波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

春の深呼吸(最終回)

2016年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム
 
【4/8「春の深呼吸(中)」から続く】
 この歳になって思う。偉い人とは、口先きだけじゃなく、自分のできることを淡々と行い、人知れず誰かの役に立っている人のことだなあ。
 借り物じゃない知恵で暮らす、軽率な判断や言葉を慎む、少し離れたところで密かに誰かを祈っている……ような人。こうやって言葉にすると、縁遠い宗教者みたいだが、お世話になった人の顔が数人浮かぶ。温かい心になる。
 最近とみに、「人生も後半、余計なことに首を突っ込まず、興奮して声高に話すようなことをしちゃいけない」なんて思う。心配は尽きないが、何とかご飯は食べていけるようになった。これ以上の何かを望んだらきっとバチがあたる。生きとし生けるものに優しく、静かに静かに暮らしていこう。
 
                           
 
 新聞の来た音で玄関に出る。外に出て、未だ雪の残る家並みを眺めながら深呼吸をしてみる。清新な土と水の香りがする。
 あれっ、茶色い列が、目の前を横切った。一同そろって向かいの家の花壇に首を突っ込み始めた。中の1頭がチューリップの茎を半分くらい口にくわえて「オマエハダレダ」「ショクジチュウダゾ」みたいな顔で立男を凝視した。静かで、落ち着いている。自分の生活を粛々と自然体でやっている。祈りの方は、知らない。こっ、こらああ!と最近出したことがない声であいさつ、いや後じさりしながら声を出す立男。朝食の時に、「そろって角が無かったから全部メスだな」、「食べなきゃ生きていけないもね」なんてママヨさんと話する。
 
 夕方、うちのチューリップが見事にやられているのを見つけた。あの鹿野郎、今度来たら棒で叩いてやるかな、ロケット花火を買っておくかな、一度痛い目に…なんて興奮する。(安心してください。決してそんなことはしません)。忘れてた、偉い人の道。深呼吸を、いや溜息が出た。【終わり】


 
画像は、天売島の赤白灯台。ここで小学校4年生たちと写生をした。海鳥の楽園のような島だった。26歳まで4年間の生活だった 去年も鹿に食べられた。困るなと言いながら、秋にいつになく多く球根を植えた。食べられたら食べられたで仕方がない、と思う波風家今回の三部作、何だか連続しているような、なそうでもないような。
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【その259】最中の皮

2016年04月11日 | 【保管】一寸凡師コラム
最中の皮

 先週、波風さん宅を訪問した際、お土産として「最中の皮」を頂いた。さっそく家に帰って、冷蔵庫をゴソゴソ。ホイップクリームがあったので、 息子と一緒に「ホイップ最中」を作って試食。荒馬さんには甘すぎたようだったが、甘党の男衆は「美味い!」「もう一丁!」と、頂いた皮をあっという間に完食。最中の皮を堪能した。次は、もっと色々な物を挟んでみたい。

 さて、首の痛みと共にスタートした新年度。昨年度とはまた違ったポジションでの1年にワクワクしている。首の痛みはだいぶ和らいだが、左後ろ を振り返ろうとすると“ピキッ”と痛む。きっと凡師の首が「今年一年、振り返らずに行けよ!」と教えてくれているに違いない。まあ、右後ろは普通に振り返 ることができるのだが・・・。
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第101回/自己紹介

2016年04月10日 | 【保管】腹ペコ日記

  自己紹介

 毎年4月は、自己紹介について悩む時期。「素敵な先生にみられるように」などと思うには思うのだが、最終的にはほぼ素の自分で行くことになる。というより、思い悩んだ末、「第一印象は素の自分で」になる、というほうが正しいかもしれない。

・・・

 知ったかぶりをしたり、虚勢をはったり。それには腹ペコなりの必要性や理由があったのだが、そんな困った癖がしみついてしまっていることに、うすうす気づいていた。そして、そうした行為は「先生」には一番不要なものだった。この癖をなんとかなくしたい。そのためにはどうしたらいいかと考えた末、最初の自己紹介で、そんな癖があることも含めて、子どもたちに伝えることにした。

・・・

 「自分もまだまだ成長の途中」だということ、「みんなと一緒に成長していきたい」と伝えることが、今のところの到達点だ。「教師は子どもの三歩先を行き、一歩だけ前にいるように見せる。三歩以上先にいってはいけない。子どもを見失うから。」恩師から言われた言葉。腹ペコも、いつかそこまでたどり着きたいと思っているのだけれど。
 


このコラムで、自分のあいさつ事情をかいたコラム「短い話」を思い出した。それと、立男が恩師から聞い話も。入学以前は身体に触れる位置、それをだんだん離して小学生は横を向いたらいるぐらい、中学生は後ろを振り返って触れられるぐらい。高校生は姿かたちがわかる遠さ。では、大学生はと言うと…居場所を知っていて相談ができる、ぐらいかなあ  公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」更新しました。

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春の深呼吸(中)

2016年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム

【前回から続く】就職の喜びは、もちろんセンセイになれる嬉しさだったが、「これで食べていける」安堵感の方が勝っていたかもしれない。
 就職が嬉しいのは今も同じだろう。自立の節目だ。だが昔は、ショウガクキンという名前だけ立派な巨額の負債を若者に背負わせるような非道さは無かった。厳然とした格差はあったが、今のように平気で若者を債務奴隷にする国ではなかった。

 教育に対するまともな道徳がまだ社会に生きていた。大学の授業料がそうだ。当時の格差社会で限りなく貧困層近くにいた波風立男君でも、「この授業料は随分安いな」と思った。1ヶ月分の授業料(1.000円)を1日アルバイトすれば払えた。この「教育の機会均等」のおかげで大学へ行けたし、自由に使える時間が買えた。無駄な時間の浪費もあったけれど、人生の基本を学ぶこことができた。これほど贅沢に時間を使えたのはその前もその後も無かった。【4/12(火)に続く】


画像は4/7朝日の新聞切り抜き。大学食堂の350円のラーメンが高過ぎる、勉強したくてもアルバイトをしなくてはならない…地方大学も同じだ 実にカッコ悪い大人が出てくるわ、出てくるわ。政治家、スポーツ選手、芸能人、そして教育評論家。こういう時はたいてい、大事なことが起きているのに隠されているものだ。

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春の深呼吸(上)

2016年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム

   今日みたいな薄ら寒い日だった。
   漁船を転用した連絡船は大きく揺れ、カイコ棚みたいなベットから灰色の空が円い窓に見えていた。床に針金で固定された石油ストーブの炎が大きくなったり小さくなったりした。

 42年前の春。新採用教員として離島に向かう時だった。16年間も黒板に向かって座っていた者が、明日から黒板を背にして仕事なんかできるものなんだろうか。不安と希望が激しく交錯しているうちに、雪と地肌がまだら模様の崖の下の小さな港に着いた。若い波風立男センセイは、覚悟と溜息の混じる深呼吸をしながら船のタラップを降りたはずだ。【次回に続く】



画像は、かなり昔の天売港。建物が木造だ。この連絡船は立男赴任後に就航した待望の新造船、天羽丸(羽幌-天売)。今日の記事中の連絡船は、それまでの間に使われた漁船改造船。その前は、稚内-利尻・礼文間の連絡船の中古品が使われていたと聞く「春の深呼吸」は上中下の3回で。雪解けの今、心の歳時記にある「就職」のことを書いておきたい。

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