波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

言葉のケイコ【その四十陸】

2020年08月11日 | 【保管】言葉のケイコ

私の夏 自粛の夏

悩んで悩んで、家族で話し合って、今年の夏は実家に帰省しないことにした。県をまたぐという訳ではないし、周囲で感染者数が増えているという状況でもない。気をつけさえすれば、たぶん大丈夫だろうとも思う。けれど、心の隅で絶えず万が一のことを考えてしまう以上、心から楽しめる帰省にはならない。そう思って決断した。息子のともちゃんが、「じいじとばあばに何かあったら困る」と言ってくれたのも大きい。自分は若いから大丈夫かもしれないけれど、自分のせいで何かあってはいけないと。優しい我が子の言葉の重みを感じながら、夏の帰省を諦めた。それを伝えるべく久しぶりに実家に電話をする。父はがっかりし、母はこちらの意を汲んで穏やかに受け入れてくれた。ゴールデンウィークの頃は、夏になったら大丈夫だろうと思っていた。それが叶わなくなった今、じゃあ冬には必ず、と言えない世界になってしまった。「仕方ないよね」がこんなにも口癖になる日々を送ることになるなんて、数ヶ月前では考えられなかったのに。

それでも、悪いことばかりではない。久しぶりに両親の声を聞き、がっかりした声も明るい声も聞いて改めて気づいたこと。私は母親でもあるが、やっぱり娘なのだ。日常を過ごす中でそんなことを意識することもなくなっていた今、私は娘なのだと実感できたことが、なんだか泣けるほど嬉しい。


 【波風氏談】先週土曜日に配信した本ブログ記事を所定の火曜日に移動しました。

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波風新聞9号 発刊しました。

2020年08月09日 | 図工・調理

遅ればせながら「波風新聞 9号」発刊。いつもながらほぼ既出のブログ記事が元ネタだが、『波風氏はどう生きるか』(1面)は書き下ろし記事。「2つの大事なこと」と「死について」書いた。この画面では雰囲気しか伝えられないが波風食堂で無料配付中。

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配偶者の呼び方

2020年08月08日 | 日記・エッセイ・コラム

の配偶者をどう書くかで迷っていたら、今朝の新聞(8/8朝日 オピニオン欄)に『配偶者 どう呼びますか』の特集。編集者と政治家と翻訳家が、夫、主人、旦那、ダンナ、妻、家内などを挙げている。別欄の調査結果で親しい人向けとして、お父さん、お母さん、パパ、ママもあった。だが、どれも第三者にも当事者にも適した呼称とは今ひとつ思えなかった。家父長制や男尊女卑の匂いするのは敬遠したいし、カジュアル過ぎるのもどうかと思う。サイトにあった夫君(ふくん)や「ご夫君」もどうもなあ。

こういう時のママヨさん、のつもりで聞いたら「それは『連れ合い』ですね」の一発回答。ほ~っと思った。辞書で調べたら、性別無関係であり旅を一緒に過ごす間柄でも使うと書いてあった。第三者にも使えるし、波風氏とママヨさんの「つかず離れず互いに自立をめざしたい関係」にもピッタリだと思った。波風氏はママヨさんのことを外では「うちの奴」(酷いね)とか「妻」(かしこまる場所で)と呼んでいるが今ひとつしっくりしていなかった。ママヨさんは「波風が」とか「うちの人」と呼ぶらしい。こんな基本的なことも曖昧にして結構長く暮らしてきたんだなあと思った。同意の「連れ添い」は主従を感じるし「連れション」にも通じそうで使わない。


長く雨にあたり萎れて地面に突っ伏して小花がすっくりと立ち上がっている晴れの今日。これを記念し気分良くトイレ掃除する朝  

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黄色い花 描く

2020年08月06日 | 図工・調理

家で花畑の花描く。小雨の中でも元気良い黄色い花。反魂草(ハンゴンソウ)の仲間、アラゲ反魂草。TVドラマ『北の国』からで、お金のない北村の兄ちゃん(岩城滉一)が、「百万本の薔薇」の代わりに家の周りの黄色い菊科の花を刈り取ってダンボールに箱詰めし求愛メッセージのつもりで送ったのがこれ。
波風家では、知人から何の種かも知らないでもらい、バケツに植えて「こんな花が咲くんだ。そこらに咲いている黄色い花に似ているなあ」とわかった花。ハンゴンソウは背が高く、波風家のは低いから観賞用に育てられたのだろう。とても丈夫で逞しい感じ。

最初の1枚は鉛筆で写実的に描き、次に筆ペンで白黒の調子でさっさと描き、最後に色鉛筆と黒インク使い「自分がいちばん落ち着く感じ」で描いてパソコンで処理。画像は3枚目のもの。デザイン化しても細部に注意しておかないと訳が分からなくなる。書は人柄が出ると言われるが、波風氏のイラストにはどんな人柄が表れているのだろうなあ。
明日は大雨。先月末に出せなかった「波風新聞」作成予定日。

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言葉のケイコ【その四十伍】

2020年08月04日 | 【保管】言葉のケイコ

日常は愛に満ちている

ある日のこと。ともちゃんと私は夕食時に、ある子ども向けのアニメを観ていた。その中で男の子のお母さんが、「女の子はいいわねぇ」と言う場面が。もちろん、我が子への愛情が根底にあるからこそ出てくる言葉だろうとは思う。私も男の子の親だが、女の子がいたらどうだったろうと考えないこともない。けれどそれを口に出す前に、自然と言葉が出ていた。「私は、男の子とか女の子とかじゃなく、ともちゃんが私の子どもでよかったと思う」と。ともちゃんはそれに対して、少しだけ冗談っぽく「俺、優しいもんね」と返してきたので、「そうだね。本当にそうだ」と頷いた。この会話はこれで終了。再び食事に戻る。改めて我が子は可愛いと実感する瞬間。私はたまにこうして愛情表現をしては、上手に返せた息子に満足する。そして、思い出してはふふふと笑う。ともちゃんにとってはすぐに忘れてしまうやり取りだろうが、私からの愛情は確実に残り続ける。自分は愛されていないかもだなんて、考える隙間を生まないように。

葉にすることで伝わるなら、それを惜しむことはもったいない。褒めたり好意を伝えたりすることは、照れくさいし難しいときもあるけれど、こういう不安定な時代だからこそ伝えることが大切だと私は信じている。とはいえ私も、じゃあパパには?と言われると笑って誤魔化すしかない。ともちゃんは、パパに勝ってると思うのも嬉しいようだからまぁいいかな(笑)。

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