波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

【その52】 黒い車

2012年03月22日 | 【保管】一寸凡師コラム

Photo  賽は投げられた。根拠はないが、今回はいつもと違う気がする。

 小生の記憶によると、「懸賞」に当選したのは幼少の頃に1度だけ。子ども向け雑誌の懸賞で、確か「ガッチャマンの黒い人が乗っている『黒い車』」だったような気が…。はがきをだした覚えは無い(母が応募した)のだが、ある日突然小生宛に「丁寧に包装された小さな箱」が送られてきた。箱を見てテンションがMAXになった小生は、玄関で包み紙をバシャッバシャッと。中から出てきた「ガッチャマンの黒い人が乗っている『黒い車』」に興奮し、その場で遊び始めたのを覚えている。あの「ワクワク感」「興奮」「喜び」は鮮明だ。

 さて、小生の悪癖の中に「○○した気になる」というのがある。(前回の記事でもこの話題に触れている)「仕事をした気になる」「上手くいった気Photo_4
になる」「なんとかなるような気がする」…。今回の悪癖は「懸賞が当たった気になる」。ある自動車メーカーの懸賞で「車が当たる」というのがあった。しかも当選したら「車の車種は選べる」ときたもんだ。また、宝くじ等と違って、ネット懸賞は「タダ」。タダで夢が見られるというのは、とってもお得で、外れても「精神的ダメージ」が少ない。ということで、さっそく応募、当選した気に…。荒馬さんと「どの車種にする?」とか「子どもを乗せるのを考えたら…」とか「色はこれでいいかなぁ」などと談笑。こんな「与太話」につきあってくれ、小生に「タダで夢を見る権利」を保障してくれる荒馬さんには頭が下がる。

 賽は投げられた。なんだか今回は当たる気がする。当選した暁には、幼少期の当選に敬意を表し「車の色は黒」で。大事なのは、賽を投げてもらうチャンスを作ること、夢を見ること、そして、決してへこまないことなのだ。

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反響

2012年03月16日 | 新聞掲載

Photo  昨日の北海道新聞(読者の声)に、コラム「恩師の言いつけ」の感想が載った。嬉しかったのは、標題「子供たちを導く教師にエールを」に表現される、過酷な中で子供たちに寄り添うすべての先生たちを応援してくれていることだ。心がポカポカした。私自身、退職間際だから、子供たちだけでなく、先生に対する応援歌を書いた、いや書けた。書こうと思った。
    それを、こんなふうに読み、全道にわかるように筆をとってくれた方がいる。感謝する。コラムに書いた「未来は満更でもない」気持ちだ。
                               
 更に嬉しかったのは、この読者の声のことを恩師が電話で知らせてくれたことだ。読んだかい?とても嬉しかったよ、と伝えていただいたことだ。ああ、よかった、本当に良かった。
                                                                                                                       
 感想やコメントはなかなか難しい。退職記念に作ってみた「校長室新聞」をお世話になった方々に勝手に送っている。読んでくれ、感想まで書いてくれる方もいる。ありがたいことだ。なかなか出来ないなあ、自分ならまず書けないなあと思う。世の中には凄い人がいっぱいいる。 

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【その51】 机

2012年03月15日 | 【保管】一寸凡師コラム

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 まだまだ外は寒いが、日差しが春っぽくなってきた。柔らかい日差しというのは実に心地良い。

 前回お伝えしたデスクスタンドは絶好調。仕事Photo_3
の効率は上がっているかどうかは微妙だが、確実に「仕事をやった気」にしてくれている。また、デスクスタンドに続き、書斎の机も新調した。息子が小学校にあがることもあり、学習机をどうするかずっと思案中だったが、ようやく決着。幅の広い机を2台設置し、凡師、息子、荒馬さん3人が横並びで使用するというアイデア。息子が学習に使うとなれば、以前の凡師のように机上を荒らす訳にもいかない。

広い机によって仕事の効率が上がっているかどうかは微妙だが、確実に「仕事をやった気」にしてくれる。この「気がする」という部分が非常に大事なのだ。

 20年使ったデスクスタンドも新たな役割を得て、新調した机の上に鎮座している。

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ダカラドウシタ

2012年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 今日は一日中、あの日を新聞もTVも特集している。立男という人間もあの日「3.11」から間違いなく変わった。

 前はしばらく浸っていれた喜びも、ソレガナンダ、ダカラドウシタ…という気持ちが湧いて持続できない。ポケットに入るぐらいのちっぽけな誇りを時々触れたり眺めたりして嬉しがっていたのは随分昔に思える。

  苦痛だって、コンナコトハタイシタコトデハナイ、アレニニクレベレバ…という気持ちがバネ仕掛けの自動装置のように作動するから持続しない。大惨事の前にすべて覆い被されてしまう。本当の悲しみや喜びは、相当に奥深いところにあるのではないかと思うようになった。

画像は、波風郵便切手の貼り混ぜ帳。ショーン・タンの「遠い町から来た話」に触発されて。今度、日本郵便会社の切手作成サービスで実際に作ってみようっと。
「気配り」は、その人の自立心の程度が表現する人間関係のあり方。気配りするのも、気配りされるのもそれはそれは永い修行が必要なんだろうなあ。人間ってなかなかめんどうで奥ゆかしいなもんだなあ。

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【その50】 夜道を照らす小さな光 

2012年03月08日 | 【保管】一寸凡師コラム

Photo_2   凡師が秋田の高校を卒業し北海道に渡る時。初めての一人暮らしということで、必要な物を買いそろえた。そんな物資の中で、20年経った今も使用している物がある。「デスクスタンド(卓上ライト)」である。学生時代、徹夜で論文を書いた時も、机の上には灰皿とこの電気スタンドがあった。タバコの煙がランプのシェードにあたり、ゆっくりと消えていく姿をぼんやりと眺めては、論文を書き。煮詰まってはまたぼんやり眺め・・・。まさに凡師にとっては、「暗い夜道をやさしく照らす小さな光」だった。

 あれから20年。さすがにガタが出て、点灯させるには「ちょっとしたコツ」(スイッチを押しながら本体を傾け、底面についてる「転倒スイッチ」をカチャカチャッと2・3回動かす)が必要になった。が、点灯さえすれば、朝4時の書斎を今も変わらずやさしく照らしてくれる。

   そんな20年の思い出が詰まったデスクスタンド。この度、諸処の理由から新調することにした。

 時代はLED。LED特有の「クセのある照射」はあまり好Photo_3
きではなかったが、今の機種はそんなクセも上手に調教され、明るさ、使いやすさ、エコの観点、どれをとっても20年前の物とは比べものにならない。しかも「片付け下手」な凡師の机において、クランプ止めの「新しいデスクスタンド」は、机上のスペースも損なわない。荒馬さんも納得&安心のスタンドなのだ。

この良いことずくめの「新しいデスクスタンド」。設置後もなぜか机の上で鎮座する「昔のデスクスタンド」。故郷を離れて20年。その間ずっと使っていたかと思うとなかなか・・・。

「なんで古いスタンド片付けないの?」とあえて聞いてこない荒馬さんもなかなかだなと思う。

人生は「なかなか」なのだ。

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