしてKの来し方と行く末が想起されるからだと思う。

 

 市川崑監督による映画化作品(1955年)も秀作で、とりわけK役の三橋達也の暗さが尋常でない。

翌年の同じ日活作品「洲崎パラダイス赤信号」で演じた、はっきりしないヒモ男役と併せて観ると、二時間ドラマの無害な脇役やクイズ番組の回答者などではなく、とんでもない怪優だったことに気づかされるのだ。

(2014年5月)

 

「精神的に向上心のないものは馬鹿だ。」

「馬鹿だ。僕は馬鹿だ。」 

 

 

先生(森雅之)と奥さん(新珠三千代)

 

  

「洲崎パラダイス赤信号」の三橋と新珠

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