波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

文房具のハガキ

2024年10月04日 | 図工・調理

否確認の絵ハガキ(吾亦紅の)を受け取った人が訪ねてくれた。昔の同僚、今は年金暮らしで無職、札幌の街なかに住んでいるから車を手放しせっせと歩いている、この日も結構な距離を歩いて来てくれた。そうかそういうことがあったのか、今の方が前より気持ちが楽、名前を思い出せないけれどあの学校で働いていた人が亡くなったのを新聞で見た、なんて話をした。
立男さんの知人だけど、一緒に話が出来て楽しかった、悪口の無い会話だからストレスが残らない、とママヨさん。

テトのカリカリチーズ揚げ(今日の公式裏ブログ「ポテトの誘惑」参照)を作って食べる。簡単短時間に出来て熱々を珈琲とともにほおばると美味い。しかし、ポテトチップを徹底的に遠ざけている習慣が一瞬で崩れそう、やばいわ。妹に教えたら作って食べて同じやばさを感じたとライン来た。

話『モモ』、その世界に入れなかったのは忙し過ぎてゆっくり読めなかったからとママヨさん。時間泥棒の話は、現在進行形で時間泥棒されている人には落ち着いた読書は無理なんだね。国の最近の調査で、1ヶ月に本を一冊も読まない大人が6割超えと知った。まだ4割弱は本を読んでいると感心。本でも映画でもタイパ重視ダイジェスト流行に乗っている人も読書ありに入っているのかねえ?

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柿の種のハガキ

2024年09月30日 | 図工・調理

否確認を交わす知人へのハガキ。米は不足しませんという国の広報、しかし異常な高値。秋刀魚が数年ぶりの豊漁と聞くが、スーパの氷水のサンマの細いことと言ったら(涙)、バカボンのパパと違い、コレで良いのだの反対なのだ。プライベートな伝言は表の住所氏名下に。

 

飯は、塩むすびと温泉玉子とキュウリ塩漬け。教えはあの土井義晴さんの『伝説の塩結び』。目からウロコの美味さ、胡麻塩にぎりと昆布佃煮入りを作り、1個食べもう1個は夜飯用。

 

の種を描く。どうっていうことのない日常の、意識もせず口に運ぶオヤツを描いてみると、なかなか味のある形と色。上手くとか誰かに見せる力みない分、我ながら爽やか(笑)。外出から帰ってきたらママヨさんが百日草を描いていた。

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ポテトチップを最後に食べたのは

2024年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム

ポテトチップを最後に食べたのがいつだったか思い出せない。気づくと高脂肪高塩分の麻薬的悪習慣食物と縁が切れていた。同じように、あんなに好きだった明太子や筋子も売り場で目に入らない。10年来の血圧下げる薬、糖尿の薬に続き飲んでる場合でなくなった。身体は素直だ。

風邪の菌が腹に入ったらしい。窓を開けていたのを忘れて寝た。下痢が続き血便になったので通院。安心のため近々大腸カメラ、嫌だけど万事塞翁が馬の心。傷まず苦しまず健康的に逝くためのハードルは老いるほど増える。

ジャニーズ、松本、フワちゃん、マスコミは「そんなやついたか?」の扱い。どうでもよいことだが、政治で都合の悪いことを隠されたり誤魔化されたりも度を過ぎたらたまらない。大谷さんと日ハムに声援送りつつ、一方的に入ってくる情報の危なさ思う。

袴田さんの再審無罪、本当に良かった。恐ろしい国に暮らしているを昔からずうっと実感。韓国ドラマ『ペイバック』(イ・ソンジュン主演)なんか問題にならない極悪検察実話だもの。家族姉弟の絆、マトモな裁判官の存在、諦めない支援、生きるに値する国と思えるこれもまた実話。


今回のブログは、体調崩し回復に向かう仕切り直しの気分で。今月の読書交流会『ほんのおつきあい』を中止した。高橋源一郎著『「書く」って、どんなこと』、再読の鶴見俊輔編『老いの生き方』をうつらうつら読んでいた当地の子育て運動は、学校と家庭の協力と同時に、行政と学校の協力も要。双方に困ったこと支援して欲しいことがあればすぐに話しあってきた歴史。

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好きだった漫画

2024年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム

子どもの頃からマンガが好きだった。読むのも描くのも好きで中学の時に友だちと共作で講談社の少年漫画家募集コンクールに出したのが自慢(当然のように落選)。鉄腕アトム、鉄人28号、おそ松くん、などが流行っていたが波風君が好きなのは、マンガ好きと話しても「?」の漫画家ばかりでかなり偏ってというか、マニアックだった。

 

まずは、杉浦茂。 絵は上手なのか下手なのかよくわからないが、見たことの無い動物や人間がわんさか出て来て筋があるのか無いのかもわからないが奇妙な心地よさに浸ることができた。バックのシンプルさは思い出しても驚嘆、不思議な形の雲がぷかりと一つ浮かぶだけだったり。親戚の家にある、そこにしかなかった本だったから1時間近く歩いて読ませて貰った、毎回興奮していた。愛読書の『少年』には掲載されていなくて古本屋にも無かったはず。

続いて、前谷惟光『ロボット三等兵』。哀愁のギャグ漫画。ロボットを主人公にして人間的過ぎる喜怒哀楽と脆さ弱さに惹かれた。赤塚不二夫の晩年になるほどハチャメチャになるギャグは大の苦手だったが、ロボット三等兵は安心して楽しめた。末期の貸本屋から借りて読んだと思う。

そして、古川タク。漫画月刊誌『少年』に見開き2ページのイラストとエッセイがあった。鉄人28号、鉄腕アトム、矢車剣之助、ストップ兄ちゃん、伊賀の影丸、を読み終わった後に、このページが最後の楽しみだった。イラストの線が何とも味があった。今は龍角散CMのイラスト描いている。

この3人、どれもがシュール、奇想天外で絵の線がノビノビしていて、見たことも聞いたこともない世界をフワッと軽い感じで見せてくれる。今は漫画史上で無視できない個性的作家と評価されている。小学生でこのチョイスはなかなかのものだね(笑)。もう少し経って、砂川シゲヒサに強く惹かれたのは当然かもしれない。今だに、ギャグもリアルっつぽいのもくどいのは苦手、情感に触れ、線にも味が無ければ読み続けられない。


何となく小学生の時に好きだった漫画を思い出した。名前がスラスラ出てきた。習った先生の名前はすぐに出ないのに。思い出しながら、読んでいた頃の風景や匂いが浮かんだ。小学校の卒業写真を開いてみようかなあ。どんなことを思うかなあ。


 

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老人がこんなに良いものだとは

2024年09月19日 | 日記・エッセイ・コラム

(9/3『老人の考えはまとまらない』から続く)
づけば老人になっていたが、こんなに良いもんだと知らなかった(笑)。わかっていればもっと早くなりたかった。こんなんだったら死ぬまで生きてもいいな(笑)。なにが良いかと言えば、余計なストレスが無い。
スポーツも勉強も手先も全然自信の無かった子ども時代、大人になって給料もらう仕事ができるかどうか心配だった。新聞配達で月500円の給料もらうのでも大変だったから、自分が生きていくには相当の奮闘努力が必要だと思った。明るい希望を持ちつつ競争社会へ怯える少年時代であった。

がされ競争させられ自分をつまらない人間だと思わせる空気は今がずっと濃厚だから、ボンヤリしていたら確実に置いてかれる(「老いて枯れる」と出た)わけだが、「ワシ、もう競争しないし」の老人に過度のストレスは降りかからない。「もういいんだもん、欲望も管理できるし」の老人は無敵。
性欲は絶えて久しくなったようだし、睡眠欲は毎日が日曜日だから欲外だし、食欲は健康志向と重なり驚くほど減塩減甘減油&小食になったから自宅飯が一番うまくなった。

間泥棒の童話『モモ』で、生産性無き子ども時代の遊びが大人になるにつれて無駄とノンビリの悪と教え込まれ、あくせくと脇目ふらずに働かされて、楽しい時間が巧妙に盗まれてきたことを感心しながら読んだ。今までの暮らしや仕事を否定しないが肯定できないことも多かった。老人になると行く行かないは自由だが、「子ども」時代に直結する時間戻しの回路が出来るのは朗報。
朝起きて「今日は何をして遊ぼうかな」の今は、盗まれた時間の取り戻し中。トイレ掃除やゴミ出しや歩く買い出しも、鈴なりのミニトマトや曲がった胡瓜の収穫も、イラスト描いて送信したりブログの更新、こういう全部が一喜一憂できる自分の意思で使える時間。
人生100歳なんて調子良い言葉で、老人時間を盗むプロの泥棒がワンサカ出没しているが、マンマと引っかからない賢さは持っていたい。その秘訣は、「子ども」回帰の心を忘れないことかもしれないなあ。外界への興味喪失とまだ少し残っている変な競争意識が危ない。


ミヒャエル・エンデ著『モモ』は、作者の思想が直接的に表現されているからファンタジー好きのママヨさんは2回読んでも入れなかったそう。ファンタジー苦手の哲学好き波風氏は逆に面白かった、人生の深淵をのぞき込むような感じが。子どもの読者がこの本を好むことに興味を持った ♪斉藤和義『歩いて帰ろう』が散歩中に声を出して歌うお供。『モモ』の主張に通じている  裏ブログ『腹が固まった』にあるように、何は無くても健康一番を実感。季節の変わり目、このブログ読者の皆さんもご自愛下さい。

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