電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

週末はサクランボ「佐藤錦」の収穫に追われて

2009年06月15日 06時06分34秒 | 週末農業・定年農業
今年は、はじめて自分の責任で果樹園の収穫を迎えました。剪定がやっぱり素人仕事で、もっと大胆に枝を少なくするべきだったとか、高いところで垂直に伸びてしまった徒長枝をばっさりと切り落とすべきだったとか、いろいろと反省は少なくないのですが、まずは順調に収穫の季節を迎えております。

土曜日には、朝から少し離れた園地でサクランボ「佐藤錦」の収穫をしたところ、雨よけテントのない露地栽培なもので、実割れが大量に発生しておりました。お昼前頃には、雷とともにかなり激しい雨が降りだし、作業を切り上げて自宅に戻りました。さすがにベテランの老母は、お天気を読んで花の種をポットに播き、これで水やりの手間が省けたと喜んでおりました。雨が上がった午後から再び収穫作業を再開、春に訪花昆虫が少なく受粉が心配された割には、だいぶたくさん収穫できました。実の付き方はだいぶまばらですが、一つ一つの実の大きさは充実しているようです。そのぶん、実割れも発生しやすいのかも(^o^;)>poripori
日曜には、雇人の人たちが来てくれましたので、当方は親戚の法事に出かけました。戻って一服してから、今までの収穫分をまとめて出荷しました。やれやれ、これで土日の分は一段落です。当方のサクランボは、さてどこでどんな方が食べてくれるのでしょうか。喜んでもらえると良いのですが(^_^)/

日曜の夜は、N響アワーの時間。尾高忠明指揮、ネルソン・ゲルナーのピアノで、ブラームスのピアノ協奏曲第2番を見て(聴いて)、早々と休みました。先日、NHK-FM で、エレーヌ・グリモーのピアノで、ブラームスの第1番の協奏曲を聴いたばかり。偶然ではありますが、短かい間にブラームスの2曲のピアノ協奏曲が続けて放送されるなど、なんとも嬉しい限りです。
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佐伯泰英『万両ノ雪~居眠り磐音江戸双紙(23)』を読む

2009年06月14日 06時13分41秒 | -佐伯泰英
墓参を終え、博多道草を経て江戸へ旅立った坂崎磐音とおこんの道中にどんな事件が起こるのだろうと興味津津の、佐伯泰英『居眠り磐音江戸双紙』シリーズ第23巻『万両ノ雪』は、笹塚孫一の胸に刺さるトゲのお話から始まりました。

第1章「明和八年のおかげ参り」。南町奉行所の知恵者同心・笹塚孫一のもとに、6年前に島送りになった男の島抜けの報せが届きます。その事件は、真相に肉迫しながら今一歩の決め手を欠き、胸に今も刺さるトゲのようなものでした。
第2章「安永六年の島抜け」。唯一の目撃証人お香は、犯人と目される万両の親分にほのかな思慕を寄せています。大胆不敵、用意周到な島抜けの経緯もさることながら、品川柳次郎が椎葉お有との仲を両家公認のものとした帰途に、笹塚孫一暗殺を阻止するくだりも、緊迫感があります。
第3章「子安稲荷の謎」。内藤新宿の子安稲荷を舞台に、万両の大次郎一味と、笹塚孫一、木下一郎太、品川柳次郎らが対決しますが、どうにも分が悪い。と思ったら、意外な逆転劇!なるほど、そう来たか(^o^)/
第4章「元日の道場破り」。万両の大次郎の隠し金も発見し、笹塚孫一の胸に刺さった昔のトゲも抜き取ることができ、磐音は南町奉行所で風呂をもらい、新年の衣装もあらためます。今津屋に挨拶した後に、おこんさんとともに佐々木道場を訪ねると、二人のために離れ家が新築されておりました。なんともふがいない道場破りの一件は、犬と茶碗の狂言回しでしたか。
第5章「跡取り披露」。長屋を引き払った磐音は、おこんとともに速水左近宅を訪ねます。おこんが養女として入る速水家は、なかなか家族関係も良好のもよう。磐音はさらに関前藩江戸屋敷に旧主実高を訪ね、佐々木玲圓の養子となることを告げます。この実高・お代夫婦は、小藩の領主としての経営手腕はともかく、人柄としてはまったく「いい人」ですね~。これが旧主への別れの挨拶という形でしょうか。さて、佐々木道場正月の具足開きにおいて、玲圓は磐音が後継として養子に入ったことを宣言、今津屋ではお佐紀が無事に男児を出産。正月らしい目出度さです。

いささか長い著者あとがきは、なかなか興味深いものです。闘牛と時代小説の関係。人畜無害の当方、闘牛に血が騒ぐことはりませんし、闘争シーンに手に汗握ることもありません。むしろ、作者が繰り出す物語の展開の先を予想し、当たった、外れたと一喜一憂している状態です。これがたいそう面白いものです(^o^)/

テレビドラマ「陽炎の辻3」のほうは、どうやら磐音クンが佐々木玲圓の養子になり、道場の後を継ぐことと、町娘おこんの身分の差を主たる葛藤として展開している模様。確かに、封建的身分制度が厳然としてあった江戸時代では重大な問題ですが、原作では、今津屋さんがあっさりと「武家へ養女に入る」という解決策を示して(*)くれます。ドラマでは、今津屋さんがタイミング良く解決策を示してはくれないようです。このあたりは、脚本や演出次第、ということでしょうか。

(*):佐伯泰英『梅雨ノ蝶~居眠り磐音江戸双紙(19)』を読む~電網郊外散歩道より
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さあ、週末だ。サクランボの収穫だ。

2009年06月13日 06時29分45秒 | 週末農業・定年農業
ようやく週末にたどりつき、果樹園の様子を見てきました。昨晩は遅く帰宅したので、裏の畑の様子も真っ暗で見えません。早朝から起き出して、まず裏の畑の様子を見てきました。野鳥の食害はだいぶ出ておりますが、佐藤錦もそろそろ収穫期に入ったようです。昨日までは、妻が主として収穫をしていましたが、明日からは雇人が入る予定とのこと。忙しい時期になりました。

老母は、花の種をせっせとポットに播き、苗を植え付けております。亡父が果樹園のあちこちに植えたバラが咲き、今が見頃です。今週の通勤の音楽は、ずっとブルッフのヴァイオリン協奏曲を聴いておりました。今晩はテレビで「陽炎の辻3」を見るのを楽しみに、一日せっせと働きましょう。


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諸田玲子『あくじゃれ~瓢六捕物帖』を読む

2009年06月12日 05時36分19秒 | 読書
『お鳥見女房』シリーズ四作を読んだのがきっかけとなりまして、読んでみた『末世炎上』も面白かったので、諸田玲子さんの別の作品を探してみました。たまたま手にしたのがこれ。文春文庫の『あくじゃれ~瓢六捕物帖』です。「あくじゃれ」とひらがなで書くと、なんとも意味不明ですが、「悪洒落」と書けば、なるほど、洒落者の小悪党というイメージが浮かびます。

「地獄の目利き」「ギヤマンの花」「鬼の目」「虫の声」「紅絹の蹴出し」「さらば地獄」と六つの章からなっており、真面目一方で堅物で、世渡りの下手な定廻り同心・篠崎弥左衛門が、切れ者与力・菅野(すがの)一之助の命によって、牢に入っている小悪党の瓢六と組み、様々な事件を解決するお話です。

「地獄の目利き」「ギヤマンの花」の章あたりでは、瓢六の小悪党ぶりが小憎らしいほどですが、ハシリドコロの毒を扱った「鬼の目」の章では、弥左衛門が滑稽な役回りを演じ、その対照的な描き方に、思わず才媛の習性(*)を感じてしまいます(^o^)/
しかし、娑婆と獄中を出入りする間に、どうも事情が変わってしまい、本当に命を失いそうになる「虫の声」あたりでは、当方も思わず瓢六を応援してしまいますので、作者の術中にはまったと言うべきでしょう(^o^)/
女性の和装にはとんとうといもので、「紅絹の蹴出し」と言われても、ちんぷんかんぷんなのですが、要するに和風下着の話なのですね。なるほど、それなら納得です。
「さらば地獄」の章では、お袖さんの気の強さが光りますし、最後に弥左衛門と八重さんの可能性を引っ張るところなど、話がちゃんと続くように伏線を張っているようです。ストーリーを説明してしまうと、意外性が失われそうですので、この程度でおさめておきましょう。なかなか面白い、ちょいとひねりのきいた時代小説です。

(*):才媛は、どうもこういう想定がお好きのようです。真面目で堅物よりも、才気走ったいい男の小悪党の方が魅力的に映るのでしょう。でも実際は、「昔はワルだったけれど私には優しい、才気走ったいい男」だと思っていたのに、なにかのきっかけで激しいDVにおちいる、という例も少なくないようで。人格はふつう積み重なるものであって、そうそう大きく変わったりはしないものだと思いますね~。
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みんなのうた「こわれたクラリネット」は本当に壊れているのか?

2009年06月11日 05時38分16秒 | クラシック音楽
子どもの頃からおなじみの「みんなのうた」で覚えた歌「こわれたクラリネット」は、なんとも楽しく親しみ深いものですが、ふと、ここで歌われているクラリネットは、本当に壊れているのだろうかと疑問を持ちました。

僕の大事なクラリネット / パパからもらったクラリネット / とっても大事にしてたのに / こわれて出ない音がある / どうしよう~ どうしよう~ (以下略)

この一番の歌詞から推測するかぎりでは、クラリネットがほんとに壊れてしまったのかな、と思いますが、三番の歌詞では、

ドとレとミとファとソとラとシの音が出ない / ドとレとミとファとソとラとシの音が出ない / パパも大事にしてたのに / 見つけられたら怒られる / どうしよう~ どうしよう~ (以下略)

となっています。ここが問題です。そもそも、「ドとレとミとファとソとラとシの音が出ない」という壊れ方があるのだろうか?もしかしたらこれは、初めて一人でクラリネットを吹こうとして、リコーダーのようには音が出ないことにびっくりして、壊れたと思い込んでいるだけなのでは?そんなふうにも思えてしまいます。

さて、真相やいかに?
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NHK-FMでエレーヌ・グリモーのブラームス「ピアノ協奏曲第1番」等を録音

2009年06月10日 05時32分55秒 | -協奏曲
単身赴任アパートで、夜の楽しみといえば、読書に音楽です。幸い、ONKYO のミニコンポが快調ですし、TV 用共同アンテナ端子に接続したら、NHK-FM がかなり良好に受信できます。で、今やブログでもほとんど話題にならなくなった、エアチェックなどということができます。しかも MD のおかげで、昔はオープンリールでしか実現できなかった長時間録音が可能です。
昨晩は、19時30分から、エレーヌ・グリモーのピアノ、ファビオ・ルイージ指揮ウィーン交響楽団による演奏で、ブラームスのピアノ協奏曲第1番を録音しました。番組案内には、次のように表示されておりました。

▽ファビオ・ルイージ指揮、ウィーン交響楽団演奏会
「ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 作品15」ブラームス作曲 (50分00秒)
                (ピアノ)エレーヌ・グリモー
「交響曲 ニ短調」 フランク作曲 (41分00秒)
                (管弦楽)ウィーン交響楽団
                (指揮)ファビオ・ルイージ
 ~オーストリア・ウィーン楽友協会で収録~ <2008/12/05>
  (オーストリア放送協会提供)

エレーヌ・グリモーのピアノ演奏は、これまで、CD や放送を通じて、ラフマニノフの「音の絵」(*1)、シューマンのピアノソナタ第1番(*2)、バルトークの3番の協奏曲(*3)などを聴いてきております。こんどはブラームスの1番。これはありがたい。やったね!

(*1):エレーヌ・グリモー(Pf)のラフマニノフ「音の絵」ほか~「電網郊外散歩道」より
(*2):シューマン「ピアノソナタ第1番」を聴く~「電網郊外散歩道」より
(*3):エレーヌ・グリモーのピアノでバルトーク「ピアノ協奏曲第3番」を聴く~「電網郊外散歩道」より
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図書館から本を借りるとき

2009年06月09日 06時37分47秒 | 読書
昔の公立図書館の開館時間は、必ずしも利用者本位に考えられてはおらず、勤め人には利用が困難なものでした。当方、変則夜間勤務の頃に、午前中に買い物がてら図書館に行き、本を借りて読むのを楽しみにしておりましたが、近頃は図書館の開館時間も利用者に配慮した形に改善されてきましたので、図書館から本を借りやすくなりました。これは、ありがたいことです。

開架式の書庫の中で、手帳にリストアップした「読みたい本」一覧を手にして書架をめぐるのは、楽しい探索のひとときですし、とくにお目当てはなく、漫然と探すのもまた良いものです。読みたいと思っていたのに絶版となっていた本に偶然に出会ったときなど、内心、思わず万歳を叫びたいほどです。

また、宮城谷昌光作品のように、息子の勧めで試しに図書館から借りて読み始めた本が面白くて、自分で単行本を購入するようになったものもあります。繰り返して読み、手元に置きたい本は自分で購入しますが、試しに読んでみるなどの場合のように、読書の入口としての図書館の役割は大きいものがあるようです。

写真は、ノボリフジでいいのかな?ちょうど今が盛りの季節です。当地のアジサイはもう少し後になる模様。

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サクランボの早生種「紅さやか」を収穫する

2009年06月08日 05時58分41秒 | 週末農業・定年農業
勤めのかたわら、週末に剪定、消毒、草刈りに精を出してきた我が家の果樹園のサクランボ、このほどようやく早生種の「紅さやか」を収穫するところまできました。花粉の交配のために、佐藤錦の間に植えられた数本の紅さやかが、もうすっかり色づいております。家内は脚立で低いところを、私は高所作業車でてっぺんの高い枝についた実を、それぞれ収穫しました。雨上がりの園地は暑くもなく寒くもなく、過ごしやすい気候です。老母が箱に詰めてくれたものを、何箱か出荷できました。新米農業後継者の初めての出荷です。夜、ビールで乾杯しました。

作業中、ポケットラジオで NHK-FM の「二十世紀の名演奏」を聴いていたら、黒田恭一氏の逝去を悼む特集でした。あの穏やかな語り口が聞けなくなるかと思うと、寂しいものがあります。先年、胃がんが発見され手術で回復した老母は、いたって元気で、毎日ご自慢の畑に精を出しております。これはたいへんありがたいことです。
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スウィトナーの指揮でシューベルト「交響曲第3番」を聴く

2009年06月07日 06時23分31秒 | -オーケストラ
このところ、「第3番」という番号を持つ音楽を選んで聴いておりますが、そんなことでもなければ手に取らなかったであろう、シューベルトの交響曲第3番を、大いに楽しみました。1815年の5月に第1楽章が書き始められたといいますから、ちょうどその前年にはベートーヴェンの交響曲第8番が発表され、2曲のチェロソナタ(第4番と第5番)やカンタータ「静かな海と楽しい航海」が作曲された年にあたるとはいうものの、どちらかといえばベートーヴェンは流行の埒外にあります。この時期、シューベルトがウィーンで流行の先取りをしたのは、まさにロッシーニの音楽でした。1813年、21歳で「タンクレーディ」や「アルジェのイタリア女」を大ヒットさせ、ヨーロッパ中に名声が高まったロッシーニの音楽が、この頃のウィーンの聴衆を浮かれさせていたのでしょう。

第1楽章、アダージョ・マエストーソ~アレグロ・コン・ブリオ、4/4拍子、ニ長調。堂々としたトゥッティで始まります。オーボエとフルートの刻む和音とそれに続く部分が、後に続くイタリア風の音楽の序奏のような役割を果たしています。木管が奏でる軽快なリズムと旋律は、「ロッシーニの音楽だよ」と言われれば「へー、そうなんだ」と頷いてしまいそうな音楽です。響きはフレッシュで、屈託のないもの。
第2楽章、アレグレット、2/4拍子、ト長調。まるで舞曲のような、愛らしい音楽です。中間部のクラリネットによる主題も陽気でいかにも屈託がなく、若々しい活力を感じさせます。
第3楽章、メヌエット:ヴィヴァーチェ、3/4拍子、ニ長調。優美なメヌエットというよりは、むしろスケルツォ的な性格が強調されたものでしょう。トリオ部のオーボエとファゴットの掛け合いが、なんとものどかでいい気分です。
第4楽章、6/8拍子、ニ長調。プレスト・ヴィヴァーチェの指示にあるとおり、速いテンポでめまぐるしく動きまわる、明らかにイタリア風の音楽です。当時は、こういう沸き立つような音楽が流行し、好まれていたのでしょう。

確かに、響きはフレッシュで、本当に楽しい幸福な音楽です。休日の朝、腕まくりをして掃除をする元気が出てくるような、そんな音楽。その意味では、日常生活の中にしっくりとくる音楽だと言えましょう。ただし、シューベルトは必ずしもこれで満足はしなかったようです。脱ロッシーニ。次の課題だったのでしょうか、ベートーヴェンを意識し、「悲劇的」という副題をつけた交響曲第4番の登場はもうすぐです。

演奏は、オトマール・スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレ。1986年、東ベルリン(当時)のイエス・キリスト教会におけるデジタル録音も、たいへんに見事なものです。DENON COCQ-83990~4 という型番の紙箱全集から。

参考までに、演奏データを示します。
■スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレ
I=9'18" II=4'20" III=4'09" IV=6'28" total=24'15"

写真は、先日、果樹園のサクランボに張ってもらった防鳥ネットの様子。早生種の「紅さやか」の収穫が始まりましたが、防鳥ネットの外にある露地ものは、すでに半分近くが野鳥の胃袋に収まっている模様(^o^;)>
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朝食を作るとき

2009年06月06日 07時59分09秒 | 料理住居衣服
一年で一番日が長い季節のためか、朝早く目がさめてしまいます。(年のせいだろうという説も一部にはあるようです ^o^;)>poripori
単身赴任のアパートで、コーヒーをいれ、メールチェックとブログの更新を済ませ、朝食を作り始めます。これが、意外に楽しい。手近な材料で、簡単な朝食とお弁当を作るのですが、お腹がすいているためか、何でも美味しく感じます。ましてや季節の「かつおたたき」です!一人で食べる食事は、慣れてしまえば淡々としたもので、それほど寂しくも苦痛でもありません。やがてミニコンポのFM放送がタイマーで鳴りだし、アパート内の住人が動き出す気配が感じられる頃には、当方は食器も洗い終えてしまいます。

先日はゴミ出しの日でしたので、たまっていたごみを出しました。今日は、帰りにはスーパーに寄って買い物をしてくることにしましょう。野菜は家からだいぶ持ってきているので、コーヒー豆、牛乳、豆腐と納豆、電子辞書用の単4乾電池、トイレットペーパー、などでしょうか。
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シランに関する伝統的駄洒落保存会的雑学

2009年06月05日 05時45分37秒 | 散歩外出ドライブ
写真の花、シランが今年も咲きました。この季節に、美しい紫の花を付け、ほったらかしでもたいへん丈夫です。野生のものは、準絶滅危惧種なのだ(*1)そうで、それもびっくりです。わが家のシランは、雪融けの一番遅い北側にあるヒマラヤユキノシタの隣で、ひっそりと可憐に咲きますが、以前の職場には、ほとんど野生のシランの、かなり大きな群落がありました。あそこが今はどうなっているのか、当時の大先輩のお顔とともに、懐かしく思い出します。

ちなみに、草花に興味のない化学屋と「シラン」について話をすると、ときどきとんちんかんな会話になることがあります。それは、「シラン」という化学物質(*2)があるからです。分子式 SiH4 がそれで、半導体などの洗浄などに使われることもあるのだそうですが、空気中に安易に放出すると、自然発火して事故になることもあるのだそうで、「わしゃ知らん」とは言えないようです。ついでに言えば、Si2H6 は「ジシラン」といいますので、これと区別するために、SiH4 をモノシランと呼ぶこともあるとのこと。なんだか「字知らん」「物知らん」と言われているようで、恐縮してしまいます(^o^;)>poripori

シランに関する記事は、たしか以前にも掲載(*3)した記憶があります。やっぱり伝統的駄洒落保存会系なしろものだったような。発想の根本が、まったく変わっておりませんなぁ(^o^)/

(*1):シラン(植物)~Wikipedia より
(*2):シラン(化合物)~Wikipedia より
(*3):伝統的駄洒落の保存について~「電網郊外散歩道」より
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久しぶりに大学キャンパスを歩く

2009年06月04日 05時25分22秒 | 散歩外出ドライブ
先日、所用があり、某大学キャンパスを歩く機会がありました。恩師の葬儀などで、近くを通過したことはありましたが、実際にキャンパス内を歩いたのはだいぶ久しぶりのような気がします。図書館前の奇怪な形の巨木は一段と怪異さを増し、堂々たる存在感です。



文系書籍部の専門書の充実はさすがですし、遊歩道の両側の緑も色濃く、時の流れを感じます。自分の子供たちよりも年若い学生であふれるキャンパスには、かつての激烈な立看板や異様なスタイルはありません。ゴールデンウィークを過ぎて、入学期の昂揚も落ち着きを見せ、学生たちは思い思いに野外で昼食を取っていました。若さと希望が羨ましい風景でした。

さて、通勤の音楽は、シューベルトの交響曲第3番を繰り返し聴いております。スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレによる録音。のびやかな田園風景が広がる郊外通勤路にぴったりの音楽です。
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ブラームス「交響曲第3番」を聴く

2009年06月03日 05時13分47秒 | -オーケストラ
1883年夏、いつも滞在するペルチャッハではなく、ウィースバーデンで一気に書き上げられた交響曲第3番は、ブラームスの友人シュトックハウゼンについて勉強中だったコントラルトの女性ヘルミーネ・シュピースという女性と親密になり、この幸福感が反映された曲だ、と言われています。ところが、曲の印象は、決して若い恋人との一時の幸福感といったものではありません。50歳になった作曲家が味わうことになった、もっと深い感情があるように感じられます。

楽器編成は、Fl(2),Ob(2),Cl(2),Fg(2),CoFg(1),Hrn(4),Tp(2),Tb(3),Timp,弦五部。同年の12月に、ウィーンで初演されたそうで、オーケストラはウィーン・フィルだったのでしょうか。指揮は、ハンス・リヒター。

第1楽章、アレグロ・コン・ブリオ、6/4拍子、ヘ長調。パー(F)ポー(A)という印象的なモチーフが管楽器によって提示され、続いてヴァイオリンに第1主題が登場。ドヴォルザークみたいにのどかな、木管が活躍する経過を経て、やや暗めの、情熱的な展開部に入ります。ホルンが静かに基本モチーフを提示し、第1主題が再現されます。クライマックスは最後にはなく、静かに回想するように曲が結ばれます。
第2楽章、アンダンテ、4/4拍子、ハ長調。木管楽器がたいへん心地よく響く、平安な気分の中に、のどかさのある音楽です。でも、その中にも暗く沈むような部分が出てきます。たいへんにすてきな、大好きな音楽です。
第3楽章、ポコ・アレグレット、3/8拍子、ハ短調。冒頭のチェロのすてきな旋律が、合奏になっています。もし、これが独奏だったらと考えると、表現しようとしたものの違いに気づかされます。たぶん、うねる大波のような感情の深さ、大きさだったのでしょう。ブラームスは、独奏では感傷的に過ぎ、一人だけの個人的な感情になってしまうとでも考えたのでしょうか。リン・ハレルがクリーヴランド管で悩んでいたとき、セルが話した内容が、待遇や損得ではなく、音楽の本質や表現の話だった、というエピソード(*)を思い出します。
第4楽章、アレグロ、2/2拍子、ヘ短調。弦楽器とファゴットが、細かい動きの第1主題を奏し、この楽章が始まります。トロンボーンに続いて、腹の底から出てくるように激しさを増し、盛り上がりを見せます。晴れやかな気分と激しい感情が交代するように歩む音楽は、やがて穏やかなものに変わり、第1楽章の主題を回想するように、静かに終わります。

50歳のブラームスと26歳のヘルミーネ。ほとんどダブルスコアの関係は、「愛があれば年の差なんて」とは言えないものでしょう。ましてや、恋に盲目にはなれない、自己批判力の強いブラームスのこと、痛切に自分の年齢を意識したんじゃないでしょうか。美しい自然、良き友人たち、若く魅力的な声を持つ親しい女性の存在、自分の中にある激しい葛藤、年齢の意識と過ぎ去ったものへの哀惜の念。どの楽章も、そうしたものを思わせるように、静かに消え入るように終わります。5月から10月にかけて作曲が進んだ、過ぎ行く夏と人生をいとおしむような音楽です。

【追記】
演奏は、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団。1964年10月16日~17日、米国オハイオ州クリーヴランド、セヴェランス・ホールでのアナログ録音、1984年のリミックス全集盤(00DC203-206)です。リン・ハレルのエピソードによれば、セルは奏者に対して、「たくさんの人間で弾くことを想定されて作曲されて」いる旋律が「曲全体の中の統合されてかつ重要な一部であると感じ」られるように要求していたのだそうな。あたりまえといえば至極あたりまえですが、その表現の驚くべき水準に、今なお感銘を受けます。

参考までに、演奏データを示します。
■ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団
I=10'19" II=8'56" III=6'26" IV=8'52" total=34'33"

(*):シューベルト「アルペジオーネ・ソナタ」を聴く~電網郊外散歩道
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サクランボの雨よけテントを二年ぶりに張る

2009年06月02日 05時11分11秒 | 週末農業・定年農業
昨年は、老父の病気と死去で、サクランボの収穫ができませんでした。雨よけテントも、鉄骨パイプが無駄に立っているだけでした。新米農業後継者一年目の今年は、なんとか消毒作業や草刈りを行っておりますので、収穫を目指し、二年ぶりに雨よけテントと防鳥ネットを張りました。幸い、作業をお願いする人の手配がつき、先日終わったばかり。時折ぱらつく雨の音を聞きながら、テントの中で草刈りをしていると、やはり楽しみなものです。



写真は、早生品種の「紅さやか」です。もうだいぶ赤くなり、早ければ来週には収穫できそうです。ただし、こちらは防鳥ネットの外ですので、野鳥がわんさと来ております。人がいれば近づかないのに、姿が見えなくなると群がるようについばんでいます。このあたり、専業農家ではありませんので、しゃくにさわりますが、しかたがありません。
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NHK教育「オーケストラの森」で山形交響楽団を聴く

2009年06月01日 20時36分39秒 | -オーケストラ
5月末の日曜の夜、NHK教育テレビ「オーケストラの森」で、「町とともに歩み、町とともに奏でる」という副題のもと、去る5月17日に収録された、山形交響楽団の第197回定期演奏会のようすが放送されました。ちょうどこの演奏会を聴きにいき、拙いレポートを記事にした(*)ばかりでしたので、われらが山響がどんなふうに紹介されるのか、興味津々で観(聴き)ました。
番組の最初に、村川千秋氏による東北初のプロ・オーケストラ設立が紹介された後、文翔館議場ホールでの練習の様子や、音楽監督の飯盛範親さん、特別首席コンサートマスターの高木和弘さん、あるいはフルートの足立さんのインタビューが紹介されます。飯森さんは、戦災にあわず古いものが残る山形市が、ザルツブルグに雰囲気が似ていること、それまでクラシックに関心がなかった人が、山響の活動を通じてクラシックに興味を持ってほしいことなどを語ります。高木さんは、新しい立派なホールはたくさんできたが、文翔館のような文化財の中で、歴史的建造物の響きを体験しながら練習できることは得がたい体験と語り、足立さんは小中高等学校のスクールコンサートの活動について。町とともに歩む、町とともに奏でる、というサブタイトルにぴったりの紹介でした。

そして、演奏は、ラロの「スペイン交響曲」から、第1楽章、第3楽章、第4楽章、第5楽章。さらにカリンニコフの「交響曲第2番」から2つ、はじめと終わりにあたる、第1楽章と第4楽章。当日の感想はリンク先の記事をご覧いただくとして、ヴァイオリン独奏の滝千春さんの衣装は、実際の印象よりも暗い色に見えました。カメラの特性なのかホールの照度が不足なのか、それとも当方のトリニトロン・モニター "SONY Profeel BASIC" の経年変化なのか。ブラウン管右上部に小さく映る「アナログ」の文字が、ちょいと意地悪(^o^;)>poripori

テレビの音ではありますが、音声出力をステレオ装置に接続しておりますので、なかなかいい音で聴くことができます。子どものピアノ練習用に二重サッシにしてあったことをいいことに、けっこうヴォリュームを上げて聴きましたら、なかなかの迫力でした。昔のテレビの音の記憶を持つだけに、カリンニコフの冒頭の響きなどは、隔世の感があります。

(*):山形交響楽団第197回定期演奏会を聴く~「電網郊外散歩道」
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