師走に入ったかと思ったら、もう月末、というか年
末。クリスマスや大晦日に向けて、「やらなければらならないこと」と「やりたいこと」が目白押し。子どもの頃から続く、この「ワクワク感」が何とも言えない。子どもの頃は「クリスマス・大晦日・正月」が終わってしまったら、ポッカリと心に穴が空いてしまい、新年は始まったばかりなのに、何故か「1年が終わってしまった」ような不思議な感覚になっていた。今年は実家に帰ることはできないが、どんな年末年始になるのやら。
さて、年末・年始にやりたいこととは。机周りの整理整頓、カレンダーの張り替え、撮りためた写真データの整理、クリスマスのケーキや食べ物…。あっ、年賀状もまだ途中だった…。
激動の1年を締めくくるに相応しい慌ただしさ。師走の名に恥じぬ「12月」。
この「ワクワク感」が堪らない。
昨日の昼、我が家が雪で埋まっているのを見かねた教え子が除雪に、いや助けに来てくれた。「そろそろやるか、限界だな」とやっと腰を上げた足の痛い立男と腰の痛いママヨさんは心から感謝した。しめて1時間半。カエルの置物もありがとうございました。
夜、同級生の早口急(はやくちいそぐ)氏と会食。まず、港の見える露天風呂に。氷点下6度、夜の港を眼下に。まことに気持ちよい。時節柄、仕事のしめくくり、年金問題、退職後に一緒にやろうと前々から話していた件などを話す。来年4月から、こんなところにたびたび来られたらどんなに良いだろうと思う立男だ。それにしても、早口さんは昭和が似合う(笑)一緒に階下の「港1丁目商店街」を歩いたら、見事に街に溶け込んでいた。こんな叔父さん、いたな。
疲れと安心で気が抜けたのか…ロッカーの鍵が見つからない…「お客さん、マフラー忘れてますよ」の声も帰りがけに。
ipadはお気に入りのアプリを本体にインストールすることができるが、最近のお気に 入りは新聞のコラムを一括で見られるもの。見られる新聞は限られているが、1度に読めるのは便利。
凡師が中3の頃、「新聞のコラムを読んで200字でまとめてみなさい。毎日ね!」と国語教師に言われたことがある。「国語のテスト」で低空飛行を続ける凡師にとっては、相当高いハードルでもがき苦しんだ(笑)思い出がある。そんな事もあってか、実は今でも新聞を読むときは「気合い」が必要。お恥ずかしい話だが「読むぞ!」と自分自身にエネルギーを注入しなければならないのだ。ただ、コラム欄の読み方は当時と変わった。内容はもちろんだが、手っ取り早く「作りのうまさに唸る文章」に出会える場として日々読んでいる。
世の中にはすごいコラムニストがたくさんいる。
祖父の家まで歩いて40分ぐらい。行くのは正月や祭のハレの日だから、前の晩から興奮していた。小遣いだってもらえるのだ。家のそばの川を越えて行く。子ども心に非日常の世界に足を踏み入れる感覚だ。住宅街から 街に向かうだけだが、今でいう「ヤバイ」感じ。
その理由は、「17丁目オール商店街」にあった。道のりの三分の一はあっただろう。TVで上野のアメ横の様子を見て、同じ匂いだと直感した。エネルギッシュというか、猥雑というか、人間くさいというか。4条付近は繁華街で、食堂や八百屋や魚屋、玩具屋がぎっしりと詰まりそれは活気があった。退屈する暇がなかった。祭りの露天と同じなのだ。そこから遠い商店街の端の、何だか怪しげな飲み屋の連なりは、子どもにはつまらないが「なるきちおんじゅ」と書かれた看板の店からは、何とも旨そうな匂いがいつも漂っていた。
この商店街、 終戦後の旭川の露店が解散命令を受けてできたものとHPに。それぞれが活路を求め、最後に残った者たちで線路脇の下水を借受け、板を渡して通路とし、接続する国鉄用地を譲り受け1人3 坪の割合で、タル木で堀立式店舗をつくったとある。立男が成吉恩汗という見たこともない匂いだけの料理で夢ふくらませていた頃が草創期だったのだ。
画像は昭和の思い出ミュージアム。立男には17丁目オール商店街を一気に思い出させる人工空間だ。だが、人影の無い露地で一人迷子になってしまったような感覚は本物だ…懐かしくて、不安な。「今まで何してたの、もう行かないと間に合わなくなるよ」と手を引っ張ってくれる人をずうっと待っていたのかもしれない…そんなことを考える今の立男だ。こんなに歩いたのにまだ着かないの?…まだまだ遠いの?…えーっ、橋を渡るともう帰れないって!
2011ギャラリーに「昭和」の画像を少々。右袖からどうぞ
3月3日に【その1】UPし、最新号が【その37】だ。本ブログの毎週木曜「一寸凡師の隙間コラム」。その間、1回も休まず書いていただいている。外あくまでも柔らかく、中は強靱な精神を秘めている作者。秋田出身に、さもありなんと思う。ペンネームにも人柄が表れている。
出会いは、職場の生徒指導部便りだった。空いた隙間に書くコラムが何とも面白い。身近に題材をとり、ほのぼのしている。先生たちへの応援歌にもなっている。家に持って帰り家族に見せているのは自分だけでないことを後で知った。
11月からコラムのカットを代えた。素敵なイラストレーターに出会えたからだ。
それは職場の宴会だった。座席クジの数字が何とも面白かった。目で見える音楽のような…こういうイラストが凡師さんのエッセーにはあうなあ、と直感した。お願いしたら、やはり描ける人だった。瞬間的にイメージが湧いてくるようだ。凄い人というの時々いるものだ。「打出小幸」(うちでこさち)というペンネームは一寸凡師に対応して…というセンスに何ともおくゆかしい人柄が。
お二人ともそうなのだが、努力はしても無理をしていないように感じる。身の丈にあった表現なのだ。そうでなくては続けるのが難しい。
本欄のカット、小幸さんの上半身も後ろ姿の凡師さんも壁掛け時計の原版用だ。短針と長針を下半身のズボンにした小幸さんの方は一日のうち半分ぐらいは何だか変な格好だ(笑)相当に身体が柔らかくなければ出来ないポーズだ。一応、立男からの「お歳暮」としてお二人に。