正しく醜い愛のかたち
「愛情を証明するためには、何を捧げればいいいのだろうか?」
これは、沼田まほかる氏の『彼女がその名を知らない鳥たち』の帯に書かれている一文だ。いつまでも過去の男を忘れられない壊れかけた女と、うだつのあがらない中年男の物語。読んでいるとただひたすらに苦しい。登場人物の誰もが、真っ当な人間ではない。人間として正しく醜い。「これを読んでいるおまえはそんなにも綺麗な人間なのか」と問いかけられているような、締め上げられんばかりの苦しさで窒息しそうになる。そんな小説だ。最後まで読むと、帯の一文の意味が重くのしかかってくる。愛が欲しいと訴え続ける相手に、どうすれば愛情を証明できるのか。どんな言葉も行動も、相手が信じなければそれは愛情の証明にならない。これは裏を返せば、どこからどう見ても自分を愛してくれているとわかっているのになぜ人は信じられないのかということだ。わかっていて見ないふりをして。受けて当たり前の愛情を、ありがたがることはない。そのくせいつまでも愛されたいともがく。この醜さこそが人間なのだと、否応なしにつきつけてくる。
何をもって満ち足りるというのか。そんな答えはきっと出ない。何を捧げられても、それが証明にはならないと感じる人間もいる。それでも向き合い続けることが生きていくということなんだと、私はこの一冊に教えられた。