波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

新『カンロ飴』のデザイン

2018年10月17日 | 新聞感想

面使ったカンロ飴の新聞広告(10/16朝日)。スッキリ大胆なデザインに立ち止まった。老舗飴会社カンロのリニューアル広告。真ん中のコピー文章を読み始めると、温もりのある柔らかそうな手の平に乗った3色の飴玉がじゃまにならないように視界を飾り、読み進むにつれ飴の袋が視界に入ってくる。袋を注視すると左から『カンロ飴』『ミルクのカンロ飴』『ハーブのカンロ飴』の文字。最下段に新しいロゴとマーク。直球ど真ん中の「これを言いたい」宣伝デザイン。好きだな。この手の広告はセコマの連続広告以来。※セコマの連休7日間連続広告セコマの通算9回新聞広告

ンロ飴を検索したら、「家族間の会話は無料です。」、「ふたりのカンケイ、飴のち晴れ。」、「チョコが義理なら、アメは人情。」、庶民的で秀逸な宣伝文句が次々と。「カンロ飴を食べる悪人なんて、見たことがない」には某会長を思い出し笑う。言葉を商いの要素にしている感じ。今回のリニューアルの宣言文章は、改革の理由、その内容、そして飴業界での位置づけを無駄なくさらりと述べていて読ませる。飴の新マークも素敵。だが、新コピー『糖から未来をつくる』は「(糖分過多に注意の)最近のシニアの方々」にどうなのかな。

60年以上の歴史ある飴、母親が好きだった。「母さん、おやつちょうだい」と言うと前掛けのポケットから出してくれた。「またかあ」と口答えすると「贅沢言うもんじゃ無い。食べられるだけ幸せなんだよ。」と言われた。文字通り「甘じょっぱくて懐かしい味」。遠足に持ってくる友だちもいなかったし、仕事場で見かけたこともないし、自宅で見たこともないな。だが、熱烈な愛好者がいたのだ。古くて新しくなるカンロ飴は、添加物を極力使わず、アミノ酸を使わず、元祖「素材を生かす」キャンディとして、砂糖、水飴、しょう油だけで作るという。食べてみたくなった。

コメント

公式裏ブログ、更新しました

2018年10月15日 | ご連絡

ただ今、「先端的な達成感」で更新しました。何か、とても文化的といおうか、学術的な文章みたいな感じがしますね(笑)。実際は、極めて医学的・看護的な体験を綴った実存的な感覚のエッセーです(嘘) 昨日、第3回「ほんのおつきあい」。近日中に内容紹介しますね。今回も面白くてためになる読書体験の交流が 第2回の珈琲教室を今月末の夕方開催。「うどん屋ごっこ」は来月に1回予定で年内終了。詳しいことは明日か明後日のこのブログでご案内します。再開は来年初夏かなあ。

コメント

公式裏ブログ、更新しました

2018年10月14日 | ご連絡

今、公式裏ブログを『4回目の「パンとスープと猫日和」』で更新しました。

コメント

『犬を飼う』を読む。

2018年10月10日 | 読書

「(波風立男君という)十分大変な動物を一匹飼っているんですからね」と、子ども時代に牛も馬も豚も鶏も飼っていたママヨさん。苦労を知っているから動物を飼うのに絶対反対、断固反対なのである。決め台詞は、「(犬を)飼うんだったら、私が出て行きます」。『犬を飼う そして猫を飼う』(谷口ジロー著:小学館)を再読した時だった。

                              

一昨日、妹夫婦が犬を連れて来た。2人展を見に函館から車で来てくれた。1歳になる黒い柴犬に魅了された。出逢いから親愛の情を示し、「お手」も「伏せ」も「待て」も言うことを聞いてくれた。こんなこと初めてだと妹。新聞配達していた子ども時代に尻を噛まれて犬が苦手だったが、遊んでくれたモモちゃんがいなくなり、何となく「犬」の本を引っ張り出した。読んでいて、立男氏と逆に、実に素っ気なかったママヨさんの態度は、何ごとかを強く警戒し注意しているせいだと気づいた。この本をあえて無視している感じなのだ。そうか、同じなんだ。

                                                                                     

昨年亡くなったこの作者の作品は、ずうっと読み続けていきたい。還暦後、本を1/3に減らしたがこれは別。今まで熱心で無くて良かった、未読の傑作が残っている。繰り返しの再読できる作品群。画面の隅々まで焦点をあてた微細な表現画風、明確な主題は堅苦しいはずなのにそうでないのは、微妙な人の心を描ける技量があるからだ。内海隆一郎原作・谷口ジロー作『欅の木』を読み唸った。『赤い花』もそうだが、数百冊の物語より、一編の漫画が心に残ることがある。エッセー(『犬を飼う そして猫を飼う』に2編収録)も丁寧に読んだ。状況と心を平易な言葉で読ませる。

 


ぼおるぺん古事記』(こうの史代作:平凡社)買う。この作者も読み続けたい 『ホーキング、最後に語る』(S・Wホーキング他:早川書房)目を通す。高名なベルギーの理論物理学者の言説を知りたがったが全文ほぼ意味不明。「ブラックホールは巨大化して蒸発」、「他宇宙は無限で無く有限」を想像する 第3回『ほんのおつきあい』(読書交流)、10月14日(日)14:00~15:30、波風食堂で。見学も可裏ブログを「贈られる哲学」で更新。モモちゃんの画像あり

コメント

つくる楽しみ

2018年10月04日 | 日記・エッセイ・コラム

校2年の時だと思う、インクと色鉛筆でケント紙に描いた絵を、外から出入りできる自宅内の物置に画鋲で貼った。全面ベニヤ壁の4畳半に10枚。絵の好きな友だち4人と家族が見てくれた。絵の話しは覚えていないが、自分のつくったものを自分で展示して見て貰うことに驚いたという声は残っている。昨年、その一人に同窓会で会ったら、今でも忘れられないと言っていた。

               

人展会場の「ぎゃらりい華」に、その時の気持ちというか、気分というか、そんなのを最初に訪れた時から強く感じた。今回、26枚の作品(自分5、息子19、共作2)の展示作業の時、とても懐かしい気持ちが湧いた。ここで3回目だから、というのではなく、作品づくりの原点の意識だ。2人展を最後に華が閉じることもあるだろう。会場入り口に掲げたあいさつ文の「『華』の精神を、私のこれからの人生でずうっと忘れないでいたい」は、オーナーに対する尊敬と感謝と同時に、難しいことだが、作品を見て貰いたいのなら甘えず、その場を自分でつくる、という気概を含んでいる。

                      

を見て貰うことは、日々の暮らしにちょっとした緊張感を自ら作り出す面白さだ。これは『波風食堂』の「うどん」と同じで、プロでは無い『ごっこ遊び』。つくる人と見る人、つくる人と食べる人、どちらも遊びの主役。読書交流『ほんのおつきあい』は文字通りに全員主役で全員個性的で実に楽しい遊びだ。
波風立男氏の場合、つくる楽しみというのは、遊び方や遊んでくれる人が次々と奥行きが広がる面白さと、その刺激で「もっと面白いものをどうやってつくるかなあ」という熱中と緊張の連続にある。持続する遊び、至極真面目な遊び、というところが肝心だ。目指すは、遊びのプロだ(笑)なんちゃって。こういう生活だと、認知症発症が少し遅くなってくれる気もして。


中島京子著『長いお別れ』読了。中学の元校長に我が身を投影して読む。周りが温かく切ない 次回「ほんのおつきあい」(10/14)に、読書の交流テーマをハガキで知らせてくれたT兄。「稚内こまどりと3億円事件」「宮沢賢治と私の友人」…面白そうギャラリーの最後ということで、2人展にも大勢の方々が。空路往復日帰りで来てくれた方も。ありがとうございます。

コメント