波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

4つの愛(後編)

2024年12月23日 | 日記・エッセイ・コラム

(前回からの続き)
是枝監督の昨年映画『怪物』。見る側を終始不安にさせる映像と言葉。落ち着いて話せば、最初から不信を持たないで対応すればこんな絶望は生まれないはずなのに。切羽詰まった時の言葉のすれ違いと誤解を作ってしまう態度が思ってもみない方に転がっていく。『いじめ』を巡る親と担任と校長に対するバイアス持って映画を見てしまう迂闊さ、そこに巧に引きこむ緻密な脚本と演技。少年の持っているライターと、何度も出てくる放火らしい大火事を結びつけている波風氏。子どもに純真さ無垢さ、残酷さのイメージを拡大して見ている波風氏。『怪物』の出どころというか、その本体を覗いてしまったような怖さ感じた。愛の薄っぺらさ無理解、というか。幼い時期の同性に対する自分でも分かるわけがない感情、それは「愛」の萌芽とも言えるものだがそれに気づかないとこの映画に入れない。
YouTubeで、いくつも「何をどう描いているのか」を解説しているのは、宮崎駿監督アニメ「君たちはどう生きるのか」と同じように難解だからだが、そんなのに頼らず「何を意味する愛なのだろう?」と自分が納得できるまで考えるのが楽しい。長く感じられる作品に備わっている秘密は愛。


脱北した天才数学者と高校生の師弟愛、家族もキャリアも命よりも大きな真理に対する愛。2022年の韓国映画『不思議の国の数学者』
 
実話では無いが、隣の国の学歴主義や学校事情をかいまみて、これは日本と同じだと思う。いや、こういう映画を作りそれをヒットさせるレベルに驚く。戒厳令に反対し銃を恐れずに抗議していた若い女性の姿に衝撃受けていた。映画『グット・ウィル・ハンティング 旅立ち』(1998年公開、マット・ディモン、ロビン・ウィリアムズ)は、数学の天才が若者で、寄り添う孤独な精神分析医が老人。科学発達の背後にある原動力が数学という言葉があったが、感情に左右されない真理『数学』が、美や芸術の芯にもなっていることに驚きつつ、すべてをかけてその世界に分け入る覚悟というか情熱は、凡人には伺いしれないが『愛』の対象だからだろう。


4つのドラマの簡単な感想をブログに書いた。記憶の保管庫に収めた安堵感。どこに収めたか忘れてしまうが気にしない、言葉で支えている暮らしに句読点をうつような、気分刷新し新しい興味に向かうために必要な整理整頓みたいな気がブログにある  長く冷凍していたタコがあったのを思い出し、たこ焼き昼食。タコぶつ切り、キャベツ(これが美味い)、青ネギ、紅生姜、天かす、青海苔、かつお節、そして長芋と出汁入りのタレ。丸くなると嬉しい外側カリカリ内側トロトロボール。マヨネーズとオタフクソースで。

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4つの愛(前編)

2024年12月22日 | 日記・エッセイ・コラム

楽しみなTVドラマ2つ終わる。定時制高校を舞台にした『宙わたる教室』、紫式部を主人公にした大河ドラマ『光る君へ』。学ぶ楽しさをこんなふうに清々しく扱うドラマがあったとは。それぞれが傷を持った生徒の「火星を教室に作る」科学部活動のワクワク感。この学園ドラマが描く愛は自己愛。

後者は、久々の大河。竹中直人版の豊臣秀吉以来。現代語訳『源氏物語』未だ読み終われず、分かりたいけど分からないままの読書生活。再読のきっかけ期待。紫式部(まひろ)と藤原道長(三郎)の運命的な関係は創作だが、見応えあり、吉高由里子と矢部太郎が上手い。戦なしの宮廷物語だが、天皇と妃と官僚の関係、支配層の仕事、武士台頭の兆し、なかなか見せる。描く愛は、当人同士が切っても切れない灯火を密やかに燃やし続ける男女愛。

残り2つの愛は映画による、師弟愛と同性愛。4つのドラマを見終わって何か共通なものを感じ、何だろうと考え行きあたったのが『愛』。創作のドラマは人を描きそれは愛の形。リアルな人生では、親密さに濃淡あってもほとんどの人間関係が愛の営みかもしれない。反発したり無視したり憎みさへも。創作の愛を鏡にして、「こんな感じを経験した、あんな感じはあの人間とだなあ」なんて遠い日の花火らしき記憶を脳裏に映す冬の晴れた午後。(次回に続く)


一昨年、瀬戸内寂聴訳と谷崎潤一郎訳の源氏物語、古本屋に売ってしまったのだった。「また勝手に片付ける!」と愛の感じない怒気で叱られる 熱い白ご飯を丼に盛り、稲荷寿司用に甘く煮た揚げと温泉玉子に葱刻んだのと白ごまかけ、ワサビを添えて「きつね丼」。こういうのが美味い除雪後の昼食六花亭『マルセイバターサンド』のことを公式裏ブログ『リスのいる家』に書いたが、珈琲のお供で1個で満足の量と味、包装シンプルで上げ底でないから好き、というママヨさんに同感。値段を抑えているのもグー。

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坊ちゃんの老後

2024年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム

(前回記事をあれで放っておいたらどうもスッキリしない。昼寝するつもりだったけれど早々に起きて机に向かってしまった)
ちゃん(漱石著『坊ちゃん』の主人公)は、子どもの時から直情径行の人だが自分に自信がない。「俺でも先生が勤まるだろうか」と思い実際に勤まらない。こういうヤラカシ先生が同僚なら心配でたまらない(笑)。しかし、自分の出来ないことをやってしまう坊ちゃん、その強がりにはわくわくする。軽薄だが正義感ぽかったり純真さがあり、寅さん(山田洋次監督『寅さん』の主人公)に惹かれるのも同じ理由だろうなあ。
坊ちゃんは先生を辞めて東京へ帰り、街鉄の技手になり清と一緒に住んだが、清は肺炎で亡くなり、「死んだら坊ちゃんのお寺に埋めてください。お墓の中で坊ちゃんが来るのを楽しみに待っております」が亡くなる前日の遺言だ。

 

の後の坊ちゃんが想像できないのは、坊ちゃん=青春の人だから傍若無人・短気邁進・周囲不安が許されるわけで、坊ちゃんの結婚とか定年退職とか老後隠居のイメージは形を結ばない。
若くて清のような女性が現れたら、小説『坊ちゃん』の愛すべき世界観はガラガラと崩れてしまうが、少し嬉しくなる。世の中には、周りが何て言おうとそういう相方がいるかもしれない。ママヨさんをお嫁に下さいと頼みに行って、家での評判を無理矢理聞き出したらお母さんが「もっと良い人はいないの?」と言ったと聞きそのショックは未だに尾を引いている(話は事実、尾を〜は嘘)。これを書いている最中、寅さんが何度も出てきて閉口した。寅さんは商売人で坊ちゃんよりもずうっと社交的だし女性にも好かれるが、坊ちゃんには清以外の女の影を感じない。

 

後の坊ちゃんは、結婚生活よりイメージできる。街鉄の技手は堅い職業で給料もキチンキチンと入り働くのは嫌いでないから続く気がする。性格的に運転手は危険だし、車掌はお客さん相手だから無理だろうが、嘘ついたり世辞使ったりしないし、出世主義でもケチでもなく腰が軽いので、愛されキャラで晩年を過ごしたんじゃないかなあ、そうであって欲しいなあ。退職後は、周りから煽てられて町内会長になったりして。清みたいな連れ合いがいたら、ギリギリのところで再起不能な完全失敗を免れたと思う。
坊ちゃんの性格は、生まれた時からずうっと変わらなかった、と思う。周りの支えと無数の運と奇蹟的な偶然の連続で暮らして、幸せに亡くなったとしたら嬉しいな。今の世の最高のメルヘンかもしれない。
(気分的に続きを書き、何となく締めくくった感じ。)


清がマドンナだったことを知るだろうから結婚は難しいかもなあ、なんて大事なお客さんが来られる。こういう機会は、部屋の整理整頓や掃除の棚卸しで暮らしに必要。体調も整えて準備しなければならない。献立は、鍋焼きウドンと鰻小丼の豪華版。一番のおもてなしは、波風夫妻の「ようこそ」の心だろうなあ。

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清の立場

2024年12月15日 | 日記・エッセイ・コラム

風氏が人から言われる性格に、「まっすぐ」というのがある。高校の担任から、卒業数年後のクラス会で「竹を割ったような」と言われ、友人から「抜群に気が短かい」とか「清々しい図々しさ」など思ったことを直線的に口に出す人間性らしい。生徒からは、良くも悪くも忖度しないで正直に評価すると思われていたようだ。ママヨさんからは「いつ真剣に怒りだすかわからない」「いつ何時、出て行けと言われそうで怖い」と還暦ぐらいまで思っていたそう。
職場の慰安旅行の宴席で、各自が悩みを吐露する趣向の時に、「みんなが羨ましい。俺は言いたいときに遠慮ばかりで、勇気を出して言って後で後悔する」と話したら皆に笑われた。それ以上言ったりやったりしたら化け物だと。

 

読んでいる2冊の本が揃って一筋縄でいかない奴(『手の倫理』『百年の孤独』)なので、道草的に『坊ちゃん』開く。脳をすっぱり・すっきりリフレシュの気分。短気で無鉄砲で暴力的で自分でも教師失格と任じてる坊ちゃんは、何でも受け入れてくれるお手伝いの清がいたから、不安な自分を承知しつつ強がって生きられたのだろう。そう思うと、波風氏の周りにはたくさんの『清』がいてくれて、面白がって支えてくれたと今更ながら思う。今回初めて、清の立場で坊ちゃんを読んだ、生徒や職場のゴタゴタは読み流し、清の励ましや手紙、死の前日の清の願いを考えた。それにしても1906年(明治39年)に世に出たのを、面白く読めるのはただごとでない。

 

就職の職場の宴会で、波風氏が気にくわない同僚を殴るかもしれないから止めに入るつもりでちっとも酔えなかった、という後輩の言葉で驚いたことがある。商売柄、口は達者な方だが、相手の態度によっては手が出る危険性はあるし、そうなったら相手が参ったと言うまで殴り続ける危険性はまだ残っている気がする。(この記事この先どうなるか考えてないが、これで止めるのは小便を途中でやめるような気分だから、たぶん続ける)


中1の波風氏が初めて買った本が『坊ちゃん』。清が坊ちゃんと言うから『坊ちゃん』なんだよなと当たり前のことに気づく寒い夜「燻し柿の種」用の業務用大袋(1キロ詰め)を当地のスーパーが取り扱わなくなりスナックも大変なのかなあなんて一人心配していたが、楽天で450g500円のを見つけ3袋で久しぶりに燻煙作業。お客さん用土産品、これで安心安心ママヨさんからただの一度も、坊ちゃんに対する清の励ましみたいなのをもらったことが無い気がする。その逆はたくさんあると思うのに。

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続 老人の服

2024年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム

(前回から続く)

パーカーの効能は、探さなくても派手色がいくらでもあること。赤も黄も紫もなんでもござれだ。それも単一色だから上半身全部を目立たせられる交通安全最適服なのだ。「周りの人がどう思うか」以前、その存在を瞬時に周りの人に気づかせる。
青いジャンパーから赤いフードを差し色で見せるのも目立ち&粋。5着のパーカーを取っ替え引っ替え普段着の波風氏、今回の「パーカー論争」は、このストレス社会で服ぐらい好きなのを着れば良く、それを受け入れる許容社会であって欲しいと願うだけの話。

初期高齢者の頃は、無難で目立たず趣味良さげ風老人色の黒紺茶灰が洋服ダンスに並び何の感慨も無く着ていたが、自分が少し歩き始めるとご同輩老人の自分と似たような目立たない服装が気になり始めた。実に車から見えずらいのだ。光が吸収される雨の日の交差点や横断歩道の怖さはもちろんだが、老人は好きなところで道を渡るから危なくてしょうがない。中期高齢者の今、「年寄りは目立ってなんぼの存在」をママヨさんと深く頷き確認。
散歩用のスニーカーもパープルに加えオレンジ。ズボンも黄や赤を履きたいがジーンズの青で我慢。長く黒一色だった車を今年ベージュに変えた。

老人は安全面でも精神面でも、「片隅でヒッソリ暮らしているから無難ですよ」では全然面白くない。性格や生活は簡単に変えられないから、外観ぐらい突出すべき。亡くなる時が人生で一番華やかな外観だったら、「やりたいよう好きにしました。安心して下さい」と涙無用のオチをつけられる。波風氏もママヨさんも、手入れ不十分の白髪ボウボウ頭だが、白髪は何色でも受け入れてくれる万能色、派手な色ほど見事にバランスとってくれる。老いるほど願う、白髪さーん、勝手に消えないでね(笑)


画像は、今の季節に10年は使ってきた絵ハガキ。サンタさんって上から下まで目立つ服装だよなあ。白い髭と白髪頭が体形と赤色にあっている 自作の2025年カレンダーをお二人から今年もいただいた。良いなあ、凄いなあ。歳下の波風氏は唸るのであった。 

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