波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

工作『運ぶ人』

2018年07月12日 | 図工・調理


中と両手で運ぶ人。こんなに細くて頼りげないから次の一歩で転ぶに違いない。苦役の意味は?いったい、どこから来てどこへ行くのか?これは俺か?手元にあった小枝が、そんなことを考えさせる。ベンチとウットデッキを塗装した晴れ日の昨日、2度塗り合間の工作。

1年に1度手を合わせる墓地、その生け垣にあった栗の小枝が、イガ栗とともに転がっていた。それを身体と脚に、腕は家を建てた時にいただいた桜の小枝。顔や荷物は昨年拾った流木。どれもこれも、あっさりとは捨てられない材。それを、なんとなく面白がってつなぎ合わせているうちに一つの形・意味が突然に表れ、ハッとした波風氏でありました。


公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」に、『ほんのつきあいです』を明日UP予定。『珈琲教室』に続く波風食堂イベントの第2弾です。

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『開高健』(かいこうけん)を読む。

2018年07月07日 | 読書

編『ロビンソンの末裔』(60年) 、短編『裸の王様』(57年)、『巨人と玩具』(57年)、『パニック』(57年)を続けて読む。大学時代(72年頃)に読み、ずうっと気になっていた作家。晩年の言動に疑問感じて遠のきやっと再読。
 
出するイメージを豊穣な言葉で掴まえる饒舌な文体が懐かしい。そして、詩的なのに物語性が強烈、雰囲気でなく膨大な取材に裏打ちされた説得力が今も新鮮。ムラカミハルキは分からなくてもカイコウケンはわかる(笑)。開拓農民の極限の悲惨さが、人間の強さの記憶に変わった『ロビンソンの…』。文末3行に出会い、再読してよかった
 
世紀前に読んだ『裸の王様』は、教師の指導性や大人の利害関係が強く記憶に。今回、子どもの発達と適応に目が。波風氏の教師前と教師後の教育観の関心の違いだろう。『パニック』は公務員、『巨人と玩具』は宣伝業界が舞台だが、「小説」はこんなに面白い娯楽だった。同時に、昔も今も何かが足りない感じがやっぱりする。上手過ぎるからかなあ。波風立男氏のヒトと社会に対する問題意のせいかなあ。カイコウケンっていう作家をどれだけの人が知っているのかな。


 
公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」に「『珈琲教室』のご案内」をUP。楽しいイベントになりますように 『ロビンソンの末裔』(舞台は富良野)読後、思い立って『北の国から』(倉本聰著:評論社 前編・後編)注文する『開高健全作品』(73~74年 新潮社版:小説2、小説4)古い本なのに活字が読める大きさでラッキー 「言葉」が気になるのは老人のせいだが気にならなくなったら終わり。そんな気持ちで前回ブログ「『大丈夫ですか?』の無礼」書いた。このブログ、頭のストレッチ。

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『大丈夫ですか?』の無礼

2018年07月02日 | 日記・エッセイ・コラム

の手術直後、見舞いに来てくれた方から「大丈夫ですか?」と聞かれて困った。そんなことを聞く人は、割合に身近で悪気無く少し鈍感な人たちなのだが、患者自身がびっくり仰天・不安満載だから答えようがない。胃がん術後9年になるが、未だに癌体験の実感が波風氏に無い。だから、今同じことを聞かれても答えようが無い。中に未だに、顔を合わせる度に聞いてきて、もごもごしていると「俺には悪いところが無くてさあ」なんて笑顔でおっしゃる方がいて苦笑する。

後、腸の接合部分の炎症で嘔吐が続き、1ヶ月で体重が20キロ減ったのが癌の記憶。毎日吐き続け自他ともに「だめかもしれない」と思う頃に「大丈夫ですか?」と言われなくなった。これで否応なく「あなたは癌です」を受け入れざるを得ないわけだが、癌の症状では無く術後の経過だから、癌そのものの苦痛は知らない。
昨年、相当に努力して減量し良い血糖値になったら、「癌が再発したらしい」と噂の種になっていたそうだ。世間というのはそんなものなのだろう。

の間、癌宣告された方々と話し、亡くなられた方も少なくない。それらの多くは、波風氏と同じく、「これは何かの間違いだ」という感じだった、癌の事実を受け入れられていないと思った。これが普通の人だと思う。死ぬかもしれない不安は並大抵ではない。中に、全て受け入れ静かに残りの生を大事にされた人もおられた。尊敬する。だから、大丈夫な人にも、ぜんぜん大丈夫じゃない人にも、「大丈夫ですか?」と尋ねることはあり得ない。


画像は家の前で拾った小石。麻紐で十文字に括った文様が面白い。キリキリと縛った感じ 。裏もやはり十文字 来月『読書カフェ』開催予定。今月22日(日)は『珈琲教室』。毎月1回ぐらいのリズムで波風イベント「群れない、慣れない、頼らない」「絵とは自然の不思議や美しさをただ描き留めたい一心、その時の感動」。好きな画家、堀文子さん(日本画家、1918生、99歳)の言葉。

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