旭川で買った『炉辺の風おと』(梨木香歩著:毎日新聞出版)をじっくり読む。読む量が一日10頁に満たなかったのは家事の隙間で開くからだが、「器用でもなく、意識をある深さに集中させる職人的な姿勢」(本書あとがき)で作られた文書を味わいたいからだ。『西の魔女が死んだ』の作者が、「人生の終焉近くなって、結局何がしたかったのかと問われれば『山の深みに届いた生活』と、心の中であこがれを込め、呟くだろう」と、八ヶ岳で山小屋暮らしを始めたことを「そうなんだ」と思って読んだ。
立ち止まるのは『言葉』について言及しているところだ。言葉への強い信頼と軽んじる者への痛烈な批判は、根本的な人間らしさを吟味する切れ味がある。山小屋暮らしの「もの」や「自然」にしても情緒的感傷から遠く、「他の誰でも無い、自分の生を生きていく」という姿勢で引き受けている。『家守奇譚』が良かったから続編の『冬虫夏草』も読み始めた。『僕は、そして僕たちはどう生きるか』も読んだらいいですよとママヨさんが言っていた。言葉は世界を分かりやすく楽しくしてくれると思って読んだ。
著者は必要最小限しか家族を語らない。どういう人生を歩まれたのかわからない。還暦直後の一人住まいの山小屋暮らしは想像するだけで孤独に思うが、それを人生でやっと獲得した豊かさと考える著者。こうした暮らしから発せられる言葉は聴くに値すると波風氏は思う。読み終えてから、また暮らしを大事にしている女性の発言者の随筆を手に取った。(続く)