両親の法事を契機に、祖父母やゆかりの人々の回想記を書いていますが、ほぼできあがりましたので、写真を入れることとしました。額になっているものを中心に、古いアルバムからもデジカメで複写し、パソコンに取り込んで Gimp でリサイズし、回想記に取り込んでみました。やはり、文字ばかりのものよりも格段に親しみやすくなります。若かった頃の父母が意外に(?!)美男美女であったことや、36歳という若さの生母をなくした祖父や弟たちが、それぞれ努力して自立していったことなど、感銘深いものがありました。内容は、
というものです。A4判2段組、本文11ポイントで、写真を入れたら14ページになりました。
あとは、これを印刷してレポートメーカー(コクヨ、セホ-50B)で簡易製本します。
はじめに
第1章 父と母のこと
1 農家の長男は出征し広島にいた
2 広島に落とされた原子爆弾
3 入市被曝の経緯と放射線障害
4 昔の広島市の地図からわかること
5 爆心地と比治山
6 ヒロシマの惨状にぼうぜんとした
7 三つの疑問と答え
8 父は帰還したが
9 母の勤労動員体験
10 嫁入り後の母の生活
11 母の地域での役割
12 父の発病と母の役割
13 病後の生活と農業経営の転換
14 全盲の祖母を見送って
15 父の死去
16 原爆死没者慰霊式典に参加
17 福島原発事故とヒロシマ
18 母の晩年
第2章 祖父母とゆかりの人々
1 祖父と兄弟たち
2 次男◯◯◯のこと
3 三男◯◯のこと
4 四男◯◯のこと
5 長女◯◯のこと
6 ◯◯家と◇◇家の関わりはどこから
7 松田甚次郎と松田家のこと
8 祖父母の晩年
第3章 思い出すままに
〜以下略〜
というものです。A4判2段組、本文11ポイントで、写真を入れたら14ページになりました。
あとは、これを印刷してレポートメーカー(コクヨ、セホ-50B)で簡易製本します。
歳をとっていくと、実家のルーツや親戚関係などの情報がどんどん少なくなっていって(私が子供の頃に聞いたことも忘れつつあるので)、弟と色々思い出していました。
が、なかなかまとめるところまで行かず・・。
narkejpさんのところは、きちんといろんな記録が残っているのでしょうね。そしてそれをまとめていく力もお持ちで、羨ましいです。
祖父は結局洗礼を受けるまでには至りませんでしたが、村山農学校時代に楯岡教会の聖書研究会に所属しており、古澤久治牧師を囲んで6名の学生が写った写真が残っています。古澤久治牧師で検索すると豊橋中部教会の第6代牧師(1904-5)と同名で、時期的にあるいは山形から豊橋のほうへ移動したのかもしれず、当時の人たちのダイナミックな姿が感じられて興味深いところです。