波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

第116回/まなざし

2016年07月23日 | 【保管】腹ペコ日記

まなざし

 たくさんの人のまなざしがあると、発達は加速度的に伸びるらしい。そんなことを感じた連休だった。

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 この連休、腹ペコ家にお客さんがやってきた。最初は緊張していたまめたも、慣れてくるとテンションが最大限に。みんなの視線を確認しては、いろんなことを披露していた。

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 その披露大会の中で、突然木馬に乗れるようになり、すべり台を滑れるようになった。それまではそのどちらも大人の支えが必要だったのに、「支えなんていりませんよ」とドヤ顔だ。見てくれる人がいるからこそ、このドヤ顔が成り立つ。次は何をしてドヤ顔を見せてくれるのか、腹ペコ家の楽しみは尽きない。


波風食堂、準備中です」久ぶりに更新しました。

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続 ラジオの年齢

2016年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム
 波風立男氏は深刻なテレビ依存体質を自覚している。休日なんか放っておくと一日中テレビ漬け。「選んで見なさい」とママヨさんが言うので、「ちゃんと見る」のと「ちゃんとは見ない(で別のことをしている。本を読んだり工作や調理なんかをしている)」のを区別する。スイッチのOFFは、テレビ側でなく、人体側を転寝により切断している。テレビを一旦ONにすると、「音も」いや「お供」のテレビはまず消せない。
 
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 高校時代の寝ながらラジオは高校卒業で終わった。大学に入って寝る暇が無くなりラジオを忘れた。勉強するのが嫌で布団に入って小説を読み続けたのは受験生の孤独や焦燥からの逃避だったかもしれない。だがそのことに後悔はない。むしろ、あの時期の何かが今も連続する人生の大事な何かに連なっている気がする。
 このごろ、ラジオへの回帰が、テレビ依存を解決してくれそうだ。「ちゃんと見ない」のはテレビをラジオ化していただけだと気付いたこともある(遅💦)「明日から禁煙」宣言して早12年。新たな目標は「禁テレ」。「禁太」(ダイエットですよ)の方は1.5キロ減で60キロ台に。波風立男氏の華麗な挑戦は続く。
 
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 波風立男氏は、いつも何か「お供」が必要な依存体質なのだろう。精神的自立という高級なものじゃなく身辺的自立がなっていない。テレビ依存が半世紀ぶりのラジオ回帰に向かうのは愉快だ。仕事しながらのラジオは絵になる(笑)昔、大工さんの働く横には携帯ラジオが似合った。波風立男氏は、「俺だって、ラジオの似合う働くおじさんになるんだ!」と、玄関から歩いて13歩先の物置(「波風食堂建設予定地」の隠居所)の中心(10畳の広さ)で叫んだ。
 

 
その物置でラジオを聞きながら夕刊を読んでいたら、馬鹿丸出しの爆音が近づいてくる。「マフラー改造して何が嬉しいのよ」と思っていたら家の前で音が最大になり止まった。ママヨさんがマフラー落としそうになりながら帰ってきたのだった。【爆走ママヨの帰宅】
 
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ラジオの年齢

2016年07月20日 | 日記・エッセイ・コラム
 ラジオを聴いている。今年の春に物置で木工作業し始めてからだ。もっぱらNHK第1を聞く。これ以外うるさくて駄目だ。土日の午後なら日ハム戦にする。「聴く」でなく「聞く」。実に、作業のお供として具合が良い。そう打ったら「作業の音も」と出た。『山田君、座布団一枚』だね。
 
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  ラジオは役所が災害緊急連絡用に全戸へ貸してくれた。柱に釘を打ち斜めにぶら下げて聞いている。姿かたちが高校時代の「トランジスターラジオ」とそっくりで、この種のデザインは半世紀進化しなかったというか、完成形があの時代だったのかと思う。ダイヤルでなく、ボタンで一発選局が21世紀だ。
 
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 高校の頃、夜寝る前に聞いていたラジオ。「ながら族」なんていう高等な芸は無理なので、夜10時ぐらいから問題集を広げ、「パンチ パンチ パンチ」なんかを子守歌にただただボーっと聞き、いつの間にか寝入っていた。中学時代から、勉強は布団に入ってやることにしていた。「寝てしまったら宿題ができない」という切迫感と「布団という何よりも安楽な環境」との狭間の緊張関係に身を置くことが子ども心にも味わい深かった。「俺は何時からでも、何時間でも、やろうと思えば勉強できる(はず)」という根拠の無い、奇妙な優越感があった。ラジオはそんな思春期の「お供」だった。【続く】
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【その273】 書く

2016年07月19日 | 【保管】一寸凡師コラム
 書く
 
 前回のコラムで紹介した“筆文字”。時折面白い文字が書ける事もあるが、筆文字人(ふでもじん)を名乗るにはまだまだ。ただ、“書く”という 行為がもたらす時間や空間、緊張感が何とも言えない心地よさを作り出している。凡師が好きな“ハガキ”も“書く”という行為は同じだが、違う心地よさがあ る。コラムもPCを使って“書く”という意味では同じだが、こちらもまた違う心地よさ。
 
 さて来週。筆文字やハガキとはまた異なる“書く”場面が。こちらもまた別の心地よさが・・・あることを期待して。準備に気合いを入れすぎた訳 ではないが、歯に詰めていた“銀歯?”がポロリ。うん、これはなにやら面白いことが起こる予感。「おこることすべてをたのしむときめてからたびにでる」 (喜多川 泰 著 「ライフトラベラー」)の心境でいってみたい。
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第115回/1年

2016年07月16日 | 【保管】腹ペコ日記

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 3人家族になって、ちょうど1年が経った。生まれたときは、3100gしかなかったのに、今では11,8kgと、身長・体重ともに、成長曲線を飛び越える成長ぶりを見せている。「あの、ふにゃふにゃしていて小さくて頼りなげな時期から、まだ1年しかたっていないなんて」という気持ちと、一方で、「もう1年も経ったのか」という気持ちと、その両方が入り交ざっている。

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   私達コンビも、親になって1年経った。相方さんに「親になってから腹ペコが変わったことはないか」と尋ねたところ、「特にない」と言われた。しいて言うなら、「以前よりこまめに部屋の掃除をするようになった」とのこと。では腹ペコから見た相方さんの変化はと言うと、やはり「特にはない」気がする。本当に特に変化がないのか、それとも、実は変化しているのだけれどお互い気づいていないだけなのか、あるいはそれ以外の何かか。この1年、私達の身近にいた人達に聞いてみたい気もしている。

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