波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

獅子唐を描く

2020年08月19日 | 図工・調理

夏休みの間に育った獅子唐。描かなければ、描かなければと思っているうちに実がどんどん固くなってきた。昨日の午後、やっと描き始めたら雨が降ってきたので波風食堂に持ち込んで描いた。白い花と緑の実と葉の光と影が面白い。エンドウ豆を描いた時、全体でなく描きたいものだけ描けば良いんだと思った。もう少し続く『緑』を夏のうちに急いで味わった感じ。スケッチブックに鉛筆(7B)、色鉛筆、クレパス。細かなところはパソコン処理。

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言葉のケイコ【その四十柒】

2020年08月18日 | 【保管】言葉のケイコ

 

すいか

おじいちゃん子だった。市内にある祖父の家にしょっちゅう行っては、祖父に存分に甘やかされて育った幼少期。そんな祖父は夏になると必ずすいかを丸ごと買う。遊びに行くといつでも。時には2玉も3玉も買う。祖父もすいかが好きだったからなのだが、必ず「ケイコのために」と買ってくれた。なので私の子どもの頃の夏の思い出には必ずすいかが登場する。大きくて丸い、真っ赤で甘いすいか。私がたくさん頬張るのを、嬉しそうに見つめていた祖父の眼差しとともに、忘れられない夏の思い出。それなのにいつしか大人になった私は、すいかを食べなくなった。丸ごとのすいかを買っても食べきれない。カットしてあるやつも売っているが、そうまでして食べることはない。すいかは好きだけど、私の生活からはすいかは遠ざかってしまった。ダイエット中だし、ともちゃんはすいかを食べないし、とか色々買わない理由を思い浮かべてはっと気づく。私の中ですいかは、祖父が買ってくれて祖父と一緒に食べるもの。祖父の優しい笑顔があっての、すいか。

きっと祖父はいつだって私のそばにいてくれる。可愛い孫と曾孫を見守ってくれている。亡くなって十数年たっていても、思い出すだけで涙が出てくる私には、まだすいかは買えそうにない。舌が覚えている甘いすいかの味を恋しく思うことがあっても、きっとあのときの光景をこえることはできないから。


【波風氏談】子どもだちが家を出てから、丸ごとスイカもカットされたスイカも買ったことがない。スイカは家族が笑いながら熱中して食べた思い出の果実。その前は、祖父さんのスイカ畑で実った重たい奴を土産にもらって嬉しいけれど満員のバスに乗って運び難渋した思い出。

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『ミナを着て旅に出よう』を読む。

2020年08月17日 | 読書

優れたデザイナーの言葉は、それまで上手く言い表せなかったり理解できなかった気持ちを非常に気分良く整理してくれる。想像力とか表現力とは言葉の力のことだが、デザインという意志伝達装置は作者の言語能力・言語感覚以上のことは出来ないことをはっきりと教えてくれる。
そんなことを思った染色家、建築家、グラフィックデザイナー、家具デザイナーの著書は昔から波風家持ち出し禁止本。波風氏の秘密を握られているような気分して他人に観られるのは嫌なのだ(笑)。

 

ミナを着て旅に出よう』(皆川明著・文春文庫)の著者は、オリジナルの布から作り上げる「唯一無二」の服飾デザイナー。先々週のTV日曜美術館「デザイナー 皆川明100年つづく人生(デザイン)のために」で服も作家も強く印象に残ったからすぐ著作を読んだ。感覚的だが、「不完全な美しさは一朝一夕ではできない。不完全さにこだわってきたのはより命を持った物質にしたいから。命は不完全でそれが生きている証拠だから。手抜きの不完全さで無く、やりきった上でにじみ出てくる不完全さ」みたいな箇所で考え込む。布を飾るシンプルなデザイン、リアルでない記憶みたいな文様を見ながら、なるほどこういうふうにしか言えないよなあと思う。
この本には、育った環境、服作りの歩みが書かれている。薄い文庫本だが人・こと・ものが要領よく収まっている。心に残ったのは、「100年後に存在するため・・・・命と同じで・・・・・(自分自身が)終わらないといけない」という創業者の責務と覚悟に静かに触れていること。TVで観た非常に謙虚な佇まいとあわせて、『皆川明』の自己表現・自己管理の見事さを感じた。


皆川氏の服飾ブランド名「ミナ ペルホネン」のミナは私、ペルホネンはフィンランド語の蝶。この本を読んでいた時に、庭の白百合に黒揚羽蝶が止まった。その顛末は昨日の公式裏ブログ「花と蝶」で 昨日と今日、往復3500歩のポストまで手紙を出しに行く。道端に蘭科の「ネジ花」見つけ採取。雑草だが可憐。庭に移植言葉のケイコ 四十」を所定の8/11に移動しました。明日47号UP予定。

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坂川栄二氏の訃報

2020年08月14日 | 読書

 

今朝の新聞で、『遠別少年 13のストーリーズ』(光文社文庫)の著者・坂川栄二氏が亡くなったのを知った。10年以上前、同年齢で遠別出身でデザイナーということもありこの本を読んだ。急にまた読みたくなり本棚を探したが見つからず先月購入したばかりだった。北国で育った思い出をしみじみとした感性で紡ぎ心安らぐ味わいがあった。日本を代表する装丁家らしいがデザインの根底に芳醇な言葉の貯水池があると感じていた。

昨日、訪ねて来た知人に自分もそう遠くないうちに逝くかもしれないなあ、なんて話をしたら「そんなことは言わない方がいいよ」と言われて、そうなのかなあと一日中思っていた。そんなこともあり、一冊の本を読んだだけの人物だが、68歳の死は人ごととは思えず、前よりも身近に思えた。活字の「68歳」があまりに軽く小さな数字だとも思った。
前は、『遠別少年』という題名に少年時代との惜別を思ったが、今はそれとは違うものを思う。。1952年に生まれた北国の子どもが共通体験する、思わず笑ってしまう思い出を、言葉でデザインに昇華したような小説を、今日は静かに読んでみることにしよう。


公式裏ブログを『顔で遊ぶ』で更新しました 言葉を丁寧に使う2冊の小さな本を読んだ。洋服デザイナの体験・思いと小説家の社会批評。すっきりする暑いときに6月に作った梅エキスを炭酸で割って飲む。今年は減りが遅い今日で町内会のゴミ当番終わる。ひどい始末の人もいるものだなあ。

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雨だから 『クレパス』入れる道具箱つくる。

2020年08月11日 | 図工・調理

画材『クレパス』入れる道具箱作る。雨降って時間ができたからだが、タラコ入っていた木箱とソーメンの木箱に入れ、使う度に2階から下ろしたりベランダに出したり面倒この上なかった。ひっくり返して慌てたこともあった。

ぬめっとした感じや少しかすれた手触り、混色の風合いを出したくてこの画材使う。鉛筆との相性も良い。油絵の具を使えば良いのだが扱いが面倒で、絵の具の時はアクリルになってしまった。

2つの箱をすっぽりと包む道具箱。開く上蓋にしたので、箱2つ並べる必要が無くなった。上にはよく使う青・緑・赤・無彩色の色違いを入れ、下に24色入れている。
側面と上下の板は『アトリエ華』の孝子さんからいただいた雛人形を飾っていた古材。使い込まれた道具箱みたくなり落ち着く。


8/6ブログ「黄色い花  描く」で、ハンゴン草を贈ったのは北村の兄ちゃんではなく、淳の友だちの正吉が螢に贈ったんですよ(後に結婚)と、ママヨさんから間違いを指摘されました。慎んでお詫び申し上げます。

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