波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

立ち止まる言葉【センター試験の国語問題】

2020年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 

日のセンター試験の国語問題、原民喜著『翳(かげ)』を読む。「天声人語」(1/21)に、のんびりした日常が、日中戦争でじわじわ変わっていく様子がそこにあるから、ぜひ読んで欲しいとあった。小中生対象の学力テスト(国語)は毎年解いているが、センター試験は久しぶり。混乱した共通入学試験の記述式問題、高校の授業で文学教材が扱われなくなりそうだと知り、重い腰上がる。

面の都合で活字が極端に小さく、眼の悪い棟方志功が版画板にへばり付いて彫るような格好で読んだ。好ましい小説。ごく普通の善良な青年が刻々と戦争に巻き込まれ、主人公夫妻の生活と心情が変化していく様が清浄で明るい文体で描かれる。広島で被爆した作者が戦後数年で自死したことは知っていたが読むのは初。設問も常識的で良い。記述式問題にするならどこだろうかと思ったが浮かばなかった。

後ではなく戦前が近くなって来るような今。こういう小説が出題される意味は大きい。今回が最後のセンター試験だが、戦後70年目の終戦記念日の「団地ともお」(2015.8.14NHKで放送)の戦争を考える特別版を思い出す。時代と切り結ぶ勇気が、表現として前触れなくヒョイと顔を出してくれることが希にある。

※次回に「立ち止まる言葉【広告で知る家族状況】」掲載予定。


画像は原民喜 。こんな風貌だろうなあと思っていた 「団地ともお」(2015.8.14NHKで放送)のことを本ブログ(「腹ペコ日記」の欄外)に書いていた。5年前のことなんだなあ。

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立ち止まる言葉【芸としての】

2020年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム

・反省すべきは反省して改善につとめて参りますことをお誓い申しあげます。
・あらためて調査を指示することは考えていない。
・誤解が生じるならお詫びのうえ訂正する。
・適切な時期を見てしっかり説明させていただく。
・捜査に支障をきたしてはならないので説明は控えさせていただく。


こかで聞いたと思うのは、何度も同じ言葉を聞かされているから。上3つは政権トップの中身も心もない言葉。上がこうだから、公職選挙法違反濃厚な議員(上はもっと濃厚)も下2つの言葉で庶民を馬鹿にする。この議員たちは、庶民の怒り→あきらめ→なんでもいいわ、に持っていく優れた芸と思っているはず。芸の評価点の政権支持率がちっとも下がらないからしてやったりだろう。

念なのは、言葉ひとつで笑わせる専門家の芸人が、巷にこれだけ流布している言葉を使って笑わせてくれないこと。芸として悪政を笑う道具にできないことだ。「間違いはふるさとだ。誰にでもある」、「もう誰かのせいにするのはやめよう」、「できないときは、できないと言おう」のツッコミは、悪い政治家が庶民に「そういうことだからご勘弁を」という居直りそのものだが、庶民の側が上手く使えば相当笑える。政治と関係ない話ほど笑いにもって行ける。ママヨさんに叱られたら、使ってみたいが、もっと叱られるだろうなあ。

風立男氏のこの考えが、間違いだと思う方がいるのであれば、お詫びのうえ訂正させていただきたい。また、今後は丁寧な説明に心がけていきたいとお誓い申しあげます。

※次回は「立ち止まる言葉(センター試験から)」

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言葉のケイコ【その拾柒(じゅうしち)】

2020年01月21日 | 【保管】言葉のケイコ

ケイコカヨコ

 

ヨコの話をしよう。カヨコは私の数少ない友だちの一人だ。大学時代に出会い、「スイカ」をきっかけとして急速に仲良くなる。出会いから25年。旅行にもたくさん行った。ただここ何年かはお互い忙しかったり子育てに追われたりして、会えないことの方が多い。そんな日々を経て、この冬何年かぶりに二人で旅行に行くことに。カヨコは札幌在住。まだ小さい子どももいるので、行き先は小樽にした。待ち合わせ時間をお互い勘違いしたものの無事に合流し、出発。黙っていても何時間でも一緒にいられる仲ではあるが、話すことが山のようにあるため会話は尽きない。長い付き合いだからそりゃあ居心地はいいし、ストレスになるようなこともない。それは「気を遣わない」からではない。「自然と気を遣うことができる」からだ。

イコとカヨコは性格的には全然似ていない。お互いに腹が立つこともある。それを理解し合った上で、私たちは今でも友だちとして一緒にいる。心地よい距離感を身につけて。毎日大学で顔をつきあわせていた頃も、半年に一度会えるかどうかになった今も、私とカヨコの関係は全く変わっていない。深まることも、浅くなることもない。お金をためて、60歳になったら二人でクルーズ旅をしようと約束した。ケイコは国内がいいと言い、カヨコはエーゲ海がいいいと言う。結局小樽で温泉に入っているかもしれないが、とりあえず楽しい時間であることだけは間違いない。


【波風氏談】ケイコさんからブログ記事送ってもらい、「肩の力が抜けたように、読みやすく魅力的」みたいな返信する。コメさんもだが、最初の頃と違う。偉そうにそんなことを言う波風氏は「最初の頃の緊張感必要」と殊勝なことを思う お年玉つき年賀状で3等11枚当たる。へーって喜ぶ。

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コメの学習帳24頁目

2020年01月20日 | 【保管】こめの学習帳

「暮らす」論への研究ノート(1)

この週末「最後のセンター試験」が行われた。試験内容を見ると、自分が受験した頃とは傾向が違っていたりして面白い。解ける気はしない。試験と言えば「直前になると部屋の片づけをしたくなる」はよくある話だが、それは集中するために余計な情報を遮断(片付け)するためだと聞いた。自分にとってはタイムリーな話だ。

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昨年の6月ごろに、諸般の事情により町内に引越した。相方さんが置いて行かざるを得なかった物が大量にあり、一人で住むには大きいが荷物を置くにはやや狭いアパートだ。収納に入りきらないので、リビング等に段ボールが積まれている。だから自分には不要なものが常に視界に入り、そのたびに思考が途切れる。新しい家の住み心地は良いのだが、何となく暮らすことに集中できていない気がする。

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「暮らす」は2年半前に「試論」としつつ何も言えていない記事を投稿させていただいたが、まだ進歩はない。かたちばかりにこだわっていて、どう暮らしたいのかを突き詰めていないような気がするのが原因かもしれない。自分がどう暮らしたいかより、どういう生活をするのが「カッコイイのか」を考えている気がするのである。(次回に続く)


【波風氏談】このブログ読者の方々はとっくにご存知だと思うが、『こめの学習帳』と『言葉のケイコ』の執筆者は、それぞれコメさん(男性)とケイコさん(女性)。本日のイラストは、懐かしい『ハラペコ日記』から

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たちつの手紙【老人の主張】

2020年01月19日 | 老人の主張

お礼などはハガキで出す。自作のイラスト載せた絵はがきを選び、差出人の住所と氏名のゴム印押し、万年筆で宛先を書く。ここを色鉛筆で区切り、文面部分を確保する。この線、冬は緑、秋は茶色、夏は空色、春は黄緑色。ここまで来たら一気に文面埋める。躊躇すると出したくなくなる。消費税のせいで以前の切手に1円、2円分貼り増し必要でこのベタベタ感が嫌だ。

                  

手紙・ハガキは、還暦の少し前からだ。電話のお礼を失礼に思うようになり、メールは仕事上では便利だがプライベートではどうもなあ。ここらは、老境に入って確信となり、面倒だと思わない。波風家を巡る方々もそこらをわかってくれると勝手に理解している。波風氏と同じ世間との付き合い方なのか、時代がそうなのかは知らないが良い風潮だ。(このへんの心境を随分前にこのブログのどこかに書いた。今回、探せなかった)

                  

お便りを郵便ポストに出しに行く。しめくくりの仕事だが、車で出しに行ったり、ママヨさんに頼んだら「負け」、歩いて出して「勝ち」。遠いところで出したら「大勝ち」(笑)。老人のお便り交換は健康と直結している。『人生フルーツ』の津端修一さんが毎日のようにハガキを自転車で出しに行くのを思い出す。


『人生フルーツ』のご夫妻もナレーターの樹木希林さんも鬼籍に入られた。詳しくは知らないが見事な方々 「頼まれてもそれは私にはできません」「大事なことから逃げないで立ち向かって下さい」と、若い人が恩人に勇気をふり絞って話をしたと言う。その話、波風氏も大いに考えさせられた画像は6年前のイラスト。当時、ハガキや封書の切手代はいくらだったのだろうか。もう思い出せない。

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