波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

武田百合子さんを読む。

2020年01月16日 | 読書

 

 

書館から『武田百合子対談集』(中央公論新社)借りて読む。定年退職直後に読んだ『富士日記』(中公文庫・上中下)がとにかく面白かった。再就職という予想外の人生選択してしまったが、満を持して暮らし方に興味・関心・意欲を持っていた時期。日々の些細な出来事や身近な人々への痛烈な感覚、生き生きした言葉に目を見張った。今回、この日記の出発点や背景を打者に語り興味深く読んだ。知的さ可愛らしさ、したたかさ、再確認。


々に、この著者のを読む。飽きず再読に耐える。この対談集も初版発行が昨年秋で、『富士日記を読む』(中央公論新社編)というのも同時期刊行され、根強いファンがいてその裾野が途切れないのを知る。
かたや、「戦後文学」なるくくりは今や本好き老人の記憶にしか存在しない。開高健や安岡章太郎らの比較的知られた本も探すとなると意外に苦労し、大江健三郎も例外では無い。『純文学』は『純喫茶』以上に死語、読む人がいないのだ。なんとか文学賞でやっと息ついでる感の出版業界。


田百合子さん(氏でも呼び捨てでもなく、この敬称が一番ふさわしい)を、本好きな方々に紹介してきたが、読んだという話は聞かない。『富士日記』は富士の裾野の暮らしの記録だし、昔の『日記』が面白いはずがない、と思うのが普通だ。
ママヨさんが、立男君があんまり言うから手には取ってくれた。未だ感想を聞いたことはない。昨日何か読みながらクスクス笑っているので覗いたら『日日雑記』だった。


草創期のアニメ『空飛ぶ幽霊船』(1969年:東映動画)見る。子ども向けとは思えない、今の世相に直結する社会批判と半世紀前(波風立男君、高3時代)の動画技術に驚く公式裏ブログ『芸に笑う』で更新。

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言葉のケイコ【その拾陸(じゅうろく)】

2020年01月14日 | 【保管】言葉のケイコ

大きなトランク


久しぶりに友人に会うべく、実家のある旭川から札幌へ列車で向かう。正月休み終盤だったこともあり、始発の旭川から相当な混み具合。一人でも多くの人に席をと、車掌さんが声をかけている。見ると前方の席に、大きなトランクケースで座席を塞いでいる青年が。どうするのかと思っていると、まず座席の上の荷棚へ。しかし大きすぎて不安定。それでもデッキに置くのは不安なのか、荷棚から下ろした後自分の足元に横にして置く。横の座席の足元に少しかかるものの、かろうじて座れるスペースはできた。そうして一段落したとはいえ、なんだか気になってしまうもの。そんな折、荷物をたくさん抱えたご婦人が乗車した。他の席がおおむね埋まっていたため、その席へ。いかにも大変そうだったので、これは席を替わってあげるべきかしらと思案していると、そのご婦人が青年に話しかけた。「ずいぶん大きなトランクねぇ」と。話しかけられた青年は、場所をとっていることを謝るが、ご婦人は明るく会話を続ける。そして、最後にこう言った。「大きなトランクに入っているのは荷物だけじゃないものね。思い出もたくさんつまっているんだものね」

青年だけではない。その場にいた誰もがご婦人の言葉にはっとさせられたと思う。邪魔にならないよう、もちろん公共の場では気を遣わなくてはいけない。けれどご婦人のように考えられたら、もっと世界は明るくなるのでは。私の荷物の中に素敵な思い出が加わった車中にてそう思う。

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BAR船木の記憶

2020年01月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 

時代がかったスナックやだいぶ前に閉じたクラブの並ぶバス通り沿いのビル。その古ぼけた建物1階に延びた、人一人が歩けるぐらいの秘密めいた通路。この隠れ家は何だろうと覗く先に、目を凝らして判読できる「BAR 船木」の光看板。
当地の人でも、「この街にBARなんかあったかな?」といぶかしげに立ち止まるに違いない。2012年秋に開店し2019年12月末に閉店。静かに始まりそっと終わった幻のような店。知っている者にはあまりに突然な話だが、もはや忘れられない思い出。

           

7年前の春に「先生、ここで店をやろうと思っています」と伝えに来てくれて、昨年秋に「請われて(修行した)金沢に戻ります」とあいさつを受けた。店を開いてお客さんが来てくれなかった日が一度も無かったのが自慢ですと言って笑った。開店時から、時々描くイラストを絵ハガキにして送った。酒棚の隅にそっと飾ってくれていた。

                        

船木のバーは、波風氏の知人に好かれていた。出しゃばらずひけらかさず、お客さんの必要な時に必要な話をする店主。顰蹙を買う客に帰ってもらったことが2度ほどあったと、自分が悪いことをしたかのように言っていた。SNSに全く無縁、口コミだけでお客さんが来てくれていた店。いつも静かで落ち着いた空気が流れていた。きちんと努力して評価され自信をつけた船木の店、寂しくなったが、心からおめでとう、よくやったねと思う。

・・・・・・・■関連するブログ記事■・・・・・・・・・・・・
友人はバーにいる(2013.6.9「波風食堂、準備中です」から)
BAR船木(2016.2.14「波風食堂、準備中です」から)

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コメの学習帳23頁目

2020年01月11日 | 【保管】こめの学習帳

何だか象徴的だな

ある時に目撃したシーン。小学校1年生の女の子が、母親に付き添われて建物に入ってくる。女の子は玄関で靴を脱ぐ。すかさず母親が靴を玄関に入れる。女の子は袋から上靴を取り出そうとするがうまくいかず、片方の靴が床に転がる。母親はすかさず靴を置きなおす。上靴を履き終わり女の子が離れた後も、母親は女の子を心配そうに見ている。詳しい事情が分からないので踏み込んだことは書けないのだが、そこだけ切り取った時に、「何だか象徴的だな」と感じた。

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香川県議会が、子ども(18歳未満)の子どものスマホやゲーム機の使用を平日は1日60分、休日は90分までにする条例の素案を、全国で初めてまとめたらしい。努力義務で罰則はなし。ネット・ゲーム依存症への対策が本旨。スティーブ・ジョブズは自分の子どもたちに対してiPhone等を使う事を厳しく制限していたと聞くし、対策すべきということは理解できる。一方で、賛否や効果の程はともかく、これも「何だか象徴的だな」と感じるのだ。

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表面的(他者から見て観察できる状況)にかたちを整えることが重視されている気がする。かたちを整えることで内実につながることもあるが、その場合は前提としてかたちの先に内実を求めている。そうではなく、かたちを整えて終わりになっているような感覚があるのだ。大学で学生が教員を刃物で刺したというニュースがあったが、これに対して「学生は教員を刺してはいけない」とか「学生は研究室に刃物を持ち込んではいけない」というルールを作ることはないだろう。重要なのは学生と教員との関係性だと分かるからだ。内実を求めずにかたちを必死で整えることの先には、冒頭の女の子の無表情な顔があるんじゃないかなぁと思うのだ。


【波風氏談】昨日来宅された方が言っていた。毎年の年賀状に、大人になった子どもさんのことを書いてくる知人に、「親からもう解放してあげても良いのではないですか」と年賀状に書いたと。その知人から波風氏も賀状いただいているが、何となく感じていた違和感はそういうことだったんだ。

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コンパスの針の話

2020年01月08日 | 読書

昨年発行『井上ひさしベストエッセイ』(井上ゆり編:ちくま文庫)、西日を避けたり、うつらうつらして本を3回落として読む電車内の8時間。編者の井上夫人の「全部面白いのに・・・一部しか紹介できないのが残念」に納得。これでもかこれでもかの言語感覚と普遍的な価値観に圧倒され続ける。皮膚感覚で迫る文章に触れ、身近で優しく真っ当な言葉に包まれる幸福感。覚醒中は、夢中で読む。

 

12歳の時、初めて買った本『坊ちゃん』、17歳の『死者のおごり・奇妙な仕事』、30歳の『吉里吉里人』、40歳の『羊の歌』。60歳定年退職の少し前、老後はこの4人を読んでやろうと決めた。読書の定点を固定しておけば、ぶれない円を描ける道理。楽しいだけの消費的読書は飽き、流行を追うのは疲れる。コンパスの針の方をしっかりさせて、取り替え可能な芯の方も楽しめば良いだろう。

 

この読書方法で一番手にしやすいのが井上ひさし氏。なるほど現代のプロレタリア文学。だがそのため、一番読んでない。難しいのは加藤周一氏。死ぬまでに『文学史序論』ぐらいをちゃんと読み終えたら自分で自分を褒めたい(笑)。その中間ぐらいの難解さの大江健三郎氏、『燃え上がる緑の樹』(全3巻)の現在3巻目。「わからなくてもいいや」を連発し、それでも飛ばさず読み、ウーム何を言いたいのかと考える壮大なメルヘン。『針』だけに鋭いが理解の膜は突き破ってくれずヒリヒリする感覚だけ続いている。こういう本を開いていると、詩や哲学も易しく感じ、無性に絵や工作もしたくなる。

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