波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

白いコスモスを描く

2023年09月14日 | 図工・調理

道に接した家の前に、余ったコスモスの種を植えておいたら、柔らかな曲線の茎が何本も立ち上がり赤とピンクと白い花が咲いて風に揺れている。波風家のコスモスと朝顔は夏が終わり秋になった頃に咲く。急に絵にしたくなり、工作に使ったダンボ-ルの切れっ端に描いた 手作り時計の型紙作ったので(大量生産が求められる時が来るかも知れない 笑)、工作で使い切った時計ユニットを近所の百均に買いに行く。いつの間にか400円との700円のしかなく、訊ねると「100円では作れないので、だいぶ前から入荷していません」と言われた。別の店に行っても無い。「どうせ・・・」と思いつつ百均界のトップ店に行くと9個もあった。何度も値段を確かめ買い占めた散歩しながら、草取りしながら、、昼寝前うつらうつらしながら、花の絵を描きながら、切れ切れに『欲望』のことを考えていた。ブログに続編を書けそうな感じ少し固まってきた暑中見舞いのハガキ来たので、段ボールに描いた花をプリントして、昆布干しのことや豊作の胡瓜を毎日食べている近況を書いた。来たハガキの字を見ていて、気持ちの良い字を書く人だなあと思った。

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欲望を見つめてみる

2023年09月12日 | 日記・エッセイ・コラム

よくぼう-物質的・肉体的に常により良い状態に自分を置きたいと思い続けてやまない心【新明解】、ほしがること。また、欲しいと思う心。不足を感じてこれを満たそうと望む心【広辞苑】。
辞書の『欲望』は随分マイルドで、ワイルドなイメージと違う。本能の食欲、性欲、睡眠欲は当然として、達成を支える金銭欲、承認欲もOKだよね。欲望、とても良いじゃないか(笑)

欲望実現が波風氏の暮らし方。欲しい物は自分たちで「作って」しまえばなんとかなり、金が必要ならあれば買い無ければあきらめる(我慢とは違うのが成長)。欲しい身体も、やれば作れるのじゃあないかなあ。一番欲しかった「自由になる時間」がスルッと手に入ったので、物質的な欲しいものがどこかへ行っちゃった感じする。

 

若い頃は(と言っても少し前までだが)、金が無くても車が欲しい、家が欲しい、ろくな仕事しなくても評価が欲しい、胃がんになっても旨いもの食べたい、好きなことしかしてないのにのんびりしたい、何となく愛が欲しい(笑)・・・なんて思っていたが、どうして欲しいのか?本当に欲しいものなのか?と聞かれたら、「そういうのを手に入れるのが幸福だから」と思ってきたからだ。人生も後半戦に入ると、こういう欲望を実現する気力や体力は弱くなり、そもそも手に入れてどれほどのものと思うようになった。
では本当の欲望とは・・・・(次回に続く)


画像は、注文で作った段ボール製壁掛け時計。ちゃんと動き思っている以上に正確。この時計、売りに出して当地の子ども食堂応援費にしようかなあ、買ってくれる人いませんか? 『しろいろの街の、その骨の体温の』読む。久しぶりの村田沙耶香作(『コンビニ人間』作者)、心配していたが(笑)読後感が良い大谷さん出ないし、日ハムは負けてばかりだし、バスケットとラグビー期待して見る。手に力入り疲れたがオモシロ―。

 

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『深い河』を読む-の続き

2023年09月09日 | 読書

安心した、この本を読んで。今まで感じたことの無い広くて深い安堵感。父の残したキリスト教と仏教、そして新興宗教にも救いを求めた母。こうした環境は、大人になった波風氏が1つの神、1つの宗教を選択出来ない大きな理由だった。そこから波風氏は、「自分は無神論、無宗教の人間ではないか」と思うことにしていた。だがこの本で、少し違うのではないかと思った。むしろ逆なのかもしれないと。

 

「私はヒンズー教徒そして本能的にすべての宗教が多かれ少なかれ真実だと思う。すべての宗教は同じ神から発している。しかしどの宗教も不完全である。なぜならそれらは不完全な人間によって我々に伝えられてきたからだ」、「さまざまな宗教があるが、それらはみな同一の地点に集まり通じる様々な道・・・同じ目的地に到達する限り、我々がそれぞれ異なった道をたどろうとかまわないではないか・・・・カトリック教徒でありながら隠してヒンズー教の聖なるガンジス河で行き倒れの死者をおくる作業に身を置く主人公(と、波風氏は思う)が、ベットに横たわる前に何度も繰り返し読むガンジーの言葉。
別の登場人物には「宗教でさえ憎みあい、対立して人を殺しあうのだ。そんなものを信頼することはできない」と言わせる。波風氏はこうした言葉を否定するものを何一つ持たない。その通りだ、としか思えない。

 

遠藤周作はこの遺作1冊を、自分が亡くなった時の棺に入れて欲しいと願った。自分の死生観、宗教観を文学として最後に昇華体現できた幸せを思う。
この本にあるのは宗教多元主義というものらしい。波風氏はここに反応した。無神論でなく多神論で良いんだ、そういう宗教選択があるんだ、宗教の決められた様式は承知しながらも、自分が納得する祈りでが良いんだと思った。喪失した心は人それぞれであり、それを埋める営みも当然にそれぞれ。これ、人としての根本的な権利なのだ。題名『深い河』の意味を思った。


 消費的な暮らし方は「とりあえず活字読んで面白ければ役に立てば」の読書になりがち。甘く柔らかいものばかりだと確実に体が弱る画像は外の水甕の上に取り付けた木工作「プールに飛び込む人」。一冬過ぎ枯れた感じが出て来たら完成  公式裏ブログ『波風食堂、準備中です』の閲覧ランキングで「続 波風氏の妹」がこの4年間不動の1位独占していた「サラメシ エンディング曲『ドリーム』」(2019.2.5)を抜いた。妹が知人に知らせ拡散した模様。

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『深い河』を読む

2023年09月07日 | 読書

長編小説深い河』(遠藤周作著:講談社文庫)を読む。きっかけは、先月末のTV番組『こころの時代』が本作を2週(前編/日本人のキリスト教、後編/玉ねぎと宗教の壁)で取り上げ偶然見たからだ。
波風氏はもの心ついた時から、なぜ十字架に張り付けの裸の男が家に祀られ線香もあるのか、我が家の宗教はいったい何なのかを考えてきた。それは、病気の父が死を前にカトリックの洗礼を受け遺言で教会墓地に埋葬され、同時に仏教の波風家代々の墓にも分骨して埋葬したからだが、信仰と宗教と埋葬の疑問はいつしか人生上の問題となりそれは今も続いている。

 

文庫本の表紙(画像)を見て、ほーっと思った。4年前に初めて買った彫刻小作品の作家の『祈り』だったからだ。作品を並べたギャラリーに来ていた作家と話をし、温かい心を感じた。表紙の彫刻にするか手の彫刻にするか迷いママヨさんに決めてもらった。
TVの解説者が若松英輔氏だったことも、ほーっと思った。この人はいつも、心に浮遊したり沈んでしまった言葉にならない思いを、実に的確な言葉で「そういうことなんだよな」と納得させてくれる。
これは読むしかないな、様々な方角から誘われる読書。
届いた文庫本の裏表紙に「・・・本当の愛、それぞれの信じる神。生きること、生かされていることの意味、読む者の心に深く問いかける」とあった。高校時代に熱中した孤狸庵先生シリーズ以来の遠藤文学。(次回に続く)


深い思索が必要な長編小説だと気負ったが、2日で読む。合間に壁掛け時計2つ作りパチンコにも行く。小説家の読ませる腕だね、気にいった推理小説のようにページめくる。深いテーマの投げかけは読み終わって何度も何度も 同時進行で、『日本エッセイ小史』(酒井順子著)、マンガ『枕魚』(panpanya)。これに詩があれば最高だ。本で、思う・考える・感じる世界に浸る。

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サブレーの調理器具 作る

2023年09月02日 | 図工・調理

サブレーの丸い形と、『小鳩サブレー』の形からタネを押し出す器具(というほどのものでもないけれど)。

毎回不便だなあとママヨ社長の脇で調理補助員しながら思っていても終わると忘れてしまう。忘れなかったのは『プールに飛び込む人』を作りながら「何だったかな、木や金物で作っておきたいものがあったはず」と思い出したから。

物を作るのが、楽しいか、面倒くさいかの分かれ目はこんなところにある。熱中して面白がっていると、次の何かを考える習慣ができ、作業開始が億劫にならなくなるね。余計な体重が減ると物理的に腰が軽くなるのも大きい。


考えさせられるだろうな、と思う少し面倒な小説、遠藤周作著『深い河』を読みたいと思った八島太郎作『カラスたろう』を取り上げたTV番組。若かった日に「先生とは何か」を衝撃的に考えさせられた絵本プーチンとゼレンスキーの出自と関係描くドキュメンタリー、今ひとつスッキリしないが逆に根本的なことが全然知らされてないと思った・・・・・どれも先週のTV番組から。色々あるが未だ未だ捨てられない情報受信装置。

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