なんでも無いことは流行に従う、大事なことは道徳に従う、芸術のことは自分に従う。映画『東京物語』の小津安二郎監督を辿ったTVドキュメント(初回放送2023.12.2「生誕120年・没後60年 小津安二郎は生きている」)にあった言葉。波風氏は未だ5作しかこの監督の映画を観ていないが、きりっとした画面構成で家族の日常風景を淡々と描いている映像に強い印象が残っている。この言葉、波風氏なら、なんでも無いことは自分に従い、大事なことは暮らしに従い、芸術のことは内心の響きに従いたい、となるな。
映画の主人公が寝入る前に読む文庫本『木』に触発され、波風氏も読み始める。「秋に見たとき、檜は尋常だった・・・・あれは寛ぎの時期に当たるものだったろうか。はげしい夏の生活を終え、蓄積すべきものはすでに十分に満ち、冬を迎えるまでの暫時を安らいで寛いでいた姿」で立ち止まる。俺の季節は今、秋なのだろうか冬なのだろうか。木は春を迎えるが、俺は間違いなく冬に枯れる。少し年上の知人が、コロナから脳梗塞にかかり入院生活、未だ言葉を発しないと聞いた。まったく病気知らずの健康体を口にしていた昨年秋。秋予定の脳ドックを今月にした。
この国はあと何年持つのだろう。『教育改革』という言葉が昔はやったが、今は教育破綻に限りなく近づいている気持ち。学校は楽しく、先生は頼りになり、親は教育をつくる主人公、という子どもをないがしろにしない希望が未だ残っているが、この必死さがいつまで続けられるのか。繰り返しになるが、先生のなり手がいないという重大さを真剣に根本的に扱わないこの国は今後も存在できるだろうか?
芸能界人の性加害問題が騒がれ、巨大新聞やTVが情報操作を商売する体制だと知っただけでは何も解決しない。大事なことを情報化しないのがマスコミ・メディアの仕事としたら世の中のことは自分で感じ考えるしかない。憤らず頭を正常にしておく必要がある。だから、淡々と本を読む。
今日は、2025.2.5。波風氏は「ニコニコの日」と名付けた。今日の公式裏ブログ『2025.2.5』でどのくらいニコニコできたのかを記録中。波風的には「4月3日」は「おじさんの日」、「8月3日」は「おばさんの日」 残りが少なくなると不安になるモノは、珈琲、ウドンと、「まだいっぱいあるでしょ。どうして買って来るの!」と叱られるチューブの辛子とワサビ、歯ブラシ・・・。今日、2週間ぶりにウドン打つ。