退職したばかりで『主夫』見習い中の波風立男氏。今日の『折々の言葉』(朝日新聞朝刊)に感じるものが。今読んでいる本(「日本の暮らしをかえた男 花森安治伝」)で、この言葉に至る育ちや仕事を知る。「贅沢は敵だ」のコピーは花森氏作、と言われるが、この言葉はその裏返し、そう思うと実に痛切な悔悟。
いつの時代も、まず暮らしがあり、それを良くするのが政治。当たり前だが、野菜の値段も、ゴミの出し方も、洗濯物のたたみ方も、ママヨさんに教えてもらわなければ暮らしのイロハもわからない。それなのに、「世のため、人の為」と家庭完全無視だった。家事手伝いで無く、家事共同を足場に世を眺めると、前より地に足の着いた人間になった感じがする。土俵に女は上げられない慣習に、「女から生まれたくせに何偉そうに言ってるの!」(ママヨ談)が痛烈かつ耳に痛い。
最近の立ち止まった『折々の言葉』から。教職を離れ「時間は幾らでも出来るわけだが、『閑』にはならない」、自由な空間が広がるからだ(4/10 河野与一)。「真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ」(4/11 サン=テグジュペリ)は、ママヨさんがえらく納得感心。立男君は、そうなんだろうなあ、ぐらいの感じ。

