波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

続 10月初旬の暮らし

2020年10月04日 | 日記・エッセイ・コラム

 

しぶり快晴の一日。終わり迎えたピーマンやシシトウ、花植えていた鉢洗い土を天日で干す。畑のバジルを掘り出し水耕栽培の準備。 ゆるい【緩い】を辞書で。①ゆるんで、たるみや隙間がある。締める力が十分でない、②勢いが弱い、穏やかである、③間延びしている、④急速で無い、ゆっくりしている、⑤寛大である、厳しくない、⑥(北海道・東北で)楽で無い、容易でない、⑦濃さの度合いが小さい、水分含んで柔らかい。広辞苑ではすべての語意が老後の肯定的指針、「ゆるゆる」は更にそうで「ゆるゆる波風老後」で行くぜ。づけば女性作家多く読んでいる。静かで確かな主張と平易な文体、世界観に共鳴している。大江健三郎も小説の難解さに比べエッセーは実に優しい(易しいとは違う)。再読の漫画、近藤よう子作『ルームメイート』、『見晴らしガ丘にて』と30年後の続編『見晴らしガ丘にてそれから』で、女の後ろに隠れてる男の末路を思う。関川夏央作・谷口ジロー画『坊ちゃんの時代』、こういう漫画創るプロいてきちんと評価される嬉しさ。 を描く。画像は3枚のうちの1枚。いただく美味しいものは描いて食べて完結。落葉茸は絵にするのが難しい・・・・。

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10月初旬の暮らし

2020年10月03日 | 日記・エッセイ・コラム

 

かにも冷酷・狡猾な新首相のおかげでテレビ観る時間が減った。前首相の脳天気な万能感にはほとほと愛想尽きた7年8ヶ月だったが「顔見ていたら酷薄さが伝染するかもしれない」という感じはしなかったなの分、本を読む。梨木香歩著『炉辺の風おと』、同著者『冬虫夏草』、落合恵子著『明るい覚悟』、大江健三郎著『定義集』未読の残り、ドミニコ・スキラーチェ著『「これから」の時代を生きる君たちへ』(イタリア・ミラノの校長先生からのメッセージ)、ジャガ芋を沢山貰ったこともあり伊丹十三訳『ポテト・ブック』、こういうのを同時進行で読む。1冊に集中しないのが波風式読書スタイル所仕事があらためて面白い。簡単な漬物(塩漬け・味噌漬け・醤油漬け・酢漬け)だったり、台所を「使ったら使う前より整頓清潔」に挑戦。「何をどう作るか」も面白いが、その前後が実は面白い気がする。ここら辺、男の家事の要諦かも(「男の家事」と打ったら「お床の家事」と出てしばし物思いする)紫の花描く。人工的な感じの花だが色にドキリとする。(続く)

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「徒然ね」を思う。

2020年10月01日 | 新聞感想

 

読んでいる本で古くからある「徒然ね」(とぜんね)という東北方言が「寂しい」という意味だと知った。本の著者も、徒然草の「つれづれ」を「手持ち無沙汰、退屈」という意味だと思っていたが(波風氏は疑いも無く国語の授業でそう教えていた)、それだけでなく「寂しい」が古語辞典に確かにあると書いていた。本では、「とぜんね」の「と」は、風景が突然開けて遠くまで見渡せるという感慨が込められて、広々したところに一人立ち尽くす心もとない不安な気持ちだろうとあった。「ね」は強調の接尾語だそうだ。

 

像の新聞コラム(9/30朝日朝刊)を読み、詩「あいたくて」と前述の本の寂しさが浮かんだ。「さみしい」感情が、人生の後半でそれは「全部ひっくるめて『おもしろい』」と思えるようになったと工藤さんは言う。本の方は「孤独であることは、一人を満たし、豊かでもあること。そしてその豊かさは、寂しさに裏打ちされていなければ。それでこその豊穣、冬ごもりの醍醐味」と『炉辺の風おと』で著者の梨木香歩さんかを書いていた。ふーん、そうなのかなあ、と思ったがストンとは落ちない。

 

語辞典で「さみしい」を引くと【寂しい・淋しい】とある。新聞の方は平仮名でどちらかわからず、本の方は「寂しい」だ。意味は同じようだが、寂しいは静かで満たされない情景(そういう心情も含)、淋しいは主観的な感情、そんな感じがする。詩人は過酷な経歴を持つ成功者、小説家も評価の高い表現者だ。尋常じゃ無い寂しさも淋しさも才能と努力の末に手中に収めた豊かさなのだろう。庶民の波風氏に、「さみしさ」の奥にはおもしろいものがあるようだよ、という魔法みたいな言葉の意味は未だよく分からないが、老後人生のどこかで役に立つような気がする。

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