波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

『冬虫夏草』などを読む。

2020年11月21日 | 読書

 

全国あちこちで夏日訪れて暑い暑いというニュースを最近聞いた。当地ではチャンチャンコ着て背丸め石油ストーブで暖取る3連休初日。今月中旬以来、ご飯と読書と睡眠で1日を三分割できる暮らしぶり。

前作の続編『冬虫夏草』(梨木果歩著:新潮社)読み終わる。秋色増す山奥舞台に冒険し、人と人でない者が魂を交感する。前作『家守奇譚』と同じく、語彙の選択といい、文の長さ、文章のリズムが生む香るような文体に魅了される。小説というのは実に面白いウソを本当のことのように書いてあるもの、それだけのことなのに心動かせられるものだなあ。登場人物や話の筋を説明しても何の意味もない。言葉による創造で、豊かな想像を可能にしてくれる一冊。

今週のNHKEテレ『趣味どき!本の道しるべ』で飛田和緒さん(料理家)の本棚に、この梨木さんの2冊の本が並んでいた。好きな本として『富士日記』と絵本『てぶくろ』を紹介していた。ママヨさんと、似たような読書だね、身近な人に思えて来るねと笑った。この絵本は古くなっても捨てられず、身近で『富士日記』読んだ人はママヨさんしかまだ知らない。


怪奇譚という言葉浮かんだらちょうど2年前の今頃、新宿の花園神社と向かいの紀伊国屋書店1階(実に不思議なものを並べて売っている)に漂っていた何とも不穏な空気を思い出した 伊丹十三の本』(新潮社)を真面目に楽しく読む。世の中にはこういう人がいる、花森安治さんとは才能の質が違う破格の人  1パック200円(税抜き)の煮アナゴ、9割がた「安物買いの・・・」と覚悟しながらアナゴ丼作り何と1割の美味当てる。次の日残っていた全部(2パック)を買って来てもらう。

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全くわからない主張

2020年11月19日 | 新聞感想

在、いやずうっと前から、学校で起きている教育問題の解決は『30人学級』実現抜きに語れない。このブログでも繰り返し書いてきた。『いじめ』も虐待も、経済格差も学力差も、先生の数が圧倒的に少ないから子どもに寄り添った支援を難しくしている。外部人材の活用や様々な名称で臨時教員配置が行われてきたが、子どもの現状と切実な願いに正対しない制度だから、問題解決にほど遠い。要するに、教育に金をかけるのか、安上がりにすませるかの選択なのだが既に限界は越えている。教員希望者が減り続け、採用されても続けられないのが今の学校だ。
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の社説(11/18朝日の主張)はいただけない。文科省と財務省の予算綱引きを高見から見物し偉そうに「優先すべきは何か。智恵を絞るときだ。」には怒りさえ覚える。「30人学級のいち早い実現のために優先すべきは何か。智恵を絞るときだ」でなければならない。日本のマスコミの体たらくは想像以上に酷いもんだ。繰り返しになるが、担任も、生徒指導も部活指導も、保護者との連携も法的に保障されている先生の数が、受け持ち児童・生徒が今より少ない担任の先生が必要なのだ。指導内容や指導方法を語り、結局は問題の本質から目をそらさせる話はいい加減にして欲しい。
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生というのは、子どもと親にとって『担任の先生』が最初に頭に浮かぶ。法的にも実際の職務上でも日本の学校教育が長い歴史の上で創造してきた重要な教師観。波風氏自身、合計43年間の教員生活で「俺は先生だった」とモーロクした頭でも子どもたちの顔を思い出せるのは担任時代。教員の誇りは昔だって今だって変わり無いはずで、これを支えようとしない政治にこそ問題がある。


久しぶりの新聞切り抜き感想、そして教育問題。弱い者が居場所失うコロナ禍で、「子どもの幸せ」を願わないならこの国は終わると思う 学校を舞台に子どもた先生が躍動するTVドラマを最近聞かないが。

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言葉のケイコ【その陸拾】

2020年11月17日 | 【保管】言葉のケイコ

 

キメツヲ語ル 

風先生が裏ブログに掲載した「『鬼滅の刃』は読まない。」を面白く読む。私も原作は未読だしアニメも観ていない。ただ、メディアで多く取り上げられているためおおまかな設定や評価はよく目にする。なぜこの作品が社会現象になるほどのブームになっているのか。私も常々興味があったので、少し考えてみた。ブームの外側からはこう見える、という私の個人的な見解だ。

人公炭治郎が戦う理由。それは、鬼になった妹を人間に戻すため。もともと炭治郎は心優しく、争いを好まない。だが、戦わなければ妹を救えない。家族を失った悲しみを越えて、せめて生き残った妹は必ず自分の手で守ろうとする。「強くなれる理由」が炭治郎には存在する。自分のためではなく、あくまで誰かのために強くなろうとする炭治郎。この「誰かのために」という献身は、敵である鬼にでさえも惜しみなく与えられる。私は『鬼滅の刃』がこの時代にヒットした理由は、この「鬼」の描かれ方にもあるのだろうと思う。鬼にも物語があり、それは悲しく切なさを伴う。炭治郎は鬼の心にも寄り添う。どこまでも優しく強い炭治郎は、鬼さえも救おうとする。それは、多様性を受け入れなさいという教育を受けてきた現代の若者の心をうまく掴むのではなかろうか。鬼が悪だから倒す、という単純な勧善懲悪ではなく、「救う」手段として力を使う。敵であれ、理解し、寄り添う中で見つかるもの。それが心に響く世代が、SNSなどの手段を有効に使いこのブームを牽引してきたように思う。


【波風氏談】今話題の『鬼滅の刃』、ケイコさんの「なぜ受けるのか」の分析。次回の「下」と合わせて読むと「そういう見方があるよなあ」と思う 今日のブログ記事を送って貰っておいて紛失。添付ファイルを最初にスマホで読み保存したつもりで削除したせいだと思う。スマホ、タブレット、ノートパソコン、PCで探しても後の祭り。ボーッとしている初冬。イラスト画像にさりげなく波風デザイン。

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詩が 記憶に追いつき追い越していく

2020年11月14日 | 日記・エッセイ・コラム

こんな詩を見つけた。
『理想』でだいぶ前の自分を思い、あの人に謝りたい気持ちの今を言い当てられたような気が。不思議に、誰かの高邁な『理想』で傷つけられたことは無い。あるのは、自分より年上の『理想』ある方々からの、本人は少しも悪いと思っていない、暮らしの中の短い言葉ばかりだ。『理想』は人を傷つけないが、『理想』持つ人が無意識に傷つける。他人と自分を。

街で噂のレストランでホットケーキとジュース。母と男の子とその妹の初めての味。色と香りだけでうっとりする積み重なった円盤型のケーキ、その上に溶けたバターとメープルシロップ。学生服を着ていたから中学校入学の日の夕方だった。「家の前を通る中学生を見るたびに、はやく大きくならないかな」と働き続けた母親が無理して連れ出してくれた外食。そのことを家族で「ヨカッタネー」と交わす幸せ。こういう記憶が、老いていく今の私を「未だ楽しいことは残っているよ」と追い抜いていく。


心を喜ばせ静かにさせる詩はいい、杉山平一という詩人 このごろは新聞がちっとも面白くないとママヨさん。同じだと波風氏。本を読み、昔の映画を観る  『モーロクのすすめ -10の指南-』読みクスクス笑う。坪内稔典先生からの「ダンディズムのすすめ」だね、モーロクのレベルが高い。親戚の叔父さんのツブヤキみたい気もして。

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WILD FOX №6/ DEER FIVE

2020年11月12日 | 【協力】Wild foxギャラリ


一度逃げた鹿たちが、好奇心で近寄ってきました。

まるでアイドルグループのよう。

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