こんな詩だ。定年で会社をやめた方が、ボクの職場に顔を出す。「退屈だ」「一人だと落ち着かない」と言ったその人が帰った後、同僚たちは「驚いたな、仕事をしないとああも老けこむかね」「人間は働くように出来ているのさ」と話をする。僕は僕の中の「一人は肯き他の一人は拒」んでいると思う。そして後日、退職したその方がこにこして「仕事が見つかりましたよ。小さな町工場ですがね」と表れる。僕は、「これが現代の幸福というものかもしれないが、なぜかしら僕はひところの彼のげっそりやせた顔がなつかしくいまだに僕の心の壁に掛けている。」と思う。続けて、仕事にありついて若返った彼は、何かを失ったあとの彼のような気がする。「ほんとうの彼ではないような気」がするで終わる。
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終わりの2連で止まり、初めから読み直した。何度か反芻するが納得いかない。そのうち一つ一つの言葉が自分に跳ね返ってきた。いったい自分は、何を失ない、どんな「ほんとう」から遠ざかったものか…難解な宿題だ。 「一見すじの通らない表現の中に、思いの他のリアリティーがある」(吉野弘著「詩のすすめ」:思潮社)を実感する。与えられた価値観でなく、自分が納得いく価値観で解かなくちゃならない宿題なんだろうが。「仕事」という題名が実に意味深だ。
退職前は仕事、退職後は人生の大事さを思う。やっと自分を取り戻せる機会が来た時、人は不安になるのか、と中途半端な立男は思う自画像。クレパス、木炭、6B鉛筆、葉書大の色紙。疲れ顔だが目の光は未だ大丈夫なよう。