ずうっと前に美術雑誌で見た絵。マッチ棒みたいな薪が、小さな花畑を囲むように丸く置かれ、それを見つめる赤い馬たち、透明な炎が宙に浮かんでいるように思えた忘れられない絵。よく見ると、手を繋いで踊っている人たち。山口薫(1907~1968年)『おぼろ月に輪舞する子供たち』。
随分と時間経ったが、絵と画帳の余白に残された詩が載る『独りの時間』(山口薫/絵と詩:九龍堂)手に入れる。実物を見てないから何とも言えないが、どこか遠くに連れて行かれそう。淡くて弱そうな線と色なのに、普段は意識しないがきっとどこかある確かなものを感じさせる。安心できない世界をどうしてこんなふうに確信を持って描けるのだろう。この素朴で静かな祭りの絵が作者最後の作品。
私はどこかに自分の本心をかくしておきたいし
またそれは果たそうと思っても果たされない
詩らしきものが先に生まれ
絵があとに続くときもある
「さびしさ」
みんなやっているのだ
最後の日まで
「絵は詩なんだよ」と教えてくれた人がいた。「詩を感じない絵に意味は無い」とも。61枚の絵と400編の詩の画文集を開きながら、絵そのものの詩、詩そのものの絵、そんな言葉が浮かんだ。
一昨日、テレビで映画『時をかける少女』初めて見る。女優の愛らしさを「これでどうだ!」と大林監督が迫りに迫った作品。その点、チャン・イーモウ監督『初恋の来た道』のチャン・ツィイーも同じ 公式裏ブログを「ごんぎつね先生の礼状」で更新