波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

WILD WOX №17/獲物を捕らえて

2021年04月16日 | 【協力】Wild foxギャラリ

キツネがカラスを襲うとは聞いたことがなかった。
10数羽のカラスが、キツネの跡を追いかけ続けた。
その姿を撮れなかったことが残念だった。

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言葉のケイコ【その八拾壱】

2021年04月13日 | 【保管】言葉のケイコ

!ダイエッター・ケイ


のダイエッター・ケイコ。カツ丼やら濃厚カルボナーラやらの誘惑には打ち勝てるのに、どうしても甘い物の誘惑にはかなわない。もちろん、ダイエッターとしてのプライド(笑)があるので、10のうち7までは我慢する。ゆえにこの、我慢しない3をいかに充実させるか。何を選んで食べるのか。これに関してはロダンの「考える人」に負けないくらいの真剣さで決める。そんなある日、だったら自分で作っちゃうかと思い立ち、シフォンケーキを作る。小麦粉をおからパウダーに、砂糖をラカントに換え、可能な限り糖類を減らしたシフォンケーキ。お菓子作りは楽しいのだが、手間がかかるため滅多に作らないケコ。だが、これがうまくいけば可能性が広がるぞ!と、いそいそと製作。できあがりはまずまず。改良の余地はあるものの、おおむね満足できる味わいだった。やっぱり自分で手間暇かけたものは美味しい。できあがりまでの過程も含めて、お菓子への愛がないとできないからかも。

さて、ダイエッター・ケイコ。ひとまず甘い物への欲求は収まった、かに思えたが。気づけばテレビのドーナツのCMをぼーっと眺めている。夕方の情報番組のスイーツ特集にうっとりしている。うむむ。相手は手強い。でも負けたら負けたで、敗北を噛み締めながらまた立ち上がればいい。戦いを楽しめ
るようでなければ、とてもじゃないが続けられない。真のダイエッターへののりは、まだ遠いかな。

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『大衆』という言葉を使う人

2021年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

聞に、「僕は大衆を信じている。大衆はいい判断をする」と作詞家・松本隆氏の言葉(4/10朝日の日曜版be)。割合長いインタービュー記事で「大衆」部分を簡単に言うと、売れる詩がよい詩で私のがそれ、芸術が偉くて通俗が低いという「上から目線」が嫌いだから一番下の弱いところから見ないといけない云々。
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風氏は、「この人は、自分を大衆だと思っていないな」と立ち止まった。功成り遂げ中の表現者が、それも言葉の専門家が安易に自分は大衆に支持されていると臆面も無く口にしつつ自画自賛する態度に驚いた。辞書の【大衆=一つの集団としてとらえた多くの人々、権力・財力や特権などを持たないその社会を構成する大多数の人々】(新明解国語辞典)という意味からもこの作詞家と大衆との間には明確な違いがあり、自分の成功の意味あいを立つ位置の違う大衆に求めて自分で自分を褒める姿勢が気持ち悪い(笑)。芸術と大衆を対立的に捉える狭さ・誤りも気になる。この方の詩は今まで好きでも嫌いでもなかった(どうでもいいという意味)のだが・・・・。
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分を大衆という言葉でまとめられたくない波風氏。大衆に「多数という驕り」(オルテガ『大衆の反逆』から)を感じるからで、貴族でない波風氏はその対立にある大衆なのだが認めたくないのだよ。『民衆』というのもどこか下からの権力みたいで気持ちが悪い。うーむ、自らを称するなら『庶民』の端くれだね。実にバラバラで勝手でそう簡単には誰かの言うことなんか聞かない人間たちの一人だね。大衆と庶民、何となく似ているようだけれど違うと思う。


割合に長くブログ書かなかったのは、①図書館に買ってもらった『クララとお日さま』を読み、②波風食堂の清掃・ワックスがけや塗装(何時とも知れない開店の準備)、③中古CDプレイヤーに耽溺していたから 朝3時ごろトイレに起きたら家の前を小鹿がゆっくりと歩いていた、家の近く草原に鹿の大衆(いやファミリー)10頭ほどが草を食んでいた・・・・・鹿と人間がなるようにしかならない具合に春先の共生冬と春の綱引きで昨日と今日は春の勝ち。

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言葉のケイコ【その八拾】

2021年04月06日 | 【保管】言葉のケイコ

 

アザラシのいる風景


「水族館に行こう」とともちゃんに言ったら、案外あっさりとOKがもらえた。もう高校生だから渋られるだろうと思っていたけれど、ともちゃんは相変わらずいい子だなぁ。かくして好天に恵まれた3月最終日、地元の小さな水族館へとドライブ。お目当ては、生まれて間もないゴマフアザラシの赤ちゃ
ん。ケイコはゴマフアザラシが大好き。ケイコの生まれ故郷の動物園は、今でこそ日本一の動物園と言われるほどの施設になったが、ケイコの幼少期は古くて寂れていてなかなかの趣だった。あの頃はゴマフアザラシのプールの前がケイコの指定席。いつまでだって見ていられた。変化もなくひたすらに狭いプールを往復して泳ぐゴマフアザラシを眺めるのが好きだった。もちろん、円柱水槽を泳ぐ姿を見せる展示方法は素晴らしい。初めて見たときは猛烈に感動した。けれど、ケイコはあの小さな頃大好きだった、古い動物園を忘れることはない。三本足のシロクマや、糞を投げつけてくるゴリラも、ケイコの記憶から色あせていくことはない。

ともちゃんとゴマフアザラシの赤ちゃんを見て、「可愛いね」と言い合える幸せ。遠くには行けなくても、私の心を支える風景は確かに存在する。夏は、生まれ故郷の動物園に行けるといいなぁ。そんな話を故郷の母とできることもまた、ケイコを支えてくれる。そのための我慢だと思えば、ステイホーム
にも意味はあるのだ、きっと。


【波風氏談】コロナで外出する時の気持ちが大きく変わった。マスク忘れ一旦しめた鍵を開けて家に戻ることもしばしばある。当地では昨年秋から罹患が止まっているが、その分「自分が今年初」になりたくない気持ちが強い。そんな今の、自由な空気を渇望する気持ち、わかるなあ。

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3月の読書

2021年04月04日 | 読書

図書館に返本する日も来たので、読書記録を残しておく。すべて、同時進行で読んでいるので読み終わるのに時間がかかっている。飽きたり、楽しみで取っておいたりしているが、以下の本は4月発刊の土井さんのを除き、未だ記憶に残っている3月中に読んだもの。

山由佳著『ダブル・ファンタージ』、これでもかのセックス描いて人間の情を感じさせない小説。悲しくなるような貧しいセックスがテーマとも思えないし・・・情緒的な奥行きがこれほど希薄な物語を誰がどんな気持ちで読むのだろう。女性が官能小説書いても珍しくもなんともなく、立原正秋や高橋治の職人的な魂の扱いを思う。同著『約束』もやっぱり薄っぺら、残念。

極寿一著『ゴリラに学ぶ 男らしさ』、前記の小説と同時進行で読んだから、日がな貪欲にセックスの快感を求めるヒトの雌の愚かさを感じたのかもしれない(笑)。霊長類の性と食は本当に大変なものだ。オスもメスも油断なんか少しもできない暮らしだ。それにしても、なぜヒトだけ発情期がいつまでも続くのかなあ。

森陽一・浜矩子著『大借金男 百間と漱石センセイ』、ヒトとモノとカネの関係を人間信頼の一点で縦横無尽に解き明かしてくれる面白さ。お金で苦労した漱石と借金名人の弟子百閒との間の笑ってしまう挿話満載。こうした文学的分析と同時進行で、漱石とウィル性感染症とか。現在のグローバル社会をどう人間的に生き抜いていくか、国家はそのためにどんな責任を担わなければならないかも教えてくれる。

森安治著『見よ ぼくら一銭五厘の旗』(『花森安治選集3』)、ずうっと読みたいと思っていてやっと読むことができた。26頁にわたる散文詩だった。題名は、いわゆる『赤紙』の郵送料から来ているのだが、どこをとっても現在の状況に密着した問題意識で抜群の感受性と洞察力・表現力に感嘆。繰り返し〈庶民〉という言葉が使われそれを愛好する波風氏は心強く思う。先頭「ぼくら せいぜい一銭五厘だった」、文末「ぼくら こんどは後へひかない」。

松栄輔著『災害を考える』(「100分de名著」NHKテキスト)、月曜夜に4回完結の番組で本編は3月放映済。寺田寅彦(天災と日本人)、柳田国男(先祖の話)、セネカ(生の短さについて)、池田晶子(14歳からの哲学)の言葉から、生を脅かす人生の大問題にどう立ち向かうかを考えさせられる。喪失としての『死』をどう受け入れそこからどう再生していくかを、宗教や信仰で無く人間的な生き方として解説してくれたのが嬉しい。長く生きるのは幾たびかの隣人の死を経験することだが、漠然とした悲しみや不安でなく『魂』に対する悠然とした考え方が大事だと思った。

本俊彦著『アルコールとうつ・自殺』、うすうす感じていた人間の身体と依存の関係。この3つが「死のトライアングル」という科学的な分析と説明に身近な方々の顔浮かび愕然とする。知人と話していて寄贈された本。原因も結果も対策も「孤独」を抜きに考えられないとは。コロナ禍で挫折と孤独に陥らざるを得ない状況が悲しくて恐ろしい。

井善晴著『くらしのための料理学』(NHK出版)、料理をするようになり前と違う何かを感じるようになった。その何かを言葉で解き明かしてくれた、調理や料理でなくよくわかる『料理学』の入門書。人間が人間になるために必要だった料理、家庭料理の基本がなぜ『一汁一菜』なのかがよくわかる。料理がちゃんとできると暮らしが大きく変わると思った。こういう本をずうっと探していた。


農水省法案ミスで『一太郎』に濡れ衣、このニュースで希少種(公務員が愛用)のワープロソフトが公務員の頂点・官僚に使われているのが嬉しかった(笑)。波風氏は25年間この国産ソフトを愛用中  波風珈琲をドリップで落とす湯は88.5度が適温だと思うなあ公式裏ブログが連族UPなのはスマホで書いているから。こちらは習慣的に2階にあるPC(画像が入れやすい)なので決意しなければ階段が面倒(笑)。

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