波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

№29/ はじめての学芸会

2014年11月22日 | 【保管】腹ペコ日記

 

        はじめての学芸会 

覚えていないだけかもしれないけれど、学芸会というものを体験した記憶がない。運動会、卒業生を送る会、合唱コンクール、学年劇…そんな記憶はあるものの、「学芸会」という形ではなかったように思う。そういうわけで、「学芸会」に対するイメージが真っ白なまま、小・中学校の学芸会を見ることになった。 

・・・

  まずびっくりしたのは演目の多さ。どの学年も2つ以上の演目があり、どれも簡単なものではなかった。それをたった2・3週間の間に取り組んでここまでマスターしていることに驚いた。それも、普通の授業もある中での取り組みだ。それを支える先生たちの苦労はどれほどのものなのか、と思いながら見ていた。

 ・・・

  「学芸会の準備がんばってるね」と声をかけたら、「がんばってるのは練習!」と答えてきた子どもたち。そりゃそうだ、子どもたちにとっては練習だよなぁと、自分のうっかりな言葉選びを思い出しながら、小学生・中学生ってここまでできるんだと思った、「はじめて」の学芸会だった。

コメント

新聞感想(11月18日)

2014年11月18日 | 新聞感想

 沖縄知事選の結果から 

  16日投開票の沖縄知事選。10万票の大差で負けた現知事、新聞に載った「想定外の結果」発言に唖然。こういう敗者の弁語る中級老人が県民のトップリーダーだなんて。喜劇、いや悲劇。「基地問題は争点でない。粛々と基地移設を果たして参りたい」という官房長官発言。顔色一つ変えず、白昼堂々と主権在民・平和主義・基本的人権の蹂躙発言に、政治というより人間性を、道徳のあり様を思った。

     

 70年代、復帰前の沖縄では、学生が日の丸を先頭にデモをしていた。驚いた。考えさせられた。同じものが、立場や環境で正反対の価値になるのだ。知ったかぶりで判断する怖さを覚えつつ、駄目なものは駄目なんだと後ろ向きでつぶやく勇気の持ち方も学んだ時代。あの頃が無ければ、沖縄に関心無く過ごした立男。40年経って沖縄からまた学ぶわけだが、肝心なことが何もよくなっていないからだ。

                             

 さて、昔から初級老人の教養は新聞が出どころと決まってる。♪ボロは着てても心は錦、年金不安でも新聞だけは取ってますが心意気だ。読めば語りたくなるが、銭湯や床屋は既にそういう社交場ではないし…では、ということで「新聞時評」までは行かない「新聞感想」コーナー新設。現職時代、公的ブログに似たようなのを週刊でやったが、「寸止め」にならざるを得ずストレス溜まり途中で止めた。今回は心新たに再発刊。

コメント

【その189】 ふくろう

2014年11月17日 | 【保管】一寸凡師コラム
    ふくろう
 
 フクロウに目が無い荒馬さん。、もちろん「グッズ」のほう。フクロウは、当て字で「福来ろう」と書くこともあり、なにやら幸運アイテムのよう。先日の埼玉出張ではフクロウの湯飲み&カップをお土産に買ってきた。確かにこの顔を見ていると、「ほ~っ」とする。
 昨年のこの時期、「秋の夜長がどうした」とか「読書の秋がどうした」などと本コラムで話題にしていたような気もするが、今、絵本の魅力にハマっている。(荒馬さんはずっと前から)凡師を知る方々は意外に思うかもしれないが、気に入った絵本を買ってきて何度もページを開いている。(息子に読み聞かせるより、自分で読む回数の方が多い!)
 ある絵本セラピストの方から聞いたが、大人が絵本を読むと、今の自分の状況を投影しながら読むそうな。「大人こそ絵本を」とはノンフィクション作家の柳田邦夫さん。柳田さん曰く、「絵本は人生で3度楽しめる。幼い頃、子育て中、そして人生後半になってから。」なるほど…。
 
 秋の夜長、荒馬さんと「この絵本もいいよ」「こんなのもあるね」と温かいコーヒーを飲みながら話をした。これで、窓の外からフクロウが「ホー、ホー」と鳴いていたら最高なのだが…。そうだ、来年のキャンプには絵本を持って行こう。ランタンの明かりで読む絵本も雰囲気があってとても良さそう。これを口実に「雰囲気の良いランタン」を…。
コメント

№28/ 心残り(最終回)

2014年11月14日 | 【保管】腹ペコ日記

 

                心残り

(前号から続く)大学院生だけじゃなくて、社会全体に「余裕」がなくなってきているのは、この間ずっと感じていることでもある。直接役に立つこと以外をする時間がなかったり、時間をさこうと思える余裕がなかったり。だからこそ、立ち止まって考える時間をつくろうと、声をかけなきゃいけないのかもしれない。思ったことを話せる場所を、わざわざつくらないといけないのかもしれない。

・・・

だけど、どんな取り組みだって、「叱咤」ばかりじゃ続けられない。相方さんがひねくれていたとき、自治会には「叱咤」しかなかった。「激励」されないことに腹をたてた私は「外に見える」化を進めたけれど、それは良かったんだと今のところは思う。Facebookの「いいね」とか、そんなものに励まされるときだってやっぱりある。

・・・

最後まで見届けられなかったことが、本当に心残りだった。でも、組織は「私のもの」じゃない。長い間いることで、見えなくなることもある。私たちが離れることも、やっぱり必要なことだった。(完)

コメント (1)

講演と書いて…(下)

2014年11月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 睡眠と読む

(前回から続く)聞きに来てくれた方々が、内容的に感動しその結果として覚醒してもらう講演は無理な話。そういうわけで、(物理的に)眠らせない授業でいかがですか、それなら何とか…。壇上から参加者に質問し、指名して発表や討論もしてもらう、講師は舞台の上と下を自由に歩き回り、来られた方々は眠たくともいつ当てられるかわからないから、おちおちしてられない…。こちらに注意が向いてない時は、水も飲めるし、こっそり欠伸も出来る(はずはないな)。

                          ■ 

 さて本番。自己紹介もほどほどに約束通りの「授業的講演」。最初は「まさか?」という雰囲気漂い、演台の前に立って指名したり、舞台から降りてグループ討論の「机間巡視」の頃には、「この方はこういう方なのか」というあきらめの境地になってもらい、そのうち生徒と先生が一緒に作る授業風になってきた。難しいことがわからないが、教育や子育ての学び方は、共感的人間関係の実感が必要で、形は緊張と楽しさが同居する授業や学級会がふさわしい気がする…「教育」を「教員」が語る場合には。

                   ○ ■       

 ちなみに演題は「確かな子育ては、もやもや感を持ち寄る勇気から始まります」。副題が「『子どもの見方』が『子どもの味方』に変わるとき」。こういう話を一人で語り続けてどうかなるものでない。さてさて、「内容は『教えてやる』で態度は慇懃」か「内容は『教えてください』で態度は大胆不適に」かは考えどころだな(終わり)

……………………………………………………………………………………………………………

 「井上ひさし 短編中編小説集成」(岩波書店:井上ひさし著)第1巻買う。老後は、漱石、周一、健三郎、そしてこの方と決めていた。井上さんを読む基本軸が決まった感じ。小説買う嬉しさは久しぶり  素っ気ないブログのデザイン、これはこれで悪くないな。

コメント