管理と信頼
久しぶりに研究会に参加した。そこでやけに印象に残ったのは、「教育改革は必要だとみんな思っている。でももっとシンプルでいい。お金と人を増やしてくれるだけでいい」という発言だ。今の改革の方向はまさにその逆、お金も人も増やさないかわりに子ども、教師に対する管理がどんどん強くなっているように感じる。
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こうした方向性が教育現場に届けるのは、「あなたたちのことを信頼していません」というメッセージなのではないかと思う。信頼のない場所で、ひとはどれだけがんばれるだろう。がんばろうと思えるだろう。
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管理の下での連携やチーム学校では、かえって責任の押し付け合いになるのではないかと懸念している。腹ペコの杞憂に終わればいいのだけれど。
【腹ペコメモ】 数えなおしてみたら、途中で1回分カウントを飛ばしていたので、 今日のが本当の100回目でした 育児記録ブログ「わがやのはる-まめたろう日記-」始めました。
昔の「天声人語」で、アメリカ人のアメリカ大統領に対する意識を読む。いわく、アメリカ人とは「アメリカ人になった人」で、「アメリカ」というの語感にはいつも、「かくあらねばならぬアメリカ」という価値観がまとわりついている。こうした人々が選択したアメリカ像の象徴が大統領だ。アメリカ人は、(日本人と違って)百年前の南北戦争の時に国が分裂したかもしれないという恐怖心を今でも潜在的に持っていて、その頂点に、統合の象徴としての大統領がいる。(74.7.30「アイ」「ノ-」から)。半世紀前の「ウォ-タ-ゲ-ト事件」、ニクソン大統領弾劾裁判の時のコラム。作者は不世出のコラムニスト深代淳朗(享年46)。
TVの大統領選がいつも熱狂的で、草の根的で、ボランティアな理由がすこしわかった気がした。
その大統領選で、トランプ候補が何かと騒がしい。メキシコ国境に壁で笑っていたら、日本も韓国も核を持て、安保ただ乗りなら米軍は引き上げる、なんてことも言う。こうした演説ごとに熱狂と反発が巻き起こり、「何て落ち着きが無いんだろう」と思ったが、前述のコラムで少し考えるところがあった。政治からもはみ出す「象徴」を求める国民選択なのだ。海の向こうの目もくらむような格差社会で起きいている特異な現象なのか、櫻開花がトップニュースの国でもありうる話なのだろうか。そこらが気になる。【続きは、こちらの「波風食堂、準備中」で】
※しょうちょう【象徴】-する(他サ)[その社会集団の約束として]言葉では説明しにくい概念などを具体的なものによって表す(代表させる)こと。また、そのもの。シンボル。「ハトは平和の-/-性」
コラムは文末が命。最後に滋味が濃縮され全文が引き締まっている。終わりが「紋切り型」は中身も知れてる。文頭が一番勢いがありグズグズになって失速している。本ブログはすべてがコラム。つまり、文末修行の道場・・・なのだけれど・・・自分のはグズグズが積み上げられた堆積場だな。