以前、新任の中学校で張り切っていた頃、先生の話が長くて生徒や親が 困っているようです、とPTA会長さんから言われた。さりげない口調だが、目が真剣だから間違いなく大勢を代表した直訴だった。
全校集会で、「私の話が長過ぎて何を言いたいのかわからないという変な噂が学校周辺で広がっています」と真剣に切り出したら生徒の顔が上がった。「北海道で2番目ぐらいに話の短い校長になってみせます」と決意表明した。生徒は、本当かなあ?という顔つきだったが拍手してくれた。
市内の小学校から、そこの校長先生の話が長くて、集会前に児童用トイレが大混雑して困っている、という噂も入ってきた。話の短い前任校長の評判が急上昇しているらしい。子どもたちからのシンプルかつ強烈な授業評価だ。いつ終わるかわからない壇上からの話を、身もだえして我慢しているかわいそうな幼い姿を想像した。
その後私は、「えっ、もう終わり?」と言われるあいさつに努めてきた。立場上、修行の成果を披露する機会は少なくない。だが、「若い時のあの迫力はどしたの先生。随分話も短かくなったけど、身体どっか悪いんでないの?」と、今は大人になった教え子たちから温かく冷やかされる。
今月から地元の大学で教えている。困ったことは、授業、いや講義1コマの時間が小中学校の倍ぐらいもあることだ。(4/12 北海道新聞)
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果たして、大学の「90分授業」は妥当なのか。一方的な講義の90分で、1日4~5コマなら絶望的な感じすら。学問を超え修験者の道場だ。立男の大学時代も90分だった。学ぶ価値観も、学ぶ方法も、子どもの忍耐力も変わっているはずなのだが…と、波風教授はつくづく思うのであった。