波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

坊ちゃんの老後

2024年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム

(前回記事をあれで放っておいたらどうもスッキリしない。昼寝するつもりだったけれど早々に起きて机に向かってしまった)
ちゃん(漱石著『坊ちゃん』の主人公)は、子どもの時から直情径行の人だが自分に自信がない。「俺でも先生が勤まるだろうか」と思い実際に勤まらない。こういうヤラカシ先生が同僚なら心配でたまらない(笑)。しかし、自分の出来ないことをやってしまう坊ちゃん、その強がりにはわくわくする。軽薄だが正義感ぽかったり純真さがあり、寅さん(山田洋次監督『寅さん』の主人公)に惹かれるのも同じ理由だろうなあ。
坊ちゃんは先生を辞めて東京へ帰り、街鉄の技手になり清と一緒に住んだが、清は肺炎で亡くなり、「死んだら坊ちゃんのお寺に埋めてください。お墓の中で坊ちゃんが来るのを楽しみに待っております」が亡くなる前日の遺言だ。

 

の後の坊ちゃんが想像できないのは、坊ちゃん=青春の人だから傍若無人・短気邁進・周囲不安が許されるわけで、坊ちゃんの結婚とか定年退職とか老後隠居のイメージは形を結ばない。
若くて清のような女性が現れたら、小説『坊ちゃん』の愛すべき世界観はガラガラと崩れてしまうが、少し嬉しくなる。世の中には、周りが何て言おうとそういう相方がいるかもしれない。ママヨさんをお嫁に下さいと頼みに行って、家での評判を無理矢理聞き出したらお母さんが「もっと良い人はいないの?」と言ったと聞きそのショックは未だに尾を引いている(話は事実、尾を〜は嘘)。これを書いている最中、寅さんが何度も出てきて閉口した。寅さんは商売人で坊ちゃんよりもずうっと社交的だし女性にも好かれるが、坊ちゃんには清以外の女の影を感じない。

 

後の坊ちゃんは、結婚生活よりイメージできる。街鉄の技手は堅い職業で給料もキチンキチンと入り働くのは嫌いでないから続く気がする。性格的に運転手は危険だし、車掌はお客さん相手だから無理だろうが、嘘ついたり世辞使ったりしないし、出世主義でもケチでもなく腰が軽いので、愛されキャラで晩年を過ごしたんじゃないかなあ、そうであって欲しいなあ。退職後は、周りから煽てられて町内会長になったりして。清みたいな連れ合いがいたら、ギリギリのところで再起不能な完全失敗を免れたと思う。
坊ちゃんの性格は、生まれた時からずうっと変わらなかった、と思う。周りの支えと無数の運と奇蹟的な偶然の連続で暮らして、幸せに亡くなったとしたら嬉しいな。今の世の最高のメルヘンかもしれない。
(気分的に続きを書き、何となく締めくくった感じ。)


清がマドンナだったことを知るだろうから結婚は難しいかもなあ、なんて大事なお客さんが来られる。こういう機会は、部屋の整理整頓や掃除の棚卸しで暮らしに必要。体調も整えて準備しなければならない。献立は、鍋焼きウドンと鰻小丼の豪華版。一番のおもてなしは、波風夫妻の「ようこそ」の心だろうなあ。

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清の立場

2024年12月15日 | 日記・エッセイ・コラム

風氏が人から言われる性格に、「まっすぐ」というのがある。高校の担任から、卒業数年後のクラス会で「竹を割ったような」と言われ、友人から「抜群に気が短かい」とか「清々しい図々しさ」など思ったことを直線的に口に出す人間性らしい。生徒からは、良くも悪くも忖度しないで正直に評価すると思われていたようだ。ママヨさんからは「いつ真剣に怒りだすかわからない」「いつ何時、出て行けと言われそうで怖い」と還暦ぐらいまで思っていたそう。
職場の慰安旅行の宴席で、各自が悩みを吐露する趣向の時に、「みんなが羨ましい。俺は言いたいときに遠慮ばかりで、勇気を出して言って後で後悔する」と話したら皆に笑われた。それ以上言ったりやったりしたら化け物だと。

 

読んでいる2冊の本が揃って一筋縄でいかない奴(『手の倫理』『百年の孤独』)なので、道草的に『坊ちゃん』開く。脳をすっぱり・すっきりリフレシュの気分。短気で無鉄砲で暴力的で自分でも教師失格と任じてる坊ちゃんは、何でも受け入れてくれるお手伝いの清がいたから、不安な自分を承知しつつ強がって生きられたのだろう。そう思うと、波風氏の周りにはたくさんの『清』がいてくれて、面白がって支えてくれたと今更ながら思う。今回初めて、清の立場で坊ちゃんを読んだ、生徒や職場のゴタゴタは読み流し、清の励ましや手紙、死の前日の清の願いを考えた。それにしても1906年(明治39年)に世に出たのを、面白く読めるのはただごとでない。

 

就職の職場の宴会で、波風氏が気にくわない同僚を殴るかもしれないから止めに入るつもりでちっとも酔えなかった、という後輩の言葉で驚いたことがある。商売柄、口は達者な方だが、相手の態度によっては手が出る危険性はあるし、そうなったら相手が参ったと言うまで殴り続ける危険性はまだ残っている気がする。(この記事この先どうなるか考えてないが、これで止めるのは小便を途中でやめるような気分だから、たぶん続ける)


中1の波風氏が初めて買った本が『坊ちゃん』。清が坊ちゃんと言うから『坊ちゃん』なんだよなと当たり前のことに気づく寒い夜「燻し柿の種」用の業務用大袋(1キロ詰め)を当地のスーパーが取り扱わなくなりスナックも大変なのかなあなんて一人心配していたが、楽天で450g500円のを見つけ3袋で久しぶりに燻煙作業。お客さん用土産品、これで安心安心ママヨさんからただの一度も、坊ちゃんに対する清の励ましみたいなのをもらったことが無い気がする。その逆はたくさんあると思うのに。

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続 老人の服

2024年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム

(前回から続く)

パーカーの効能は、探さなくても派手色がいくらでもあること。赤も黄も紫もなんでもござれだ。それも単一色だから上半身全部を目立たせられる交通安全最適服なのだ。「周りの人がどう思うか」以前、その存在を瞬時に周りの人に気づかせる。
青いジャンパーから赤いフードを差し色で見せるのも目立ち&粋。5着のパーカーを取っ替え引っ替え普段着の波風氏、今回の「パーカー論争」は、このストレス社会で服ぐらい好きなのを着れば良く、それを受け入れる許容社会であって欲しいと願うだけの話。

初期高齢者の頃は、無難で目立たず趣味良さげ風老人色の黒紺茶灰が洋服ダンスに並び何の感慨も無く着ていたが、自分が少し歩き始めるとご同輩老人の自分と似たような目立たない服装が気になり始めた。実に車から見えずらいのだ。光が吸収される雨の日の交差点や横断歩道の怖さはもちろんだが、老人は好きなところで道を渡るから危なくてしょうがない。中期高齢者の今、「年寄りは目立ってなんぼの存在」をママヨさんと深く頷き確認。
散歩用のスニーカーもパープルに加えオレンジ。ズボンも黄や赤を履きたいがジーンズの青で我慢。長く黒一色だった車を今年ベージュに変えた。

老人は安全面でも精神面でも、「片隅でヒッソリ暮らしているから無難ですよ」では全然面白くない。性格や生活は簡単に変えられないから、外観ぐらい突出すべき。亡くなる時が人生で一番華やかな外観だったら、「やりたいよう好きにしました。安心して下さい」と涙無用のオチをつけられる。波風氏もママヨさんも、手入れ不十分の白髪ボウボウ頭だが、白髪は何色でも受け入れてくれる万能色、派手な色ほど見事にバランスとってくれる。老いるほど願う、白髪さーん、勝手に消えないでね(笑)


画像は、今の季節に10年は使ってきた絵ハガキ。サンタさんって上から下まで目立つ服装だよなあ。白い髭と白髪頭が体形と赤色にあっている 自作の2025年カレンダーをお二人から今年もいただいた。良いなあ、凄いなあ。歳下の波風氏は唸るのであった。 

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老人の服

2024年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム

50代のオジサンはパーカー着るな、という20代女性エッセイストの投稿に、50代の某実業家が、エイジハラスメントだ、何着たって人の勝手だろうと噛みついていた。パーカー着てスマホ見ていた波風氏は笑った。フアッション評論家が、着る側でなく周りの人たちがどう思うかが問題、みたいなどうでも良いコメントもあった。更に飛んで飛んで70代ならどうなんだよ?若者専用御用達服の境界に安易に入るなということか。じゃあ老人は何を着れば良いんだい?なんてどうでも良いことを思っているうちに、湯たんぽのヌクヌク感もあり寝落ちした。次の日、意外にもこのパーカー論争を覚えていて、「ホリエモン パーカー」で検索。

 

頭が薄くなったせいか、学生帽の習慣のせいなのか、老人の帽子被り率は極めて高い。だから、風に飛ばされないよう首から上をがっちり押さえつけてくれるパーカーのフードは優れもの。首筋をしっかり囲ってくれるのも寒冷地仕様で風邪防止に役立つ。老人の風邪は死への一里塚なのだよ。
パーカーでもっと嬉しいのは下に何を着ても覆ってくれるその被覆性、パジャマでも厚手セーターでも裸体でも可。ボタンでないのも喜ばしい。被るのは筋トレ、ジッパーは手先の訓練。まさに老人のために生まれた老人御用達服。(長くなったので続きは次回。書いているうちに興奮してきた  笑)


赤いパーカーのイラスト、前に描いたなと思い出した。「すごーい」と喜んだのは、指示語多用と忘れ物探しがこの頃随分増えたから。「良く探しあてました。偉い」の心  最近あまり歩いてないのは道を雪が覆いアイスバーン化しているから。その分、スクワットで埋めて今日は85回。腰に張りがあるので要注意。

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手紙の感触

2024年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム

描いたイラストを絵ハガキにして使っている。一筆箋のような通信用具。気に入ったイラストに、気に入った切手貼り、気に入った金釘流文字で出せると気分良い。ハガキが工作物になった感じ。

手書き文字のハガキが郵便受けに入っていると読む前から嬉しい。年金書類や健診通知などと違う人肌の温もり。自分のハガキもこんな感じで届いたら嬉しいな。

封書の手紙は、ハガキと違う重みと熱っぽさあり、居住まい正して封を切る。教え子から封書が来て返事を考える。書いてくれた人のことに集中する感覚、これは祈りだと思う。宗教心から薄いので、祈りと願いの違いはよくわからないが、相手に願うのでなく、自分が相手のことだけを思う時間の使い方。
もう一通の封書は、今年亡くなった恩師の娘さんから。亡くなる前後の先生の状況と支えた家族の様子がよくわかった。娘さんが繰り返し聞いていた、先生との縁の深い4人の方に手紙を送ったとあった。高名で交際範囲が幅広い先生の「4人」という縁に、思うものがあった。先生のごご冥福と娘さんへの感謝の気持ちを封書で伝えたい。

年賀状を作る。「空の飛び方は未だわからないけれど(笑)ワクワクとドキドキのある日々を過ごしたい」で始まり、「自分でできることを積み重ねて楽しみたい」で結ぶ。イラストでなく工作『飛び込む人』の画像。いただいた年賀状に返信するスタイルにしていることを初めて載せた。年賀状を作ると、今年が終わる感じが肌にまとわってくるよう。カレンダーの数字の残りより濃厚に。


『感触』の言葉は、今読んでいる『手の倫理』(伊藤亜紗著:講談社選書メチエ)が頭にあるからかな。「さわる」と「ふれる」の違いは奥が深い まだ読み始めだが、ガルシア=マルケス著『百年の孤独』(新潮文庫)は暗闇で沼に足を引きずり込まれるような怖さと魅惑がある。大江健三郎著『燃え上がる緑の樹』以来の長編小説だが大江が強く影響受けているなあ画像の郵便バイク、本田のカブ。若い頃、中古で2台乗った。アクセルのバネをいじったり崖を登ったりして危ない目に(自分がそうしただけだが)

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